激槌
攻撃されていると理解した千里と七海は瞬時に行動する。金髪の火山が大地を左脚で蹴ると、路面のアスファルトは容易く剥がれ茶色の土砂が露出する。無数の割れ目に阿蘇の女神は右腕を伸ばし、自らの力を与える。岩石、それはマグマが生み出したこの星の欠片。火山そのものであるヒメガミにとって最も頼れる盾であり剣である。発熱した土塊は赤からオレンジへと色を変え、流動する溶岩となる。九州一の大火山とこの島の少女は腕を振り岩石だった液体を宙に浮かべ、灼熱の弾丸として正体不明の襲撃者へと叩き込む。
銀色の人影は右腕を千里に向け二発目を放とうとしていたが、反撃されるとなると即座に両腕を飛来する溶岩に合わせて掌から青い閃光を走らせる。光弾は大気を切り裂き赤い弾丸を捉え、2つのエネルギーは1つとなる瞬間に互いを相殺して消える。轟音を伴う熱と熱の衝突が1秒間に数十回は発生し陽炎を生む。
その輻射熱を肌で感じながら、ごく普通の人間は富士の女神に背中を押されて30mほど離れた路肩の岩陰に転がり込む。観測屋を数年続けてはいるものの、噴火は遠くから見るもの。わざわざ火口まで近づいて記録を行っていたのは2世代ほど前の先人たちまでだ。溶岩の熱をこの身に受けたことなど今まで無かったし、そんなことがあるのなら生命に関わる事態だと思っていた。いや、実際に命の危機であるのだが。想定とは異なり火山が味方してくれている状況だが、それでも流れ弾に当たればまず助からないだろう。今、自分があの激烈な撃ち合いに割って入っても出来ることは何もない。力になれないことに一抹の悔しさはあるが、人間の領域ではない事象には手を出すべきではない。あの2人と、そして隣に居るこの火山がなんとかしてくれるのを期待するしかないのだ。
「いったい……あれは、何なのよ」
背中を岩に着け、体重を預ける。さつきの背丈ほどもある大きな岩石は、座り込めば戦闘の熱波を完全に遮ってくれた。緻密な白い岩肌が目に入る。色からして流紋岩だろう。気泡が少ないので軽石ではなく溶岩流の末端が崩れ落ちたものか。こんな時でさえ地質のことを考えてしまう自分の頭には苦笑するしかない。もっとも、その気持ちが表情に出ることはないが。準備運動なしで全力疾走したことにより荒れた呼吸を整えながら、助けてくれた彼女に声をかける。
「分かりません……あんなのヒメガミじゃないですよ。人間が作ったものじゃないですか?」
傍らに座り込んださくらは、やや息が上がっている様子だ。彼女も知らないとなると、あの銀色はいったい何なのだろうか。確かに、金属質な表面や直線的な輪郭など自然の存在ではなく機械を思わせる『アレ』は、人類の産物なのかもしれない。しかし人間の1人として記憶を辿ると、火山の女神を襲おうとする存在など聞いたことがない。いや、そもそも。
「千里と七海を前に、正面から戦っている……ヒメガミのことを、私たちの多くは、実在すると思っていないのよ。そんな貴女たちを、狙うということは……」
「私たちを知っている何者かの仕業ですか。そのことは落ち着いてから考えましょう。今は」
立ち上がり、光芒と液体岩石が飛び交う戦場を見やる大火山。同胞が攻撃を受けており、自らに事態を打開できる力があるのだ。その内心までをも人間が感じることは出来ないが、察することならできる。
「あの怪物と戦います」
「お願い、私にはここで隠れているしか出来ないわ。この岩が消し飛ばされなければいいのだけれど」
怪物とさくらが呼んだ銀色の異形が放つ光の正体は掴めないが、溶岩を至近距離で操って肌が焼けることのないヒメガミが避けているということは相当の熱量なのだろう。一撃なら流紋岩が耐えられるかもしれないが、何発まで形を保てることか。
