動揺
「さつきちゃーん!久しぶりぃ!学校を出た時以来だねー!どうしたの富士に居たんじゃなかったの?九州に来たなら連絡してくれればよかったのにというか今日からここに配属?ということは阿蘇に引っ越し?これから毎日さつきちゃんに会えるの?最高じゃん!やっほう仕事が手につかなくなる!いやぁ嬉しいねぇ!」
緩くウェーブした明るいブラウンの髪が揺れる。白い半袖から伸びた腕がさつきの体躯を揺さぶる。およそ現実とは思えない光景にさくらの心が揺さぶられる。
「先輩……人目があるところでこういうのはやめて下さい」
「人目が無いところだったら問題ないと。よっし部屋に入ろう2人で色々とお話をしようかぁ」
先輩と呼ばれた女性はそう言い放つと、さつきの腕を引っ張り扉の向こうへと連れ込もうとする。無言で抵抗されると、目線を合わせてもう一度試みる。そして結果は変わらない。
「なんで?」
「それはこっちの台詞ですよ……あの頃とまったく変わってないですね、波水先輩」
軽く手を振り、握られていた腕を解放する。一方、何が起きているか理解できないといった様子の彼女は、首から職員証をぶら下げていた。そこには「波水 透子」と書かれている。
「普通、初対面の…人間が居る前でこういうことしますか?」
ちらりと、さくらの方を見る。ほんの僅かに躊躇ったものの、事情を知らない者の前では大火山であれ人間として扱うことにすることを決めたさつきであった。
「おお、それもそうか。お嬢ちゃん名前は?私はね、ハミズっていうの。トーコおねえさんって呼んでねー」
「えっと、淵上さくらと言います。よろしくお願いしますね、透子…お姉さん」
差し出された手を、ぎこちない笑顔で握るさくら。自分の見てきた人間の中で、最も常識外れなことは間違いないと確信する。
「さつきさん、この人とどういう関係なんですか?まさか、その……いえ、別にそういうのでも否定はしないんですけど」
「何考えてるのよ、ただの学校の先輩よ。昔からこんな感じだけれど、被害に遭ったことは無いわ」
「ちょっとー、被害って何なのさ害獣じゃないんだからさあ」
にゃははー、などど笑いながら顔の前で手を振る透子であるが、対する2人は極めて胡散臭そうな表情をする。
「まあまあ、そう警戒しないでよー。とりあえず部屋に入りな?何も無いけどお茶くらいならあるからさ」
とても信用できないと感じたものの、これから自分の職場に立ち入らないわけにはいかない。自分だけではないという状況を頼ることに決め、意を決した。
「こんな可愛い親戚が居たなんて、学校の頃は言ってくれなかったじゃないのさ」
「言わなくて良かったと心から思っているところです」
かなり神経を尖らせていたものの、透子は本当にお茶を出してくれた上に何もする気配はなかった。室内には小学校の職員室にあるような金属製の机が2つと折り畳み式の長机が2つ、地震波形や火山の様子が映し出されているモニターが数個あった。その壁は本棚で覆われ、書籍や学術雑誌が所狭しと並んでいる。
「そっちの机に置いてある段ボールはこっちにちょーだい。中に資料が入っているから落とさないようにねー」
「けっこう重いですね……中身は何なんですか?」
乱雑に重ねられた箱のうち上の2つを、さくらは両手で抱えて透子に渡す。その箱のうち1つが開かれ、中から赤褐色の土が入った袋が出てくる。
「この前見つけたんだけどさ、たぶん未発見の噴火で出てきたスコリアなんだよねー。あ、さくらちゃんスコリアっていうのはねー」
「知ってます、主に玄武岩質のマグマが噴出した時によく発泡して形成される岩石ですよね。噴火直後の高温時に外気とよく触れると成分として含まれている鉄が酸化してこのような赤い色になるんですよね。私…の地元の、富士山などでよく見られます」
透子は目を丸くする。数秒ほど固まってから、さくらの手を握る。
「素晴らしいねぇ!なになに火山の勉強してるの?もしかして将来はうちで観測やりたい?いいよいいよ!こういう若いうちからしっかり調べてるのが感じられるねぇ!」
「いえ、えっと、ありがとうございます」
透子は本当に昔から変わってないと、さつきはぼんやり思いながら奇妙な光景を眺める。こうやって手放しで相手を褒めるのはよくあることだ。とはいっても、それは心から感動しているだけであって、そこに裏や計算は無い。普段からテンションがかなり高いということも相まって、波水透子という人物を気に入るかどうかの評価は二極化する。それにしても、火山に詳しいことを褒められる火山というのはやはり奇妙だ。そう感じつつ、このまま放置しておくと透子の独壇場になってしまうのでそれを避けるために話に混ざることにした。
「ところで、また新しい噴出物を見つけたんですか?」
