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「ねえ、せめて聞かせてくれないか?

 …あんたがそうやって串刺しにされて死ぬ理由だよ。」

良く通る声の女、名前はもう忘れたが、そいつは芯の青い煙草に火をつけながらそう言った。静かな廃屋で、そいつのひと呼吸だけが響く。銀色の煙が吐き出されて、部屋中を押し潰す。せっかくの鉄の匂いが台無しだ。彼はこれを喜ぶのに。


「それを答えてどうなるんです? どうせ僕はもう死ぬ。さようなら以外に言うことなんかありませんよ。僕は満足していますから。」


「あいつらはあんたのことなんか、塵芥の一粒くらいにしか思っていないよ。今まであんたみたいなのを何人も殺してきて、みんなそうだった。ようなツラをして、自分の献身を誇って、最期には血を吐いて、呪いといっしょにくたばるんだ。だが、あいつらがそれを救いに来たことは一度だってない。あんたは利用されただけ。」


説教めいたことを言って、女は煙を部屋に充満させていく。まるでまじない師が、憑き物を祓うかのような手つきだ。いや、実際に浄化しているのだろう、この廃屋に満ちた、血と錆の匂い、鉄と不浄の色、呪いと廃滅の気配、その全てを。


四肢をめぐる痛みを堪えるために、ふー、と。大きく息をく。実際のところ、彼との接続詞バイパスがあったところで、僕にあるのは不老性だけだ。彼のような不死性には遠く及ばない。ただ、細胞の分裂回数に限界がないというだけ。刺されれば血が出るし、血が出過ぎれば死ぬ。こんな風に串刺しにされて、それでもまだ生きていることに僕自身が驚いている。あるいはこの女の、処刑の作法が手慣れているからかも知れない。


丸太のように太い、そして香木のようにかおる木の杭が、僕の両手、それから両足、そして心臓にほど近い位置を貫くように五つ、撃ち込まれて僕を壁に縫い付けている。僕はこのまま死ぬだろう。救いは訪れない。あの日、活劇の中で見たようなは現れない。ただ一つの真実はこうだ。


ある日、平凡な食餌を摂る吸血鬼を目撃し、それに恋をした。後に調べたところによると、それは彼らが産まれながらに身につけている、魅了チャームと呼ばれる生殖方法に影響されているようだった。

魔術、というものが実在するのかどうかは定かではないものの。少なくとも、生きた生物の血中から、新鮮な好塩基球、血小板、新鮮なヘモグロビンを摂取する以外に、自身の血流を維持できないような脆弱な生命体は実在した。長所と言えば、全身の細胞を頻繁に置換することから不老であり、別離した細胞のひとつひとつが強靭で、自動的に増殖しながら紐づき、復活することから不滅であること。一方で短所は、挙げればキリが無いほどに多く、生物としての矛盾ばかり。それが彼ら、吸血人だった。学名ホムニア・ヴァンピエンスと呼ぶ者もいれば、古来のイメージになぞらえて、ただ吸血鬼ヴァンパイアと呼ぶ者もいる。そして僕のような、彼らの魅了チャームまじなわれてその従僕となった存在を、準奉仕体スレイブ、または被洗脳給仕グールと呼ぶらしい。

ともかく、吸血鬼の最大の弱点は「生殖機能を持たない」という一点であり、つまり彼らは、自分で増えることができないために、自分たちに近しい機能を持ち、餌としても活用できる人間を奉仕種族に作り替えることでしか、権威を拡大できないということだ。


まぁ、特にこれといったネガティブな自覚はないし、彼らの性質を知ったところで不快感もない。僕は、彼の顔形、姿や在り方、その香りを美しいと感じたのであって、彼の手足であることを選んだのは僕なのだから。それがまやかしであったとして、僕に苦痛がないのであれば、一体何の問題があるだろう。


ああ、いや、あるか。それが原因で僕が死ぬというのであれば、そうだな。確かに、僕にとってはちょっとした問題だ。吸血鬼が一般的な人間ホモ・サピエンスと倫理観を違え、時に彼らの人権を侵害するのだから、まあそうか。人類の敵と言われても仕方がない。それに仕えるのであれば、人間に迫害されても仕方がない。だから。