そう思っていると、さくらは前に渡した法具を持っているかと訊いてきた。愛用のバックパックから金剛杵を取り出したところで、彼女は右手に印を結び聞きなれない呪文のようなものを早口で唱える。すると、さつきが手にした法具から黄色く柔らかな光が飛び出し周囲3mほどを球状に包み込む。
「ひとまず結界を展開しました。だいたいの攻撃なら防いでくれますけど、危なくなったら逃げてください」
「ありがとう。くれぐれも、無茶しないでね」
「それをあの銀色の怪物が聞き入れてくれるといいんですけどね」
口元に軽く笑みを浮かべて、足首で跳ねて身体を地面から離す。その次の着地を、さつきは見ることが出来なかった。人間の動体視力を超えた速度で右脚を路面に突き立てて蹴り、凄まじい破壊の嵐へと突き進む。
「頼んだわよ、ヒメガミたち」
残された人間は岩陰から首を出して前方を睨む。安全を考えるのなら顔を晒すことは避けた方が良いのだろうが、彼女たちが奮闘しているのを見ずにはいられない。それは観測屋としての使命か、単なる好奇心か、それとも……
「お待たせしました!加勢します!」
阿蘇と鬼界、2人の巨大カルデラが溶岩の弾幕を放つ現場に駆け付けた富士のヒメガミはさっそく露出する焼けた地面に力を送り赤熱の弾丸を目の前に立つ銀の襲撃者へと飛ばす。3人の火山による攻撃はしかし、謎の怪物には届かない。その両掌から発現する青い光が正確に溶岩を消し飛ばすからだ。
「ひどく厄介な相手だ。1秒に100発は叩き込んでいるのだがな、まるで歯が立たない。機械のような動きだな」
そう千里が零す通り、銀色の異形は精緻にして正確。人ならざる火山の目には、飛翔する閃光は曲がることなく直進するのみと映っている。にもかかわらず青色が赤色と確実に邂逅するのは、発射口である掌が手首と肘と肩の動きにより0.1mmの狂いもなく制御されているから。こちらの攻撃は全て読まれている。考えるだけで嫌になる現実だが、向こうが自分たちを狙っている以上は付き合ってやらないといけない。
「機械のような、ではなく機械なんじゃないですか?こんなの人間には無理ですよ」
さくらは言いつつ、なるべく側面から溶岩を当てようと努めるが、それすら難なく迎撃される。アレと私たちの間に不可視の壁があるような遠さ。ほぼ180度の範囲から同時に襲来する100発の溶岩を瞬時に捕捉し対応するという芸当は、人間だけでなくヒメガミにもほとんど不可能と言える至難の技。あの銀色は、それを既に40秒も続けている。
「しかし姿形は私たちと同じだ。純粋な機械であればこの造りにする必要はあるまい。であれば」
相手の素性について千里が巡らす思考は、対峙する銀色の動きにより阻害される。火山を蹂躙せんとする脅威が、右脚を一歩踏み出す。赤熱と閃光の衝突域が千里と七海、さくらに50cmだけ近づく。
「おねえちゃんたち、こいつ、強い」
認めざるを得ない事実。秘密の内に佇んできた彼女たちは、意思を持つ存在の中で最も強大なのは自らだと信じて疑ったことはなかった。それが3人、肩を並べても押し込まれている。
「まずいな、この熱を1分も続けてしまった。しばらくすれば山火事になりかねんぞ」
熱波により周りの木々が燃えることを気にするかのような千里であったが、正体不明の襲撃者は気にする素振りを見せない。ひょっとすると思考あるいは演算アルゴリズムで考慮はしているのかもしれないが、行動にそれが反映されることはない。また50cm、距離が縮まる。
「……何か、する必要がありますね。向こうが攻撃なら」
相手は攻めることだけを行っている。そこに何か糸口は無いかと、さくらは戦術を組み立てる。
「さつきさん、聞こえますか?」
『ええ、何かあったかしら?』
アレの形状は人型、何かしら理由があるのなら……中に人が居る可能性。人間のことは人間に確認するのが良い。
