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北の最果て、ノースエンドと呼ばれる地点から先に、その道は続いている。この地方について記した最も古い地学書において「神の来たる道」と呼ばれたその街道は、柔らかな地質に対して、堅牢に馴染む石畳で構築されている。


古書に曰く、あらゆる人間にとっての始祖たるもの。ノースエンドの人々が「降人オリジン」と呼び、信奉する存在は、かつてこの道からこの地に現れ、そしてこの地から南へとくだり、文明を敷いていったのだと言う。それはまるで石畳のように。


人間文明にとっての「南端」は分かりやすい。エンケラディア連邦の南部ケラディア人領、港町カロッセルがそれだ。それより南には大海が続き、その最果てに辿り着いたものはいない。だから終わり。カロッセルはいかなる場合においても、地図の南端に描かれている。


だが、ノースエンドが本当に「北の最果て」だと考えている探検家は少ない。何故ならば、その「終わり」は、大海ではないからだ。多くの探検家にとって最も深淵なる未知は、西の海溝でもなく、東の山脈でもなく、空のその果てでもなく、この「神の来たる道」の先であるとされていた。


上半分を白紙のままに残した世界地図が描き直されることはなく、人々はその不明を、むしろ尊んでいるかのように思えた。曰く、この世界の下半分は人間の国。そして上半分は、神の国であるというのだ。


そして今日、私は自らの夢を叶えるべく、そしてこの世界地図に「最北端」の地形を書き込むべくして、この道に立っている。ノースエンドの人々は口々に私を呪ったが、しかし私の行動を直接的に阻むことはしなかった。彼らでさえ、畏れ多くも、しかし知りたいと願っているのだ。この先にあるもの。我々の基底に潜んだ「降人オリジン」なる不明の概念を。まぁ、考古学的な推測からすれば、そんなものがいたのかすら疑わしいものだが。


さて、私が長年をかけて集め、育てた隊商のメンバーたちを紹介しておこう。大喰らいではあるが、馬車の操車、そして馬のメンテナンスを一任できる、乗り手のヒューン。北方の地形、ノースエンドの歴史に詳しく、天文学の知識も併せ持つ学者のエバンジェ。彼女以上に荒事を上手くこなす者はいないであろう、用心棒のガラテア。いずれも数多くの艱難辛苦を私と共に乗り越え、世界地図にいくつもの旗を立ててきた、精鋭たちだ。


私、ロアルド・シュリーマの夢は、この「神の来たる道」の最果てを行き、人の起源に辿り着くことにある。そしてこの手記は近い未来、あらゆる人間が「不可能」という言葉と決別するために用いられる、教本となることだろう。


1日目:


ノースエンドを出発した。日の出と共に出立し、日の入りと共に休息を取るものとする。物資には、4人が6ヶ月以上を生き延びられるだけの十分な貯蓄がある。辿り着いた先に拠点を構えることさえ可能だろう。馬車は2頭の馬によって引かれており、予備の馬は5頭もいる。幸いなことに、この地方には乾いた牧草が生えているため、馬の食料に困ることはない。少し道を逸れれば、水場が点在することも確認できている。旅の難度だけで言うならば、これまで進んできたどの道よりも易しい。


2日目:


南の地平線にノースエンドの街並みが消えていった。道は依然として北へ、地平線へと伸び続けている。全員の健康状態は良好。馬車の上で暇を持て余したエバンジェが、絵を描き始めた。どこを見ても、地平線しか見えないのに? 皆は笑ったが、エバンジェは「意外と興味深い被写体がある。」と言って、離れた場所に生えている折れ曲がった乾石木フォシルウッドのスケッチを続けた。


4日目:


進展がないことに嫌気がさしてきたのか、ガラテアが不機嫌だ。出発してから数日は毎朝武具のメンテナンスを行っていたが、今日はそれをサボって、馬車の中でひっくり返っている。だが、その気持ちは良く分かる。日が昇り、日が沈むまでの間を、ただ指折り数え続けることがいかに苦痛か。我々はよく知っている。エバンジェがノースエンドに伝わる古神話の一部を語り聞かせてくれたが、いまいち頭に入ってこなかった。気候に大きな変化がないことが、この旅路の救いだろう。


7日目:


一週間が経った。道の様相にも、地平線の様相にも変化はない。ヒューンが冗談めかして帰還を提案してきたが、馬鹿を言え、と一喝した。6ヶ月だ。180日もの間を生きていけるだけの物資を用意したんだ。たかが7日間で何をそんな、と。そこまで言って、私自身も気づかぬ内に気が立っていたことに気づき、彼に謝罪した。