「仕方がない…んじゃないですか?」


「自分の命が、こんな苦しい形で喪われることになるっていうのに?」


「はい、仕方がないと思います。これは僕の選択です。」


「君は…吸血人たちが持つ魅了チャームという魔術を知っているか?」


「馬鹿にしないでください。知っていますよ。それが魔術なんていう、子供騙しじゃあないことも。」


この女もきっと、彼が言っていた吸血人殺ヴァンピエンスキラーしだろう。人間は彼女のような職業を吸血鬼狩人ヴァンパイアハンターと呼ぶが、狩られる側にとってはただの殺人鬼だ。しかしまぁ、彼女に対してもネガティブに思うことはない。責任を負い、命を賭けて働いているという一点で、彼女は、今日まで学生だった僕よりも遥かに立派だ。


「…あんたは死ぬ。私が殺す。その決定に変わりはない。だが、私はあんたの飼い主も殺さなきゃならない。それも素早く。確実に。それが遅れるとね、またあんたみたいな子供を数人、間に挟まなきゃあいけなくなる。私は吸血人殺しだ。殺人鬼じゃあない。だから心が苦しいんだ。あんたがここで、あいつの居場所を教えてくれれば、たくさんの人間が救われる。」


「僕がここでゆっくり死ねば、彼はもっと遠くまで逃げられる。

 駆け引きですよね、。」


そうまでして、と口に出しかけて、吸血人殺しは自分の眉間に指をやった。彼女の発汗を、流れる汗の一滴を、皮膚で感じ取ることができる。彼との接続詞バイパスが、僕の身体能力を彼に近づけている、ということらしい。だからまだ死なない。体中の血液を全て失うまで、僕は死ねない。手足の先に感覚が無くなってきたことが好都合だ。痛みが痺れに変わり、恐怖が悪寒で塗り潰される、今なら、そうだ。この吐き気といっしょに、僕の人生を、彼との人生を、吐き出すこともできるだろう。そうして僕は続けた。


「お姉さん、彼の居場所を話すことはできませんが、彼のことを話しますよ。」


彼の一般的な食餌、つまり吸血は、基本的に町内の小動物、鳥類を相手に行われていた。彼は、僕が通う高校の同級生だった。そして、ちゃんとした日本人の国籍を持っていた。恐らくは偽名なのだろうが、それにしたって「ブラディミール・インペーラー」という名前は、あまりにも隠す気が無いだろう、と、後に大笑いした記憶がある。彼の正体が吸血人であると判明したきっかけは、特に劇的なものではなく。口の周りを真っ赤に汚して、路地裏で蹲った状態からこちらを見上げ、しまった、というような表情をしていれば、さすがに分かる。最初は手の込んだギャグか何かだと思ったが、彼があまりにも狼狽えるので、その場で聞いてやった。「君、吸血人だったのか?」と。彼は本当に、人間社会で今まで、ああして生きてこられたことが不思議でしょうがないくらいに間が抜けていて、挙句に嘘が下手くそだった。まあ、学友に嘘をつきたくない、というような性質が、彼の人間性にもあったのだろうが。彼は「秘密にしておいてくれるよね?」と、それこそ、彼の手の中で痙攣している鼠のような矮小さで僕に縋った。その姿があまりにも哀れだったので、僕は約束した。「内緒にしておいてあげる」と。それから「鼠の血で汚れるからひっつくな」というようなことも言った。


ブラドは、数日に一度、生きたものから血を啜る、という特徴を除けば、僕のような一介の高校生と、何ら変わる部分のない男だった。漫画やアニメを好み、彼自身も絵を描いた。それをSNSにアップして、誰かの反応があると喜び、誰の反応もなければ寂しがり、時折熱っぽくなって我を見失い、後でそれに気づいて頭を下げる。僕のような、とは言ったものの、今にして思えば、彼は僕なんかよりもずっと、人間らしい人間だった。高校での成績は中の下くらい。勉強だけが取り柄だった僕からすれば、いいや、からすれば、付き合うべきではない人種だったのかも知れないが、それでも、彼との交友は楽しかった。


彼は、自分が吸血人であり、人間社会に隠れ住んでいる、というリスクを正確に把握していないような部分が目立った。だが、吸血人の習性や特質について、教科書や検索エンジンが教えてくれないような部分まで事細かに語って聞かせてくれることは、彼の言葉の中でも特に刺激的だった。


