交渉
人間の世が終わる、と言われても当のさつきはあまり表情を変えなかった。この1日であまりに常識外のことが起きすぎていたので、その辺りの感覚が麻痺しているのだろう。余裕のある顔で問いかける。
「なかなか物騒な台詞ね。これから毎日、噴火だらけになるのかしら?」
「成り行きによってはそうかもしれないが…別に噴火は何度も必要無い。たった1度で世界を変えるのが私のような火山だ。その辺り、我々のことを勉強しているなら知ってるだろう?」
息を呑んだのは、もう1人の火山だった。まさか言うとは。そんな空気が流れる。ヒメガミたちはそれぞれの気持ちで人間の方を見つめ、次の言葉を待つ。見つめられているのを感じながら、口が開かれる。
「……あの噴火の事よね、本気で言っているのかしら」
「まさか、その気は無いさ。私には、な」
さつきの目が鋭くなる。ほとんど睨むようにして、対峙する九州最大の火山を見る。
一方の千里は目だけで笑う。ここが正念場だと思ったのだろう、声量を上げて畳みかける。
「もっとも、その気になれば全てを消すのなど簡単さ。数時間で九州の大部分は爆風と火山灰に包まれ人類社会は火に沈み地層の1枚に変わる。残りも無事では済まない。舞い上がった灰は風で流され、1日で首都に届く。灰は30cmほど積もらせようか。あらゆる交通手段は使えなくなり生活は不可能になる。3日もあればこの国全てが同じ景色になり、」
「1か月もすれば火山灰によって引き起こされた土石流でインフラは壊滅。なんとか生き残っても空は灰で覆われ日射のエネルギーが減るから急激な寒冷化が到来する。激減した食糧を求めて紛争が続発。世界は数年で死に包まれる…理解してるわよ、そういう絶望なら」
知っていた。知らないはずはなかった。知りたくもなかった事だから。
およそ7300年前、九州という島の南にある火山が火を噴いた。放出された火山ガスと軽石と火山灰は渾然一体となって海上を突き進み、後に鹿児島と呼ばれるエリアのすべてを焼き尽くした。これにより南九州の縄文文化は1000年ほど完全に断絶する。
それから時代は過ぎ、20世紀後半になり人類はその事実を思い出す。関東の山中で見つかった出所不明の火山灰層が九州から届いたものであると知った時、火山学者たちは驚愕した。理解しがたい自然現象が存在するという事実に想像力が結びつき、現出した場合には破滅をもたらす災厄となるということに気付くまで、さらに半世紀も必要だった。
そしてこの時代になると、火山に関わる者は皆がそれを知っていた。現代文明に終わりを告げる格別の破壊に与えられた名は、
「……破局噴火」
そう言うとさつきは、ほとんど机に突っ伏すようにして頭を抱える。低頻度大規模災害。巨大火砕流。火山の冬。夏のない年。記憶する限りの最悪が頭をよぎる。そして、さらに知っていた。この阿蘇を含めて、そんな噴火を起こしてきた火山は九州だけで少なくとも5つは存在することを。
顔に貼りついた指の隙間から、不敵な笑みを浮かべる千里を見る。大きく息を吸い込み、今度は顔を天井に向ける。ため息を1つ。数秒かけて、ようやく火山たちに向き直った。
「降参よ、勝てるわけないわ。こっちは人間で、あなた達は火山だもの。まさか、自分たちの事にこんなに詳しいとは思わなかったけれどね」
「なに、人間の知識を見てるだけさ。もちろん、あの時の記憶は残っているがな」
両手を挙げたさつきに、何の威圧感も無く千里が笑いかける。聞かれたから答えただけで、対立する気は最初から皆無だったのだろう。
「驚きましたよ、割と本気だと思ったんですからねー……」
ようやく、さくらは落ち着きを取り戻す。せっかく引き合わせたのに、ここで決裂されてはかなわない。
「分かったわ。それで、私はヒメガミたちと何を話せばいいのかしら?まさか世間話ではないと思うけれど」
「それは勿論だ。我々と人間の将来に関わる、とても重要な役目を頼みたいと考えている」
カップを傾け、残りを一気に飲み干す。一呼吸置いてから千里は口を開く。
「今、火山の活動については我々が決定権を持っている。つまり、いつどのように噴火するかは自由自在ということだ」
「どうやらそのようね。今回の富士を見ていて理解したわ」
恐らく、いや確実に阿蘇もそのようにしてきたのだろう。さつきは自分の覚えている限りで阿蘇の噴火パターンを思い出す。活動が落ち着いている時は火口に「湯だまり」という火口湖が存在しているが、地熱が高まると湯だまりは消え去り火口底から噴煙を上げる。さらに活発な活動になると赤熱した溶岩の飛沫を勢いよく噴出させる。ちょうど今、富士山頂で起きているのと同じ感じだ。マグマが地下に引っ込むと地熱は低くなり、湯だまりが復活する。このサイクルを数年から十数年かけて繰り返しているのが、現在の阿蘇が使っている中岳火口だ。
「サクラから聞いたのだが、この噴火では登山者が逃げるまで噴火を抑えるように2人が交渉したと」
「そうね。かなりギリギリだったけれど、上手くやってくれたわ」
そう言って、さつきは富士のヒメガミを見る。照れ隠しなのか、軽く手を振りながらさくらは笑みを浮かべる。
「私はそんな、さつきさんが来てくれたからですよ」
「ともかく、我々と人間が上手く協力すれば不必要な被害は避けられることが実証できたわけだ。とはいえ、常に土壇場で交渉するわけにはいかないだろう」
深く頷き、さつきは同意する。観測屋とはいえ、いや観測屋だからこそ、噴火のリスクは何としても避けたいという気持ちが滲む。
「そこで、だ。直前ではなく事前に我々と交渉出来るとしたらどうだろうか」
どこからともなく、千里は1枚の紙を取り出した。さつきがそれを受け取り、さくらは横から覗き込む。
「『噴火契約書』……なるほど、面白そうね」
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