帰還
「おお、見えてきましたな」
犬飼が指差す先には大型の観光バスが何台も停まっていた。ここは登山道富士宮ルートの5合目、富士山スカイラインとの接続点である。さつきと所長、犬飼ら山から下りてきた人々を避難させるために、静岡と神奈川、山梨の各県から空いていたバスがかき集められているのである。ちなみに、同じ光景が残り3つの登山口でも展開されている。
「現状、目立った被害は報告されていない模様です」
携帯ラジオに耳を傾けながら、さつきは所長に言う。避難に関わった者として、その後の情報が気になっていた。
「それは良かった。今のところ山頂以外では異変は見られないとセンターから連絡があった。このまま何事もなく避難が完了するといいが……」
周りに自分たち以外の人影が無いのを確認した後、彼は小声でさつきに伺う。
「本当に、ヒメガミは存在したのかね?」
超自然的な存在。都市伝説。神話の住人。表現は尽きないが、非現実的であることは共通している。あのマニュアルに記されていたのはそんな名前だった。知的好奇心の塊である観測屋が、それについての情報を求めるのは当然と言えた。
言おうか言うまいか迷い、彼女は犬飼をちらりと見る。温厚な紳士はにこやかに微笑み、首肯した。わずかに考えてから口を切る。
「ええ、彼女は実在します。その動機までは聞き出せませんでしたが、今回の活動は規模の小さなものにすること、山頂の損害も限定的にすることなどを約束してくれました。私見ですが、人間とは友好的でありたいと考えているものと思われます」
所長は目を丸くした後に犬飼を見る。知っていたのか、という視線に翁はまたも微笑みで返事をする。
「驚いたな……まさか人間以外の生命体が存在するとは。しかも、あんなに近くに……」
彼は山頂を見上げる。数十年に渡って観測屋として研鑽を積んできた場所が霊域であるという知識はあったが、それを実感として覚えたのは初めてであった。
しばし富士を眺めていた一行は「富士宮駅行き」の札が張られたバスに向かう。バックパックを下ろしてトランクに詰め込み、空席を確認しに座席へと向かったさつきは、
「お疲れ様です!ご無事そうでなによりです」
呆然とした。さくらがそこに座っていた。
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