僕にとっての喜びとは、知的好奇心が満たされることだ。そういう意味で言うならば、彼を除く全ての学友が、僕の友人足り得ることはなかったのだろう。誰も教えてくれないことを教えてくれる。ただ、その一点だけで、彼は僕の一番の親友だった。そしてもちろん、僕にもそういった存在が出来たことによるのようなものがあって、本来彼が負うべき、彼が負えないのであれば、僕が代行すべきリスク管理を、僕自身が怠ってしまったことが、今回の失敗に繋がっていく。


僕の父親はよく出来た人だ。世界でも有数の生物学的な権威を持ち、特に吸血人の細胞を用いた医療に関する分野で、世界的な貢献を果たしていた人物だった。良くも悪くも学者肌で、その合理性が人間性と緻密に融合してしまった、吸血人よりも余程モンスターに近い精神性を有していた。当然、母親にも完璧であることを求めた。母親は病的ノイローゼになって死んだ。そして僕もそうだ。常に合理的であることを求められた。父にとって、計算の容易なであることを求められた。その甲斐あってかどうかは知らないが、僕の要領はまぁまぁ良かったと思う。母親の前例を見て、どうにか自意識が崩壊しない程度に父親の言うことを聞き、ノルマをこなし、余った僅かばかりの隙間に、自分エゴを埋め込んだ。


今にして思えば、その要領の良さがあって、どうしてあの時、狼狽えてしまったのか、と思う。ブラドの吸血を初めて見つけた時、彼が狼狽えたことをもう笑えなくなってしまった、とも思った。僕の親愛する検索エンジンの履歴に「吸血人」という単語を残してしまったことは、僕にとって痛烈なミスだった。そして第二のミスは、父がそれを言及した時、一瞬だけ言葉に詰まってしまったことだ。父の研究分野なのだから、何ら不自然はない筈だった。父がその反応から、ブラドの存在を検知することぐらい、僕にだって分かっていたことなのに。


ともかく、そうだ。そうして僕とブラドの友情は終わった。彼はいずれ、父親の手配した吸血人殺しに狩りたてられ、路地裏であの鼠のように死ぬのだろう。


当然、僕はそれを許さなかった。まあいいだろう、父親くらい。そう思った。


父が何か、権威のある賞を受け取った時にもらった金属製のトロフィーで、そのを、粉々に粉砕してやった。僕はブラドとの関係を、友情のひとつ上に進展させることにした。少なくとも、この愚かな父親よりは上に、ブラドを置くことにした。分かり切ったことを延々とのたまう口よりも、未知の刺激にまみれて永遠を歌う牙を選んだ。この時の判断を後悔することはない。


一点、意外だったのは、ブラドはやはり本物の吸血人で、この人間社会に紛れ込む、最低限の技法のようなものを有していて、それが僕の殺人を検知していたことだ。彼は父親の書斎の、その影の中から現れて、僕に頭を下げた。流血と涙で顔を汚しながら、僕の殺人を否定した。吸血人である彼が、人間の倫理観に則って、僕の行いを咎めたのだ。そして、それが自分に由来する行為であることも既に知っており、だからこそ謝り、感謝を述べ、そして謝り、謝り、泣いて謝り、やがて僕の方が謝ることになった。彼にそのような悲哀を抱かせてしまったのは僕なのだから。そうして一つの宣言をした。父親を切って捨てたのだから、今後は君を全ての上に置く、と。


後に知ったことだが、吸血人は、招かれていない人間の家に入ることはできないらしい。それを断行した場合、おびただしい量の血液を失って、最悪の場合、消滅する危険すらあるという。彼はそんな危険を押し通してまで、僕に謝るために、姿を現したのだった。家主であった父が死亡し、僕がそれに代わったことで彼へのダメージは止まったが、それでも、僕は彼の誠実さに胸を打たれてしまった。


この時、僕は吸血人の特性のひとつ「魅了チャーム」にまつわる見識を得た。彼らには、産まれながらに人を魅了する素養がある。それは人間の、知的好奇心と庇護欲を強く刺激する才能だ。これが僕の性質と、よく噛み合ったのだと思う。未知なるものを何よりも尊び、守るべきだった母親を失った僕。ブラドを守れるのは、僕だけだと思った。それが何よりも心地よかった。思わず彼を抱き寄せて、社交ダンスのように手を引いた。戸惑う彼の表情も愛おしく、父親の返り血と、彼自身の出血で、自分が汚れることもまた楽しかった。僕はそれまで異性愛者だったように思うが、そういう概念がどうでもよくなるくらいには、ブラドの顔形かおかたちは端正で美しく、その体臭は甘く、僕が思うのに躊躇いはなかった。


