信頼

求めるのは信じること。そう語った火山を、さつきは静かに見つめる。その場に居る誰も、押し黙ったその瞳の奥にある真意が読めなかった。


「さつきさん?えっと……」

「大丈夫、聞いているわよ。『信じること』ね……もっと具体的なことが知りたいわ。誰が、何を信じればいいのかしら」

「井鷹さつき、君が私のことを信じる。ただそれだけで良い」


名前を出された人間は内心、驚きつつあった。実質的に火山災害を無くす取り決めの条件として、一個人の行動が提示されるとは。火山の気持ちが、もっと知りたくなった。


「なるほど……少し言わせてもらうけれど、信じることというのはあなたが言うほど尊いものなのかしら?」


再びの静けさ。ゆっくりと千里の指が机を叩く音だけが響く。どう表現すれば良いか考えているように。


「人間の『信じる』という行為はそんなに清らかなものじゃないわ。完全に何かに心酔しているというのは、裏を返せば何かに騙されているという事でもある。普段は頼ってなくても、都合の良い時にだけ何かを信じることもある。神様をやっているなら、『困った時の神頼み』って言葉は聞いたことあるでしょ」

「もちろんだ。私もよくそうやって色んな人間から頼られるさ。それが悪いこととは私は思わないがな。どんな形であれ、頼られることは私の力になる」

「んー……それなら、さつきさんに『信じること』をお願いするのはどういう理由なんですか?」


首を傾げながら、さくらが尋ねる。同じ疑問をさつきも抱いていた。


「そうね、火山という存在は大昔からたくさんの人間に崇拝の対象として信じられてきたと思っているわ。なのに今更、あなたは私という個人を指名して『信じること』を要求する」

「それはだな、一口に『信じる』と言ってもその在り方は多様だということだ。たとえば、サクラと私は互いに信頼しあっている。そうだろう?」

「はい!それはもう、姐さんとは数万年前からの仲ですからね」


さくらの笑顔で、その関係性は一目で分かるものとなった。信じられる相手が居るという喜び。信じられているという幸せ。そんな感情を持てることが、さつきには少し羨ましかった。


「こういう顔が見える間柄はな、火山同士だと築きやすいものだ。ところが、これが人間相手となると、どうにも難しくてな……」

「それはそうよ。あなたは正体を知ってしまったら大自然の猛威だもの。普通の人なら人間と同じようには付き合えないでしょうね」


微笑みながらさつきは言って、ふと自分のことを考えた。そんな破壊の権化を前にして、当然のように会話を成り立たせているのは何処の誰であろうか?


「もしかして……千里が求めているのはこういうことかしら?」

「そう、その通りだ。生まれながらにして強さに差がある火山と人間の間で、そんなことを気にせず話し合える。それが、私の求めている『信じること』だ」


ふっと、気が和らぐ。まるで部屋が一気に太陽に照らされ明るくなったかのように雰囲気が暖かくなる。この地を統べる大火山は、新たな繋がりを歓迎していた。


「千里、そういうのは『友達になる』って言うのよ?あと、これは別に人間だけが出来るものでもないわ。あなたとさくらも友達じゃないの」

「友達か……その言葉も知っているが…果たして火山と人間の間にも使っていいものか、迷ったのだが……」

「姐さんずるいです!私もさつきさんと友達なんですからね」


さつきの左手が、隣に座る富士のヒメガミに握られる。最初にこの人間を見つけたのは自分だということを強く主張していた。


「姐さんの『火山に詳しく、なおかつ火山に負けない人間を連れてきてほしい』って頼みは、要するに友達が作りたかったってことなんですか?」

「そうだな、友達という言葉を使ってしまえばそうなるか。まあ、それには他にも意味があるのだが」

「はいはい、火山だ何だって言っても人間と変わらないじゃないの。それじゃ」


さつきは千里に右手を差し伸べる。それを見て一瞬だけ動きを止め、千里は、自らも右手を伸ばしてしっかりと握る。


「これで友達ね。あなたを信じるわ、よろしく千里」

「ああ、頼むぞサツキ」



条件が整ったということで、2人は契約書に署名をすることになった。自前のボールペンをバックパックから取り出そうとするさつきに、千里は万年筆を渡す。


「火山と人間の記念すべき瞬間だ、この方が恰好が付くだろう?教科書に載せるのだから丁寧に書いてくれよ」

「あら、じゃあ私は火山に冗談を言われた最初の人間って記録してほしいわ」


受け取ると、軽く息を吸ってからペン先で紙に触れる。その文字は流麗としていて見事にまとまっていた。書き終わり、紙とペンを千里に渡すと、


「せっかくなんだ、面白いことをしてみようか」


右腕を宙に掲げる。短く息を吐いて力を集中させる。いや、それだけではない何かをさつきは感じた。僅かな熱の放射。鮮やかなオレンジが輝く。指先に火山の色が灯った。

ゆっくりと、見せつけるように手を降ろすと、素早く紙に走らせる。ものの1秒もせずに、墨書したような濃い黒で名前が記された。


「紙が燃えないような絶妙のバランスで焦がしたのね。そんなサインは初めて見たわ」

「そうだろう。さて、時間を取らせてしまったがこれで噴火契約書は完成だ。もう時間も遅いから今日から住んでもらう部屋を案内しようか」


3人は席を立つ。自分の荷物を抱えて、さつきは言われたことを頭の中で繰り返す。些細なことではあったが、情報の誤りを指摘する。


「部屋を用意してくれてありがとう。けれど、住むというほど長くは居ないと思うわ。今は有給休暇を取ってこっちに来ているし、実は富士が噴火したからか異動になったのよね。近いうちにそちらにも挨拶に行こうと思っているから、阿蘇に居るのは1週間くらいかしら」

「何を言っているんだ?異動になったからこそ住むんじゃないか。いくら公務員とはいえ宿舎もすぐには用意できないだろうからな」


事もなげに大火山は言葉を投げる。カウンターに部屋の鍵を取りに行き、何も声が返ってこないのを怪しんで振り返ると、2人は顔を見合わせていた。


「すいませんさつきさん、ドタバタしてて言い忘れていました……」

「何のことかしら?私の異動はさくらには関係ないはず。待って、まさかあなた達……」

「もしかして聞いてなかったのか?井鷹さつきは明日から阿蘇火山測候所に勤務することになった」

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