第2章
阿蘇
「さてと、何から話そうか」
ゲストハウス蘇乃里は2階建ての民家を改装した宿泊施設である。1階のリビングに置かれた木製テーブルを3人は囲み、千里が持ってきた紅茶を啜る。
「そうね……まずは、ヒメガミという存在について教えてほしいわね。あなた達はいったい何者なのかしら?本当に火山を操ることが出来るの?」
さつきは身を乗り出す。自らが人生を懸けて追い求める火山の事を深く知ろうとするのは、観測屋としての本能のようなものだった。
「操る、か……全てではないが、確かに火山の動きを思い通りにすることは出来る。それにも限界はあるがな」
何事でもないかのように千里は話す。当然、さくらもそれには驚かずに頷く。
「地下深くのマグマが動き出して地上に向かう、その動き自体は操作できない事が多いですね。人間が心臓の鼓動を意のままにできないのと同じような感じでしょうか。その一方で…」
白く細い腕がさつきに向けられる。富士のヒメガミはにこやかに、手を握ってみせる。
「これと同じくらい簡単に、地表に近いところでの色々な活動は容易く掌握できるんです。噴火の他にも噴気や熱水活動、温泉とかも思い通りなんですよ」
「なるほどね。まぁ、あの噴火を見たのだからそこについては疑わない事にするわ。とても非科学的ではあるけれど……」
観測屋は天を仰ぐ。100年を超える現代火山学の積み重ねの裏側に、こんな秘密があったとは。全てが無に帰すかのような喪失感を覚えたが、数瞬後に我を取り戻す。
「地下深くのマグマは制御出来ないということは、あなた達が火山の全てではない。少なくとも、ヒメガミは火山の一部分に過ぎない……?」
「この状況でよくそこまで考えが及ぶものだ。そう、我々ヒメガミと呼ばれている存在は火山そのものではない。人間の表現を借りるならば…火山の精霊といったところか」
「じゃあ、あなたは阿蘇の精霊なのね」
千里は首肯しつつ、そんなに可愛らしいものでもないが、と呟く。ヒメガミ2人は、残る1人の様子を伺うように押し黙る。しばしの沈黙が流れた後、人間はそれに気付き、
「あら、大火山に揃って気を遣われるなんて光栄だわ」
静かに笑ってみせる。その顔に緊張や戸惑いは見られない。千里も微笑むが、内心は違っていた。
「火山の前でも随分と、精神力があるのだな。一歩間違えれば自分が消えてもおかしくないのだぞ?」
みしり。椅子が軋む。わずかに部屋の温度が上がった気がした。さつきは真っ直ぐに緋色の双眸を見つめ返して、言った。
「私は火山の近くで、あなた達のおかげで生きているのよ。火山と比べた時の小ささを知っているだけ。人間、こんなものよ」
観測屋としての意地。もしくは矜持がそこにあった。互いの魂を視線で感じ合い、そして、
「良い心構えだ。申し分ないな。サクラ、こんな素晴らしい人間を見つけてくれて助かったよ」
「いえいえ、非常時にとても堂々としていたので、もしかしてと思ったんです」
火山は、さつきを認めた。その一方で、認められた側は小さな疑問を抱いた。
「見つけて……ということは、私は探されていたのかしら」
「そういう事だ。ある事情で人手が欲しくてな」
残り少なくなった紅茶と、さつきの唇が触れる。何も言わずに千里の言葉を待つ。
「私たちと会ったことで、いわゆるヒメガミが現実に生きていることが分かったと思う。その通り、私たちは居る。しかも1人ではない。」
「こうやって人間に紛れているだけで、案外多そうね。5人?それとも10人かしら」
「その10倍さ」
阿蘇は穏やかに、富士は朗らかに、微笑む。一方のヒトは、苦笑いであった。
「流石に多いわね……」
「私たちも、全員とコンタクトを取ったわけではないんですけれどね。だいたい活火山に行けば誰か1人は居ると思います」
活火山とは、この国の役所によれば「噴気活動のある火山、もしくは過去1万年以内に噴火した火山」のことである。その数は現時点で111座。
「全員が必ず、私たちのように起きているという訳ではないのでね。起きていても返事をしない事もある。そこで井鷹さつき、君の出番さ」
「こんな小さな人間に、何が出来るのかしら」
「簡単な事さ、火山たちと会って話してきて欲しい」
かちゃり。陶器どうしの触れる音が響いた。
「もし断ったら?」
「そうだな、その時は…」
千里の目は天井を捉える。しばらく上を向き、考える素振りを見せてから、さつきに向き直る。
「それも簡単な事、人間の世が終わるだけさ」
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