旅路
神出鬼没。文字通りであった。先程まで山頂で宝冠を被り剣を握っていたはずの彼女は、ヘルメットと木製の杖、そして薄手のスポーツウェアに装備を変えて残席の少ないバスの座席にちょこんと座っていた。岩室で帯びていた神聖さは何処へやら、今は1人の山慣れした少女にしか見えない。
「あなた、どうして……」
「あ、下に着くと暑いと思うので防寒着はそろそろ脱いでおいた方が良いですよ」
さつきの驚愕に気づいていないのか、平然と話す。さくらのアドバイスに従って上着を脱ぎながら、さつきはその隣の席に滑り込む。座席の前方からは上司とその旧友がやってきた。
「ヒメ……いや、淵上さん。無事に下りてきていたようですな」
「はい!裏道を使って先に下りてきました!所長さんもお仕事お疲れ様です」
「ありがとう、お互いに何事もなくてよかったよ」
流石の犬飼も動揺しているのだろう。危うく正体が口に出るところであった。この異常事態を認識していないのは4人の内で所長だけである。
「裏道って何よ、そんなのあったかしら」
「いったん火口から山体内部に入って、近くの洞穴から抜けてきたんですよ」
耳元で囁きあう。見た目に反して、ヒメガミは人間離れした大胆さと行動力を兼ね備えていた。思わずさつきは頭を抱えた。退屈しない避難行になりそうだった。
バスがゆっくりと発車する。車内のほとんどに逃げ切ったという空気が広がる。安心したところで、誰かが山頂からの煙に気がついた。下山に必死で目に入っていなかったのだろう。すぐさまバスの乗客たちはカメラや携帯電話を取り出し、車窓から撮影を始める。
「いまどきのヒトって、なんでも撮ろうとするんですね」
さくらがポツリと零す。さつきには、それが「現代人類は記録魔」という意味にしか思えなかった。
「記録手段が多様化しただけよ。あなたが前に活動した時みたいに、どこかでこの光景を筆で表現している人もきっと居るわ」
「そんなもんですかね……あ、さつきさん聞いて下さいよ。私さっきテレビに映りそうになったんですよ!」
本当にこの娘は、霊峰を従える火山の神なのかとさつきは思う。こうしていると、あまりにも普通の少女にしか見えない。
「テレビくらい珍しいものじゃないでしょ?」
「そうですかね?火口に居たら上からヘリがやってきて、見つかりそうになったから慌てて溶岩の中に逃げ込んだんですよ」
ただし、話す内容を除いては。身に着けている知識と経験が人間とまったく違うのだろう。そのために常識も行動も突飛なものに見えるのだった。
「見た目は私たちと大差ないのに、溶岩の熱に耐えられるなんて不思議ね」
そっと、指でさくらの頬を撫でる。少女の肌そのものの質感が1000℃を超える赤熱に晒されても傷1つないとは、にわかには信じがたいが事実なのであろう。
「あはは、そうですかね……ところでさつきさん、この後はどうするんですか?」
「この後?」
若い観測屋は自分の携帯電話を取り出しながら記憶を辿る。下山している時に東京から安否確認の電話があり、本庁に戻ってくるように伝えられた。おそらく避難時の状況などを訊かれるのだろう。特に隠すことでもないので、その旨をさくらに言う。
「東京ですか、となると方向が逆だなぁ……ちょっと待って下さいね」
そう言うと、ヒメガミは何処からか携帯電話を取り出して入力を始めた。山の神も今どきは携帯くらい持っているようだ。ほんの10秒ほど操作すると、達成感に満ちた笑顔をさつきに向ける。
「下に着いたら一緒に来てもらいたい場所があるんですけど、いいですか?」
「まぁ良いわよ。何処に行きたいの?」
この時さつきは、自分の運命が大きく動き始めようとしていることに気づいていなかった。
「九州です!」
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