一閃

「せんりおねえちゃん……?」

「おはよう、ナナミ。久しぶりだな」


幼いヒメガミは、自らの名前を呼ぶ彼女の瞳を見つめる。数千年ぶりの再会を果たした2人は、どちらも安堵の表情である。

しかし、その内にある感情は全く異なっている。その事を理解している存在は、今ここには居ない。

千里は、この島を司る少女に向けて、優しく語りかけながら足を進める。


「申し訳ないが、山の動きに少し手を加えさせてもらった。あれから7000年経って、事情が変わってな」


噴火を止めることが「少し」と表現されたことを訝しむ観測屋が1人居たが、この火山が本気を出せば半径50kmは焼き尽くされる。それを思うと、この程度は本当に少しなのだろう。納得し、災害が回避されたことを確信したさつきは既に次を考えていた。

まずは福岡のセンター支部に連絡だろう。とはいえ、ヒメガミの存在を明かす訳にはいかない。それが出来ればどんなに楽なことか。マグマの動きは止まっている。どころか、完全に制御されている状況だ。水蒸気噴火など熱水系統の活動には気をつけないといけないが、マグマそのものが出てくる噴火は警戒する必要が無くなったのだ。防災とは、今後の展開が読めないからこそ難しいのだ。しかし、超自然的とも思える要素が関わってくるとなると話が複雑になる。まず、センターという公的機関に所属する人間に信じてもらえるかという点が1つ。それは実際に会ってもらえば納得するしかないのだが、それまでは混乱するだろう。それ以上に思慮を巡らせないといけないのが、これまで彼女たちが世間に知られていないという点である。


火山の女神たちがこの世に居るという事実は、人類の誰もが知らなかったわけではなさそうだ。政府上層部とさくらがコミュニケーションを取ったということ、そして富士山頂に保管されていたあの書き込みが証拠である。だからこそ明かしてはいけないだと、さつきはすぐに思うようになる。もちろん行政の一部に所属する者として国民に秘密を作ることが正しい行いとは考えていないが、それでも守秘義務というものが法律で定められている。何より、この情報はあまりにも大きな衝撃を全ての人間に与えるものだ。政治、経済、宗教……各方面が人ならざるものをどう受け止めるかは起きてみないと分からないだろう。そして衝撃は混沌を生む。軍事に産業に、ヒメガミの力が多大な貢献をするのは間違いない。この力を得るために戦争を起こす国家は、周辺地域のみに限っても片手では数えられないだろう。であるならば、この情報が広く知れ渡る前にしかるべき根回しを行う必要がある。情報公開という原則を曲げなければ、破局噴火の前に人間は自ら破滅する。最善は選べずとも、次善を尽くすしかないのだ。


そんなことを人間が考えているとは知る由もなく、ヒメガミたちは会話を続ける。金色の髪をした幼い火山は、千里の言葉に頷いて話を繋げる。


「ん。人間いるから仕方ない。けど、それでもやらなきゃ」

「えっと、何をですか……?」


噴火をしたがっているとしか思えない少女に、横から富士の女神は口を挟む。すると、この島の火山はようやく千里以外の存在が視界に入ったようで軽く目を見開く。


「さくらおねえちゃん、だっけ。初めまして。わたしは、稲村七海。よろしくね。そっちのおねえさんは……?」


千里から話は聞いていたのだろう、向き直って深々とお辞儀する。それから、観測屋の顔を見つめる。


「私は井鷹さつき、人間よ。あなたが噴火を起こしそうだったからここに来たの。これから何をしようとしているのか、教えてくれると嬉しいわ」


幼い子供と話したのは何年ぶりだろうか。いや、ヒメガミなのだから幼くはないし子供でもないかもしれない。それでも、相手の見た目に引っ張られて人間の社会で慣れているように目の高さを合わせて話してしまう。

七海は、知らない人間との会話に緊張しているのか、ややペースを上げて言葉を紡ぐ。


「ん。わたしは、噴火すると元気になるの。元気じゃないと、みんなを守れないから」

「守る……ですか?確かに私たちヒメガミは、噴火などの活動で人間に存在をアピールすると信仰が集まって力を得ることが出来ますが……」


おそらくは、事情を知らない傍らの人間を意識したのだろう。さくらは話の理屈を説明をするが、腑に落ちない様子だ。守るとは、いったい何から?


「ナナミ、お前は島の人間を守ろうとしているのだな。だが、ここには危ないものなど何もない。心配することなど」

「違うの。なにかが、やってきたの。わたしは、この島と1つだからわかるの。でも、どこにいるか見えなくて探してて……」


強く訴える七海を見つめ、阿蘇の女神は穏やかな笑みを浮かべる。しかし、さつきにはまだ理解が出来ない。この子は何を恐れている?「なにか」とは?


「さくら、火山の女神が脅威と感じるような……天敵みたいな存在って居るのかしら?」

「そうですね……風化浸食作用と地震は火山を削るので嫌なものですが、ヒメガミの天敵というわけではないですね。正直、あの子が何のことを伝えようとしているのか私には分からないんですよね……」

「本人も、それが何か明確に把握できている様子ではないわね。そうなると困るのだけれど……」


これが人間相手であれば、話を続ければどんな違和感を抱いているのかなど手掛かりを共有することが出来るだろう。しかし、この火山の女神は、さつきが知覚することもできないような感覚で危険を察知しているらしい。そうなると、人間の自分には分からない意識を持っていることになる。なんとか4人で認識を1つにする上手い道筋が無いかと思案して



最初にそれを見つけたのは、さつきだった。

道の先から少し左手に外れた木々の中。動く物体が見えた。遠くでよく見えないが、澄んだ湖を思わせる綺麗な青と銀色を身体に纏うそれは、人の容姿をしているようにも思えた。背丈はさつきと同じくらいなので1.6mほどか。しかし、金属質な体表で青と銀を映す人間は居ない。それは、生物には見られないような直線的な輪郭をしている。決定的に違うのは、頭部はあるが顔が無いこと。

それが、人間で言うと右腕に相当する部分を伸ばしてこちらに向けている。


「さくら、あれ」


あれは何かしら、と言うより早く。

銀色の人影が掲げた掌が光る。


そこから先は、時間がゆっくりとしていて、それでいて一瞬だった。


「伏せて!」

ほとんど反射的に、さくらは隣の人間を守るため覆い被さる。


掌からは、正体不明の人の形と同じく青く、そして太陽のように輝く閃光がこの島の少女に向けて放たれる。

人間を遥かに上回る反応をしたヒメガミであったが、直撃を避けるのが限界だった。


噴石よりも速く走る光芒が千里と七海の間に落ち、路面を大きく穿つ。


吹き飛ばされるアスファルトの欠片が、さつきの耳元を掠める。



3人の火山はほんの僅かな間。

1人の人間はこれから数分間。

死を覚悟した。

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