胎動
「震度は現在5弱、さらに大きくなるよ!」
響く透子の声。黒に染まり始めていたモニターが操作され、ここ1分間の波形だけが大映しにされる。最初は小さかった波の振幅が次第に大きくなっていく様子を確認しながら、さつきは声だけをさくらに向ける。
「すぐに千里を呼んできて頂戴。薩摩硫黄島よ」
「わかりました!」
少女は足音を残して走り出す。室内が緊張で満たされる。並んでいたモニターは次々と島に設置された観測機器から飛ばされてくるデータに切り替えられていく。空振計、傾斜計、GPSデータ、監視カメラ。その全てに変化が生じていた。
「噴気の量が増大しています。まだ揺れている途中ですが山体の傾斜にも動きあり。山が膨らむ方向ですね」
「福岡と鹿児島に連絡する!さつきちゃんは引き続き見張ってて!」
この測候所は日本中の火山観測網にアクセスすることが出来るが、薩摩硫黄島を直接管轄しているわけではない。九州の火山観測を統括するのは福岡にあるセンター支部であり、そこから派遣された職員が鹿児島の気象台に常駐し業務を行っている。その2か所にこの異常事態を知らせるべく受話器が握られる。
さつきは島から送られてくるデータを睨みつつ、今後の展開を考えるべく壁際の本棚から1冊の分厚い本を取り出す。「日本活火山総覧」と書かれたそれには、この国の地球科学が国土と国民を守るために集めた活火山に関する主要な情報が記載されている。薩摩硫黄島の項目を開き、有史以来の噴火活動を素早く確認する。20世紀末から21世紀初頭の数年間に渡って小規模な噴火を繰り返す。ただしこれは噴気によって火口内の土砂が巻き上げられた程度のもの。マグマが直接出てきた噴火となると1930年代にまで遡る。その時は島の東方沖で海底噴火が始まり、新たな島が誕生したようだ。それより前の噴火は15世紀から16世紀。火砕流が発生したようだが詳しい事は分かっていないと書いてあった。
「揺れは収まったみたいだね」
声に振り返ると、白衣の観測屋は受話器を置きモニターを見つめていた。映し出される黒い横線に波は見られない。
「とはいえ2分以上も続きました。揺れの大きさを考えても、何かが起きつつあるのは間違いないと思います」
あえて明確には言及しなかった。口に出すと、それが現実になってしまいそうで怖かったから。
活火山総覧に目を戻す。この火山島の歴史について、人間が知っているのは有史以来というごく僅かな間だけではない。ページを1つ捲ると、過去1万年以内に起きた噴火活動について記されている。さつきが感じる恐怖はそこにあった。
「先輩、この活動はどこまでいくと思いますか?」
本を持ち上げ、透子に向かって見せる。歩み寄った彼女の目が大きくなる。破滅の予感。災厄の黙示。目線で会話する。本気でそう考えているのか。そう考えています。
もちろん、2人の若き観測屋は「それ」についてよく知っていた。だからこそ問うた。そこまで活発化するのか、そう考えた方が良いのか、と。
ため息を1つ。透子は瞳を閉じる。彼女にしては珍しく、重苦しい調子で語る。
「あり得るかもしれないし、そうじゃないかもしれない。何せ、私たちはまだ観測したことがない出来事だもの。何らかの予兆が捉えられたとしても、それがどの程度の異変に結びつくのか知ることは出来ないよ」
知っていた答えだった。人間は小さい。現代火山学の積み重ねはまだ100年ほどに過ぎない。地層からの証拠に想像力を加えることでその範囲を大きく超える長さの知識を手に入れてはいるが、未知の部分は大きい。
例えば地震がそうだ。断層や液状化の痕跡は大地に残るが、揺れそのものはどこにも残らない。つまり、ある火山活動に伴ってどのような波形が観測されるのか、実際に起きて観測されるまで誰も知らないということだ。
「……そうですね。私たちに出来ることは限られています。出来ることをするだけですね」
観測屋としては当たり前の事であった。眼前にある現実を少しづつ確実に乗り越えていく。基本は大切にしないといけない。さつきは静かに頷いた。
しかし。ならばこそ。自らの出来ることが変わったのであれば、恐れずにそれを行う責務があるのではないか。そのようにも感じる。
部屋の扉が勢いよく開く。黒髪の少女は出ていった時と同様、元気に駆け込んできた。
「姐さんを呼んできました!さつきさんにすぐ来てほしいと言っています!」