「そうなのよー。早いとこ論文にしておかないといけないんだけどさ、これの前に10ほどスコリアとか軽石を見つけてるから、まとめて書いちゃおうかなーって思って……数が揃うまではこのままかなー」
「そういういい加減なところも、学生の頃から変わっていないんですね」
「えっと……こういう人なんですか?」
困惑した様子のさくらに見つめられるが、躊躇うことなく頷く。いつの間にか巡検に出かけて、どこからか新しいモノを持ち帰ってくる。重要な知見に繋がることも多いのだが、本人にその意識があまり無いためか、それとも机に向かうのが合わないためか、また外に行ってしまう。その繰り返しであった。
「まぁ、さつきちゃんが居てくれると論文を書く気になれるんだよねー。なんでだろうね?」
「私が論文をどうにかこうにか書かせているというのが正確な表現です。私がここに来た以上は、この資料たちも論文化しますよ」
はいはーい。適当な返事をしながらお茶を啜る透子。一見すると呑気に過ごしているようにしか思えないが、視線は常にモニターの地震波形を追っていた。これも学生時代からの癖であった。何かしらデータがあれば本能的にそれを欲してしまうのだろう。そのことに気づいたさつきは、なんとなく聞いてみることにした。
「ここ最近はどうですか、阿蘇の様子は」
「んー、阿蘇は至って普通よー。火口の湯だまりの水位も安定してる。観光には問題ないねぇ」
阿蘇で活発な火山活動を続ける中岳には南北に連なる7つの火口がある。その内、最も北にある第1火口でここ数十年の噴火は起きてきた。平穏時にはこの大穴に湯が満ち、火口湖が姿を現わす。阿蘇は、その神秘の池を直接覗き込む火口観光で賑わってきた。
ただ、と透子は前置きする。
「他の火山で、妙な地震波が出てるところがあるのよねー。昨日くらいからなんだけれど、規則的な振動みたいなものを捉えるようになってさ……」
「なんだか曖昧な言い方ですね。見せてくれますか?」
さつきが求めると、透子は静かに立ち上がって壁際に並ぶモニターのうち1つに近づく。細い指で差された白い画面には60本の黒い横線が波打ちながら並ぶ。これが地震計の捉えた揺れの可視化だ。最も下の1本は1秒ごとに左から右へと伸び、60秒が経過すると新たな線がその下に登場する。
「これ見てみてよ、なんだか変じゃない?」
「えっと……素人の私からすると普通の波に見えるんですけれど、さつきさんどうですか?」
右手を口元に当て、しばらく様子を伺う。黒線は数秒の間に1回だけ、上下にVの字を描く。
「どの揺れも、必ず上に振れてから下に同じ幅だけ動いていますね。やけに人工的なような……何かのノイズじゃないですか?」
「それは私も考えたんだけどねぇ……」
地震計はその成因に関わらず、地面の揺れを捉えるものである。自然に発生した地震の他、重機や車による振動など人間の活動が起こした波も記録される。そういった雑音と自然活動による揺れを区別しないと正確な観測は成り立たない。
「この揺れは昨日の時点では1時間に1回くらいだったんだけれど、今朝になって数分に1回、この1時間では1分に1回以上のペースになっているんだよね。だんだん増えていく機械的な振動なんて存在すると思う?」
そう言われてからモニターをもう1度見つめると、表示されている1時間分の波形の中でも特徴的な波が発生する頻度は上がってきているようだ。僅かに目を瞑り考え、さつきは再び声を出す。
「工事や機械の類では無いかもしれませんね。かといって自然地震にしては波の形が揃いすぎています。これは……」
「どう見る?」
「そうですね……今は『分からない』と答えておきます」
観測屋として、拙速な判断はしない。考えるための材料が少ないのなら揃うまでいったん保留する。それが井鷹さつきのスタイルであった。
しかし、そこで思考停止することは大きな危険を伴う。データが無いのなら自分から集めるしかない。
「この地震計はどの火山にあるんですか?」
「えっとね、鹿児島の硫黄島。あの島はうちの地震計が2つあるけど、山頂に近い方だね」
硫黄島と言えば、かつての大戦で激戦地となった小笠原諸島の火山島を思い浮かべる人が多いだろう。だが九州の南端からさらに南の沖にも硫黄島という名前の火山島が存在する。両者を混同しないために、後者は薩摩硫黄島と呼ばれることもある。
「もう1つの地震計では、この揺れは?」
「いやそれが全く。局所的な揺れなんだろうねぇ」
透子は首を横に振る。複数の地震計で揺れを観測することが出来れば、波の到達した時間の差から震源を特定することも可能であるが、実際の観測においてはそう上手くはいかないことも少なくない。しかし、観測出来ていないというのも1つのデータであるという考え方をさつきは持っていた。
