邂逅
「おはよう、待たせてしまって悪いわね」
「目が覚めたか、おはよう。とりあえず座るといい」
1階に降りると、昨晩契約を結んだテーブルにクロスが敷かれて、そこにエプロン姿の千里が朝食を並べていた。
「和食なのね、最近は食べてないけれど好きよ。自分で用意しようとすると手間がかかるのよね」
「おや、サツキはパン派だったのか。それなら明日はそれでも良いぞ」
「朝にパンですか?とっても興味があります!」
それぞれの感想を口にしながら食卓を囲む。手を合わせ、いただきますと口にする。
「焼き鮭に味噌汁、これぞ和の朝食よね。ご飯もとっても美味しいわ。千里は料理人になれるんじゃないかしら?」
「褒めてもらえて有難いが、別にそこまで目指してるわけではないさ。ちなみに米はこの阿蘇で育ったものを使っている」
謙遜する大火山だが、どこか得意気そうに見える。やはり自分の腕前が評価されるのは嬉しいのだろう。
「ところで、今日の予定だが……夜に2人の歓迎会をしようと思っているんだ。何か用事とかは無いか?」
食べながら、千里は2人を見やる。それを聞いたさくらの顔に笑みが咲く。
「問題ないです!姐さん、ありがとうございます!さつきさん、予定なんて無いですよね?」
「来たばかりだし、その辺りは大丈夫よ。わざわざ歓迎会だなんて嬉しいわ」
「まあ、こちらの都合で呼んでいるわけだからな。これくらいは当然さ」
千里の申し出をとても有り難く思いながら、さつきは自分の状況を振り返る。富士の噴火に巻き込まれ、なんとか逃れたと思ったら次はいきなり九州まで……
「思い出したのだけれど、私は阿蘇に異動になったのよね」
昨晩は契約を済ませた後、その事実だけを伝えられたのだった。その理由や、そもそも人間社会の、しかも官僚機構の人事異動をなぜヒメガミたちが知っているのかなどは聞かされなかった。というより、聞かないことを選択したのだ。本来は自らの人生設計に大きく関わる重要な事であったが、その日のさつきは緊張と疲労が既に限界を迎えていた。シャワーとベッドを目の前にしては、ライフプランなど些事に過ぎなかった。
その時に何か言いたげにしてたはず、とさくらを見ると、その笑顔が固まっている。声に出さずにそれを不思議に思いつつ千里へ顔を向けると、彼女は事も無げに言う。
「そうだ。その辺りは全てサクラに手配してもらったがな」
「手配?どういうことかしら」
「えっとですね……これから阿蘇で暮らしてもらうことになると思って、犬飼さん経由でちょっと指示を飛ばしてもらいました」
さつきに向けられた笑顔はしかし、先程までのものとは明らかに性質が違っていた。作られた表情に向けて、さつきはさらに質問を投げかける。
「指示ね……内容はだいたい分かるわ。それを誰に命令したのかしら?」
「それはその……そちら側の、いちばん上の人ですね」
いちばん上、という表現にまず驚く。センター長に直接命令したのか。となると、ヒメガミを知っているのか?しかし、だとしたら噴火の時に何も動きがなかったのが不思議だ。確か彼女は所長と同期だったはず。いくらセンター長だからといって、1人だけが知っているということはあり得るのだろうか。さつきの思考は徹底的に情報を読解しようと進んでいく。最も上に命令できるほどの影響力とはいったい何なのだろうか?「そちら側」ということは、さくらから見ると、
そちら側の、いちばん上?
気づいた瞬間、可能性はさらに広がる。「そちら側」とはどういう意味か?さくらと対峙している陣営、と捉えると火山観測を行う者たちの事か、火山行政に携わる者たち、いや、もっと大きく人間側という意味だとすると、最も上とは……?