「人間を効率的に行動不能にする方法は、なんですか」
『物騒なことを聞くわね……頭部。潰すか叩くか、動けても隙は出来るわ』
危機的な状況だからこそ答えを返せた。フィールドに出る前に、もし噴火に遭遇したらまず頭を守るように、と火山の観測屋は学ぶ。もし噴石が当たったとして、生命維持に最も必要な部位を保護することが生存率を僅かにでも上げる方法だと。それを逆手に取れば、危険な今から突破することが出来るかもしれない。しかし躊躇いはある。
『あの……何だかわからない怪物を殺す気かしら』
「殺すかもしれませんし壊すかもしれません。助かればどちらでもいいんです」
そう、あの正体が何であるか。本当に殺してしまうのか。それは攻撃されなくなってから考えればいい。今は生き残るための時間。さくらは自分でも冷徹だと自覚はするが、それも放っておく。
集中する。策を練る。あの光線はこちらの溶岩を正確に認識して迎撃する。どう突破するか。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるという成句が人間にはあるが、その数を問題としない相手には当たらない。叩く、頭部を叩く。この身で駆ければ0.2秒で距離を詰めれる。直接打撃?あまりに無謀だ。青い光が束となって自分を貫く。防ぐには溶岩の弾を盾とすれば問題ないか?
貫かれないようにすればいい。そうだ。自分が行かなくていい。盾となる大きな弾。小さな弾だから霧散する。ならば大きくすれば耐えられる?単に大きいだけなら光線の束で消し飛ぶ。攻撃は受ける、されどこちらの攻撃は通す。長くしてはどうか。頭を狙うなら相手から弾の奥行が見えにくいのでは。先端に1発2発受けていい、迎撃が間に合わない後部に十分な質量を置いて頭部に打撃を与える。ならば形は槍。先は細く長く、後ろは太く重く。この槍を最速で届かせるにはどうするか。投げる。右脚で大地を噛みながら蹴り。腰から上の体幹を捻りさらにエネルギーを付加。右腕へと伝達された破壊力を開放し投擲。ヒメガミの身体能力を以てすれば手を離れて着弾まで0.1秒。これなら。
「いけます」
鈍い金属音が響き、意識が現実世界に引き戻される。
たった今まで思索に耽っていたこと。考えると同時に攻撃を実行していたこと。渾身の一撃が青い光を耐え切り、狙いを過たず溶岩が銀色の頭部に激突したこと。衝撃で弾き飛ばされた怪物は、それでもなお空中で姿勢を立て直し着地してみせたこと。しかも傷一つ見えないこと。
全てを一瞬で理解する。
両脇の大火山たちは、相手が飛ばされたことは認識したようだが、当然ながら驚き、攻撃の手を止める。
青銀の襲撃者は足を開き中腰のまま右腕だけをこちらに向ける。
3秒前までの苛烈な轟音は鳴りを潜め、静寂があった。
「……どうする」
阿蘇が前方を見据えたまま問いかけるが、それは誰に向けたものか。
動いたのは怪物だった。腕から脚から胴から、白い煙を猛然と噴出させて視界を遮る。
不意の攻撃を警戒し、火を持つものは溶岩を手に、持たないものは岩陰に隠れる。
5秒が過ぎた。
10秒が経った。
先ほどまで続いていた戦闘は言い換えるなら熱量の発散。暖められた大気は上昇気流となり、周囲の空気は風となって動く。それによって煙幕は薄くなる。
20秒で視程は戻った。
「……逃げましたか」
暑い夏、熱量を叩きつけた撃ち合い。後に「ファーストコンタクト」として歴史に刻まれることとなる戦闘は終わった。
「助かった……の、かしら……」
それを唯一、目撃した人間は、ただ喉の渇きを覚えた。
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