そう、短い過去を頼りに怯えながら現在を歩む日々は昨日で終わった。私の隣には未来が居る。出来ることを果たそう。期待とともに決意する。
「先輩はここをお願いします。急用が出来たので、行ってきます」
「え?ちょっと……」
戸惑う透子を残して、さくらと共に足を踏み出す。そこに迷いはない。
「悪いが今夜の歓迎会は延期だ。これから島に向かう」
建物を出ると、待っていた千里は焦る様子も見せずに歩き始める。大きな歩幅だ。2人は置いていかれないように早歩きでついていく。
「そうなると思ったわ。向こうのヒメガミはどうなっているのかしら」
「ここ数千年は寝ていたのだが、どうやら起きたみたいだな。しかし寝起きの所為か、上手くエネルギーをコントロール出来ていないと見た」
九州一の大火山は、それくらいの事では慌てないのだろう。しかし人間は違った。小さな島とはいえ100人以上が暮らしている。そんなところで噴火が始まったら一大事だ。いや、事態はもっと深刻だ。あの火山はその辺の火山とは訳が違う。
「要するに暴走してるってことかしら?冗談じゃないわ。最悪、この国が終わるのよ」
「そうだ。人間はそれでは困るだろう。7300年前の再来だ。だから私たちが行くのだ」
昨夜の事を思い出す。前を歩く大火山が平然と叩きつけてきた最悪の可能性。海を渡った火砕流。南九州の壊滅。人類の危機。その根源が、あの火山だ。それが目の前までやって来ている。それを考えると歩くのすらやっとであった。隣を歩くさくらの様子を伺う。その無言は緊張の現れか。
市役所の敷地を抜けながら、活火山総覧に書かれていた地形図を思い出す。東西6km、南北3kmの薩摩硫黄島はより大きな火山の淵に出来た一部分に過ぎない。その正体は東西23km、南北16kmと阿蘇に匹敵する巨大海底カルデラである。
「薩摩硫黄島……いや、鬼界カルデラが目覚めるのね」
7300年前。海の底から湧き上がった熱量は水の塊を蒸発させながら上昇し、大気に触れると四方に広がった。軽石と火山灰とガスの奔流は摂氏数百度の熱を保ったまま九州の南端に達し、飲み込み、そこにあった縄文文化を何もかも炭化させた。その破局が再び、同じ場所から姿を見せようとしている。
「今、そんなことを起こすわけにはいかないのでな。人間は脆い。だから私たちがなんとかする」
県道に出て駅の方向に向かうかと思われた千里だったが、そのまま道を渡り東へ向かう。するとすぐに大きなグラウンドを持つ施設が見えてくる。どうやら小学校と中学校が同じ敷地にあるようだ。
「しかし姐さん、どうやって島に向かうんですか?さつきさんは飛べませんから何か方法を考えないと」
夏休みだが学校には当直の教員が居るようで校門は開いていた。迷わずに3人は中へ入る。ヒメガミは空を飛べるという事実に驚きつつ、どうして学校にやってきたのか分からないさつきである。
「普通だと新幹線で鹿児島まで行ってから船だ。しかし今は時間が無いからな。こんな手段を使ってみた」
阿蘇のヒメガミが北西の空を見やる。一面の青にほんの僅かな白が浮かぶ。快晴だ。その中に、高速で移動する黒い点を見つけた。エンジンの音が聞こえる。こちらに向かってくる機体には2つのプロペラが認められる。
「まさか、ヘリを使うのかしら……?」
「いや、最初はヘリコプターを頼んだのだがな、最近はこんなのもあるそうだ。これなら島まで30分で行ける」
急速に大きくなる機影はヘリとは違い真横に伸びる翼を持っていた。その両端にプロペラがあるが、飛行機にしては何かがおかしい。第一、阿蘇には飛行場は存在しない。そう思って見ていると、プロペラとエンジンが収められている両翼の先端部が徐々に角度を変える。つまり、前に向いていたプロペラが少しづつ上へと向いていくのだ。速度と高度が下がり、まるでヘリコプターのようにゆっくりと降りてくる。
「これ、なんですか……?」
「ティルトローター機と言うそうだ。まったく、人間も色々と考えるものだ」
砂塵を吹き飛ばしながら機体はグラウンドに着陸する。すぐさま乗組員が出てきてこちらに走ってくる。ヒメガミのコネクションに開いた口が塞がらなかった。
「さてと、鬼界を鎮めにいくぞ。私たちと人間が協力すれば、怖いものなんて無いさ」
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