「まさか、いちばん上って……」
「ええ、メールをですね、そちらの内閣総理大臣に……」
驚愕、呆然、苦笑。
何度もニュースで見た人相が頭に浮かぶ。行政の長が、こんな可憐な少女の思いつきをそのまま受け入れるとは。ということは、そのクラスであればヒメガミの存在を知っているのか?国家機密のような大きな存在の世界に迷い込んでしまったことに当惑しつつも、引き返すことは出来ないと直感するさつきであった。
「さて、夜までどうする予定だ?観光案内でもしたいが、私は準備があるから2人で行動してもらうことになるな。サツキ、そのクロスはこっちだ」
「そうね……仕方ないわ、新しい職場でも見に行こうかしら」
「せっかくの休みなのに遊ばなくていいんですか?」
朝食の片付けをしながら会話する3人。普段から手伝いをしているのだろう、さくらは要領良く皿を洗っていく。
「この辺りだと火口の観光が有名だけれど、どうせ仕事で何度も行くことになるわ。それに、そういうところは本人と一緒の方が楽しめるでしょうね」
「そうだな、人間たちが知らない噴火の歴史も全て教えてやろう。測候所の場所は分かるか?」
「ええ、市役所の中よね?表の道を歩いていけば着くと看板に書いてあったわ」
「そうだ。徒歩でも10分もかからない。後は私がやっておくから、早速行ってみるといい」
部屋に戻ってリュックに荷物をまとめる。とはいっても財布と名刺入れを取るくらいだが。さくらは携帯だけを持っていくようだ。
「それじゃ、行ってくるわ」
「夜を楽しみにしてますね!」
「ああ、気をつけてな」
玄関を開けると、よく晴れた夏の朝が広がっていた。平日ではあるが、宿の位置する門前町の商店街には既に観光客が来ている。その中を、人間と火山はゆっくりと歩いていく。
「今日からここに住むことになるのね。まあ、それも良いわ。この仕事をやっている以上、転勤は避けられないものね」
「とはいえ、本当にいきなり異動させちゃってごめんなさい……」
「別に良いわ。噴火があったんだもの、周りも配慮してくれると思うわ」
そう言ったものの、さつきに気がかりがまったく無いわけではない。前の住所に荷物は残してきているし、富士の測候所にも少しばかりの私物も置いてある。山頂は当分入れないとしても、適当なタイミングで東に戻らないといけないのは確実であった。
千里の言った通り、10分もかからずに目指す市役所に到着した。エントランスの案内所に居た男性に測候所の場所を尋ねると、道案内を申し出てくれた。
「そうですか、富士の測候所からこちらに転勤で」
「はい、また後ほどご挨拶に伺います。これからお世話になるかと思いますが、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。ところで、そちらのお嬢さんは?」
2人の足が一瞬だけ止まる。完全に業務モードに入っていた思考の隙を突かれたさつきであったが、僅かに言い淀むだけで済んだ。
「ええと、私の親戚の娘です。夏休みで私が面倒を見てたので一緒に」
「富士の山頂で、ですか?」
「あー……はい、ちょうどこの子が山に登ってきた時に噴火があったもので」
そう言うと、それ以上は詮索してこなかった。この場はどうにかなったものの、さくらとの関係の設定を入念に考えておく必要性を感じた。
男性の後をついていくと、庁舎の外に出て敷地内のプレハブ建築へと向かう。
「数年前の地震を受けて耐震基準を見直したところ、測候所さんの入っていた建物が震度7に耐えられないということが判明しまして、急遽こちらの方になったんですよ」
プレハブとはいっても一辺が30mを超えるような大きな平屋の建物であった。看板を見ると、測候所の他にも市議会議場なども入っているようである。
「こちらの方が測候所となっております」
「ありがとうございます。それでは」
案内してくれた男性に礼を言い、さつきは「阿蘇火山測候所」と書かれたドアをノックする。
「すみません、今日からこちらに配属となった井鷹さつきです」
「はーいよ、ちょっと待ってねー」
妙に間延びした返事が中から聞こえた。しばらくして扉が開く。
「どーもどーも、わざわざこんなところによーこそ……って」
出てきた眼鏡の女性は、さつきの姿を認めるなり、
「さーつーきーちゃーん!」
飛びつき、抱きついた。
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