14日目:


二週間が経つ頃には、それぞれが時間の潰し方を覚えたようだった。ヒューンは元々、馬の世話が何より好きな男だ。このような旅路はむしろ望むところなのだろう。エバンジェは午前中には絵を描き、午後には詩を諳んじたり、読書に耽ったり、と多様な方法で暇を潰している。最初は暇を持て余していたガラテアも、今ではエバンジェの持ち込んだ書物の一部を手に取り、興味深げに読み進めては「一日が経つのは結構早いな」などと言って雰囲気を取り持っていた。我々の士気は高い。


30日目:


予備の馬のうち、一頭が石畳で脚を挫き、骨を折ってしまった。ヒューンが安楽死を提案し、我々はそれに従った。ヒューンは西の遊牧民の出身で、こういったトラブルへの対応には慣れている。彼の部族に伝わる方法で馬を弔い、その肉を腹へと納めた。ヒューンにとってそれは「慣れたこと」であるためか、それほどの影響はないように見えたが、ガラテアは仲間の一人を失ってしまったかのように意気消沈していた。


31日目:


1ヵ月が過ぎた。我々は延々と、この石畳を進み続けている。日の出の少し前に目覚め、馬たちの世話をし、馬車を動かし、適宜の休憩を取り、日の入りと共に野営の準備に入り、火を起こし、そして寝入る。私は考えなければならない。この旅路が何の成果も得られないまま3ヶ月が過ぎてしまった時、我々はノースエンドに向けて、折り返さなければならないのだ。


42日目:


ガラテアが全ての本を読み終えてしまったらしい。今ではエバンジェと言葉を交わしながら、自らの推論も交えて地質学にまつわる言論を展開している。意外なことで才能は芽吹くものだ。腕っぷしだけが取り柄の蛮族の娘かと思っていたが。エバンジェがやけに早口だ。


50日目:


エバンジェから帰還の提案を受けた。彼にはいつものような落ち着きがなく、穏やかな気候の中で頻繁に汗を拭っては、その低い背丈を震わせていた。未だ十分な物資があること、進んできた距離から推察するに、そろそろ大陸の終わりが見えてくる可能性が高いことを告げると、彼は「そんなことは分かっている!」と、声を荒げた。その後も彼は帰還を提案し続けていたが、終ぞその理由に関して、明確な返答は得られなかった。彼は何かに脅えているようだった。


53日目:


夜間に馬の留め具が外れ、馬車を引いていた馬の1頭が行方不明になった。捜索は困難であるとして、予備の馬に馬車を引かせることに決めた。


54日目:


ヒューンから帰還の提案があった。その理由は、このペースで馬を失い続けると、帰還の途中で馬が足りなくなる可能性がある、というものだった。確かにその通りだ。馬の消耗が想定よりも早い。私は「もう1頭、馬が失われることになったら、その時点で中断する。」と全員に約束をし、ヒューンはそれを承諾した。エバンジェの様子が明らかにおかしい。彼は聖書に向かって十字を切り続けている。


60日目:


エバンジェから説明を受けた。まず、これまで進んできた距離が、およそ「北端のノースエンドから、南端のカロッセルまで」と同等になった、ということ。そして「この距離間で生物群系バイオームが不変であるというのは、地理学的な観点から見て甚大な異常である、ということ。加えて、天文学的、植物学的な見地から、ノースエンドからの先の地域に関する空間的連続性に重大な欠陥がある、ということ。全ての意味を理解することはできなかった。だが、私にはエバンジェが、何か病的ノイローゼなものに罹患しており、それによって平静さが失われているようにも見えた。旅の終わりは近いのかも知れない。


62日目:


エバンジェが死んだ。彼を除き、私たちの中に医学的見地を持つ者はいなかったが、ガラテアがそれを代行した。彼女は、エバンジェが遺した書物を紐解きながら、彼の死因が精神的な衰弱によるものであることを明確にした。断続的に、精神的なショックを受け続け、そうして不眠が続いたことによって起きた、血管の異常にまつわる死であるという。私たちは頭脳ブレインを、そして大切な仲間を失ってしまった。私はこの時点でようやく、この旅がこれまでと根本を異にする、危険なものであることを理解した。これ以上、犠牲を出すわけにはいかない。熟慮せねば。