僕は父親の死を完璧に偽装し、強盗殺人として処理した。そうしてスペースの空いた家にブラドを招き入れ、出来る限りの長い間、彼と生活を共にすることにした。どうやら僕は独占欲が非常に強いらしく、何なら彼を学校に行かせることさえ、血流の詰まりを覚えるほどだった。ブラドは、そんな僕の「忠誠に応える」と仰々しく言って、数条の甘い唾液を僕の口に注いだ。これが接続詞バイパスを結ぶということらしい。僕は今後、彼のために行うあらゆるアクションにおいて、こと「吸血人であるかのように」立ち回ることができるそうだ。ただ一点、彼と身体機能を同期したことによる弊害もあった。ブラドはとても眼が悪く、眼鏡なしでは何も見えない。つまり、僕も「彼のために」何か行動を起こす際には、眼鏡か、コンタクトレンズを着用する必要が出来てしまった。これは非常に面倒くさかった。一方で、吸血人の中にもいくつかの新種が存在することを知った。彼らは気の遠くなるほどの年月を経て、人間よりも遥かに遅いペースではあるが、生物としての進化を果たしているのだという。ブラドはその中でも格別に恵まれた種であるらしく、日光への耐性を獲得した陽光渡デイウォーカーりであるから、人間社会に溶け込み易いのだという。そして眷属になった僕が、そういったものに体を焼かれる心配もないのだと。


こうして僕とブラドの生活が始まった。やがて高校を卒業し、そして大学を卒業するその日まで。つまり今日までの7年間。これらの日々は、僕の人生において最も輝ける期間だった。これで、僕とブラドの話は終わりだ。


「お姉さんはどうやって僕たちのことを?」


「この辺りで吸血人殺しがあれだけ行方不明になっていりゃあ、誰だって気づくさ。あとはまぁ、名前かな。ブラディミール・インペーラー。」


「やっぱりそうですよね。」


僕は、笑いをこらえ切れなくなってしまい、その拍子にか、左手の杭が外れて、渇いた音を立てて地面に転がった。石のようにも感じられるその木杭は、廃屋の床に落ちた瞬間に粉々に砕かれ、白い砂に変わる。


吸血人殺しが目を見開いて、恐るべき素早さで腰元に手をやった。先ほどまで僕を痛めつけていた針のような道具ではなく、あるいは吸血人の強靭な皮膚を寸断するために用いられる、出刃包丁のような凶器へと。僕は右手、右足、左足、胸部の杭からあらゆる水分を吸い上げて乾かし、砂塵のように変質させてそれらを破壊した。吸血人であれば、この吸い上げた水分に含まれるがダメージになるのだろうが、生憎と僕は人間だ。同期したブラドの能力を活用できる、に過ぎない。僕は数十分ぶりに、廃屋の床に足をつけることができた。


「…勝てると思っているのか? こちとら18人を殺してきた、プロの吸血人殺ヴァンピエンスキラーしだぜ。」


「お姉さんは自分のことをに呼んでくれるんですね。今までに僕が殺してきた18人の、自称、吸血鬼狩人ヴァンパイアハンターとは大違いだ。」


やはり借り物の力では、怪我を治すのにも随分と時間がかかってしまう。その点で、この吸血人殺しが僕の惚気のろけに延々と耳を澄ましてくれたことは好都合だった。


「…と言っても、僕はお姉さんを殺したりはしませんよ。あなたは僕の話を、興味深そうに聞いてくれた。未知を尊ぶその姿勢、ちょっとした敬意すら感じています。」


「ああ、私もあんたの飼い主に罪があるとは思えない。だが、あんたの罪を知った。父親を含めて19人、過剰防衛、立派な犯罪だ。あたしは処刑人も兼ねている。あんたのことは、しっかり殺すぜ。」


「きっとそうでしょうね。死ぬだろうな、という予感があります。血と呪いを吐いてくたばる。あなたの言った通りになる。それなら先に、呪いの方だけでも吐いておきましょうか。あなたが破壊する僕たちの関係を、あなたにこそ知っておいて欲しい。あなたの最初の質問に答えましょう。僕は何故死ぬのか?」


僕は懐から、銀淵の眼鏡を取り出した。彼が選んでくれたものだ。


「簡単です、僕が死ぬ理由は。

 僕はただ、彼の隣を歩いていたかっただけ。歩いていたから、死ぬんです。」

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