「そうなると、震源は浅いと推定できますね。おそらく地表近くでの小さな揺れ。どうしようかしら……その地震計の近くで工事などが行われていないか調べていく、消去法で探るのはどうでしょうか」
その提案に、白衣の観測屋はすぐさま頷く。島に連絡を取ると言い、机の上にある電話に向かった。
「さつきさん、この波なんですけど……」
「あら、どうかしたかしら?」
横から話を振られて、黒髪の大火山が隣に居たことを思い出す。会話に加えていなかったことを案じたが、ヒメガミは食い入るようにモニターを見つめていた。
「なんだか回数が増えてきていませんか?」
「……そうね、明らかに多くなったわ」
ほんの数分のうちに特徴的な揺れは頻発するようになり、今や1秒に1回のペースとなっていた。波と波の間が接近し、ほとんど連続的になっている。何かがおかしい。データを欲する観測屋は黒い線を指先でなぞる。どこかで見たことがあるような波形だが、なかなか思い出せない。教科書にも火山観測指針にも無かったはずだ。
「普通の地震じゃないのは明らかね。やっぱりノイズじゃないかしら……」
しかし今の彼女には、ただの雑音だと思って片付けることが難しかった。しきりに心が騒ぐ。何か大きな危機が迫っているような、そんな気がしてならなかった。
「おぉ、かなり増えてきたねぇ」
そんなところに、電話を終えた透子が戻ってきて2人の間から首を出す。
「村の役場に聞いてみたけどね、今は島で工事してるところは無いんだってさ」
「ということは、これはノイズではないと?」
「そう考えざるを得ないねぇ……」
何も言葉が出ない。脳内も混乱していた。自然地震でこんな波形になるとは聞いたこともない。とはいえ、現実にはこのように起きている。なんとかして、これを説明できないか……
「規則的で波が揃っててこのペースってまるで……」
「何か分かったかしら?」
「いえ、ただの思い付きなので気にしないでください。まったく違うことですから」
さくらの呟きを拾うが、彼女は顔の前で手を振って遠慮する。しかし、その腕を両手で掴んだのは透子だった。
「言ってみて?観測に必要なのは直観とインスピレーションだよ」
「先輩、その考え方は危ないって教官に言われてましたよね?」
そう指摘したものの、何か考えがあれば聞いてみたいというのは事実であった。さつきは目線でアイデアを言ってみるように合図する。
「はい、えっと……これ、心電図に似てませんか?ほら、1秒に1回くらい上下に揺れて……」
「心電図……なるほどね」
そう言われてみれば確かに、そう見えなくもなかった。いや、そうとしか見えなくなった。2人の観測屋は深く頷く。
「つまり、これは誰かの鼓動を地震計で観測していると。そういうことかぁ」
「先輩、納得しないでください。あくまで似ているだけですから」
面白い考えではあるが、それが現実的にそうだというわけではない。人間の心音は儚いもので、いくら高感度とはいえ地震計で観測できるものではない。第一、このモニターに波形として写るためには地面が揺れていないといけないのだ。
「人間の脈動は大地を揺らしません。これはそれに似ていますが違う何かです」
「違う何か……大地を揺らせる人間以外の生物の鼓動?」
「そんなものが……」
存在するわけがない。さつきはそう否定しようとしたが、その瞳の先に居たのは。
「……さくら」
「はい、なんですか?」
すぐさまヒメガミの肩を掴み、透子から距離を取る。
「えっと……?」
「ヒメガミも生きているのよね。その鼓動は地震計で捉えることが出来るかしら?」
真っ直ぐに、困惑する大火山を見つめる。思い当たった可能性は一瞬で確信に変わっていた。
「わ、分からないですよ?そもそも地震計の波形なんて見るのが初めてですから」
「じゃあ別の質問。薩摩硫黄島にヒメガミは居るかしら?」
「ええ、居ます。姐さんと知り合いだったはずです。けどあの子は今……」
「おーい、何の話してるのー?」
自分から逃げられたと思ったのか、透子が2人の方に近づいてくる。視界の端にその姿を認め、さつきは彼女に向き直る。
「帰ります。急用が出来ました。先輩はあの揺れを注視していて下さい」
「あ、うん。わかった……?」
さくらの手を引き、部屋を扉の方へと向かう。可能性はある。そのヒメガミについて千里に訊ねれば何か分かるかもしれない。急がなければいけない。それは直感だった。
ドアノブを回し、勢いよく部屋から出る。その数瞬前。
「待って。揺れてる」
背後から聞こえてきた声に反応し、モニターの前まで走る。ほとんど透子にぶつかるようにして止まり、それを見ると。
「これは……」
画面を振り切るほどの大きな波が、白い背景を黒く塗りつぶしつつあった。
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