63日目:


エバンジェの葬式、そして埋葬が済んだところで、隊商の解散を宣言した。ガラテアとヒューンには十分な報酬を与えた。これには、元々エバンジェに渡す予定だった分も含めた。そして馬を引き、来た道を引き返すように命じると、両名がそれに反発した。ヒューンは「まだ目的を達していません」と言って食い下がり、ガラテアは感情的に、エバンジェの死が無意味ではなかったことを証明したい、と、そういうことらしかった。私はとても良い仲間に恵まれたのだと思う。しかし、だからこそ彼らをこれ以上の危険に晒すことはできないと考えた。私はガラテアに言って聞かせた。この旅で得たものが、きっと人生を豊かにする、と。エバンジェもきっとそれを望むだろう、と。一方で、ヒューンのプロフェッショナルとしての意識を評価するようなことを言って、彼の同行は認めた。私は自分の小狡こずるさに耐えかねて、人知れず自分の頬を打った。そう言ったのは、ガラテアの腕っぷしが役に立つ機会は、恐らくもう来ない、と判断したからだ。ガラテアと馬一頭に、帰路分の物資を与えて帰らせれば、そう。


私とヒューンはまだ進める。


64日目:


この日の始まりを境にして、ガラテアは帰路を往くことになった。この旅路の中で、馬の世話の勝手も知ったる様子で、彼女は我々に手を振った。彼女が追加報酬の代わりに求めたものは、エバンジェが持ち込んだいくつかの書物だった。私はそれを彼女に託すと、互いの旅路の無事を祈り、彼女と別れた。私はヒューンと二人、ああ、そうだ。「最初の旅」と同じようにして、永遠の石畳を進み始めた。


80日目:


野営の度にエバンジェの私物を燃やし、馬車の軽量化に努めた。知らぬ間に荷物に紛れていた、この赤いスカーフはガラテアのものだろうか? ああ、そうだ。良く通る声で喋るガラテアもいなくなったことで、旅路はすっかり静かなものになってしまった。だが、ヒューンの様子はいつも通りで、特に何かストレスを抱えた様子はない。本当にタフな男だ。出会った時からずっと、それは変わらない。ところがヒューンにしてみれば、私こそ屈強タフというイメージに合う人物のようだった。「見果てぬものに心を燃やす。それが闇と知って尚挑む。その姿勢を私は見習いたいのです。」ヒューンはそう言って、エバンジェのスケッチブックを手に取り、火に投じようとしていた。私はほんの気まぐれで、彼の遺した絵を見てみよう、という気になった。


81日目:


同じ絵だった。当たり前のことだが。こんなものを毎日毎日、ずっと描き続けていたのだから、頭もおかしくなるだろう。まったくの変人だったが、しかし見地においては頼れる男だった。本当に、本当に申し訳ないことをしてしまった。私はエバンジェとの道行を思い出し、ヒューンの耳につかぬよう、声を殺して泣いた。


82日目:


おかしい。同じ絵であることは、そうだ。間違いない。東西南北、全てにただ漫然と地平線が広がっているのだから。その馬車から後方を眺め、南を描くのだから、そうだ。地平線であることが相応しい。それはいい。1日目、ノースエンドの街並みが地平線の向こうに描かれている。2日目、街の明かりだけが薄ぼんやりと、地平線の向こうに描写されている。3日目、それ以降は全て、同じ地平線が描かれている。ずっと、ずっとだ。だがおかしい。妙だ。乾石木フォシルウッドだけが妙だ。奇妙に捻じれ狂った、この石のような木を、我々は薪として活用していた。来る日も、来る日も。エバンジェはこれを描いていたのだ。「枝の形は実に多彩で、と言ってもいい。同じ形をした乾石木フォシルウッドはないのですよ。」と、そう言っていたのはエバンジェだ。それを聞いていたのはガラテアだ。だが、どうだこのスケッチによるならば、乾石木フォシルウッドの形状には、少なくともには、規則性があるのではないか? 1、2、3、4、5、6、7だ。7種類だ。私はスケッチをめくり続けた。1、2、3、4、5、6、7、1、2、3、4、5、6、7、1、2、3、4、5。私は指と肩の震えを止めることができないまま、ついにエバンジェのスケッチを取り落とした。連続している。私たちは7種類の乾石木フォシルウッドの横を、


それが意味するところは何だ?

エバンジェは何と言っていた?

学問の徒である彼を、あそこまで狂奔せしめたものは何だ?


私は宵闇の中で北を見た。

変わらぬ地平線と、続く石畳がそこにある。

私たちは決して、迷っているわけではない。

私たちは、自分たちの野営の跡に遭遇したことはない。

同じ場所を通ったことなど、ただの一度もありはしないのだ。


100日目:


馬が、予備の馬の一頭が、再び石畳に脚を取られて、ああ、なんて、なんて哀れな。そう、そうだ。こういった形状の窪みが、ある。時折あるのだ。あの時も、馬はこういった窪みに脚を取られたのだ。あれが何日前だ? 日数の間隔が徐々に麻痺してきている。物資の消費が、想定よりも多い。そろそろ決断せねばならない。久しぶりに食った馬の肉の味が、以前よりも遥かに、鮮やかに感じられた。


122日目:


決断すべき時は、とうに逸してしまっていたのだ。目覚めると、馬車の中に書置きがあった。それはヒューンの、拙い筆跡で書かれていた。

「ロアルド、あなたを尊敬しています。あなたからたくさんのものを貰いました。私が死ぬ時は、旅先であなたと共に果てる時だと決めていました。ですから、今がその時です。一人ならば戻ることができます。もっと進むことだって。あなたの選択に幸運がありますように。それから、今回の報酬として、予備の馬を一頭貰っていきます。とびきり気性の荒いやつですが、ここまで静かについて来てくれました。そいつを思い切り走らせてやりたいのです。」

馬車から飛び出すと、駆ける馬の足跡が西へと続いていた。北でも、南でもなく。恐らくは何処にも繋がっていないであろう、真西へ。すまない。本当にすまない。本当に。


189日目:


辿り着いた。「神の来たる道」の、果てへ。


私は、渇いた笑いを抑えることができずに。引きつったようにして頬を掻き続けた。地平線がその「終わり」を示し、その向こうにの姿を映した時、私の心は鳴った。やがて、それに近づくにつれ、大きな音が。とても大きな音が。私の耳を打ち据え始め、馬たちは全て、それに慄いて歩くことを止めてしまった。それでも私は、石畳の上を、這うようにして、地面を、確かめながら、進み、進んで、終にを見た。


だ。確かにだ。人類の起源などどこにもない。には、があるだけだ。


切り立った崖のように、唐突にが失われている。まるでそこから、切り取られたスポンジケーキのように、すっぱりと、ばっさりと、断ち切られ、そうして断面から眼下へと、崩落していく膨大な量の地下水が、この轟音の正体だ。

確かに、確かにそうだ。エバンジェは、地層を、まるで「ミルフィーユのようだ。」と、そうだ。言っていた。まさにその通りだった。切り取られた台地の断面は、多層的に、そして永遠に、眼下へと続いている。その先は海ではない。海ではなかった。それはただの闇だ。奈落と形容する他にない。とてつもなく巨大な、ただのだ。


笑い声が、悲鳴のようになって、やっと自分の声であると気づいて、私は両手で口を抑えた。汗が吹き出し、視点が定まらない。西へと。東へと。無限に続いた断層ミルフィーユが、私の認識を妨げる。私は叫んだ。しかし全ての音が、流水の音に掻き消されて、眼下の奈落へと消えていく! 何もかもが、巨大すぎる!


エバンジェ、エバンジェ!

お前が幻視したものはこれか? お前が推測したものはこれなのか?

真実は、スケッチブックの終わりに、エバンジェの遺した書き置きの中にあった。


「世界は連続している。あるいは、全ての世界が連続したの上に構成されているのだとしたら、我々が信じてきた創世とは一体何だったのか? だが、地理学上、自然生物学上の最大の疑問はついに解答を得た。それはあらゆる生物群系バイオームが、正方形による均等な間隔で分かたれているということへの証明だ。神はいた。神はこの地上を造り給うた。しかしそれは酷く杜撰ずさんで、測量的ではなく、いい加減で、曖昧で、パターン化された、それはまるで、あの乾石木フォシルウッドのようにランダムな、規則性を持たない創世だった。しかしここは違う。ここはもっと酷い。神は、ここをのだ。神は…ああ、のだ! 我々の世界は、が造られただけに過ぎなかった。ノースエンドより先は、特定の生物群系バイオームを焼き増ししただけ。そうだ。コピー。アンド。ペースト。コピー。アンド。ペースト。コピー。アンド。繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、その終わりは?


 ? 

神よ、貴方は、?」

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