密室

ヒメガミ。自らをそう名乗る少女は、溶岩の密室に静かに座っていた。蝋燭の灯りに照らされた彼女は、視線をゆっくりとさつきへ向ける。


「よく、ここまで辿り着きましたね。神社でも犬飼さんしか入り方を知らないのに」

「その犬飼さんに教えてもらったのよ。未だに悪い冗談だとしか思えないけれどね。空想上の存在が話してるなんて、しかも貴女なんて、飲み込みきれていないわ」


淵上さくらは、普通の少女である。明るく快活で山の人気者。彼女を目当てに富士を登る者も居ると言われているが、奥宮の看板娘という立ち位置を超えるものではない。少なくとも、さつきはそう理解していた。そのために、彼女がヒメガミであるという主張を完全に受け入れたわけではなかった。


「本当なのかしら?噂では、ヒメガミは火山を操ることが出来ると聞くわ。それならば、今起きていることを、マグマ貫入を全て止めて頂戴。そうすれば、これ以上の被害は出ないわ。」


要求というよりは指摘。本当に生きた火山であるならば、先程の地震は防げたはず。証拠もないのに荒唐無稽な話を信じ込むほど、さつきは夢想家ではなかった。そして、測候所の観測屋として、災害は嫌いであった。しかしヒメガミは、それをそのまま要求だと受け取った。


「ここで山頂火口に向かって上がってきているマグマを止めてもいいのですが、その場合はマグマがどこに向かうか……予想は難しくなりますよ。いきなり麓で騒ぎが起きるかもしれません。あなた達がそれでも良いのなら」


微笑み。この緊迫した状況に不釣り合いな表情をした少女は、焦るでも脅すでもなく、ただ単に優しく伝える。いかにヒメガミの力であっても、物理法則の全てを無視することは出来ないようだ。

確かにその通りであった。さつきの脳裏にある様々な火山の事例と照らし合わせると、マグマという粘性のある流体は、人間の予想を超えた動きをすることが珍しくない。

たとえるなら、今の富士山は火にかけられ吹きこぼれ寸前の鍋であった。ここで蓋と鍋本体を溶接でもして隙間を無くせば、しばらくの間は時間が稼げるだろう。しかし、その次はどうなるだろうか。圧力と温度が増していく内部の流体は、いずれ鍋の何処かを破壊して吹き出てくるだろう。それが溶接部分なのか、蓋なのか、はたまた鍋本体なのか。やってみなければ分からない。しかし確実に言えるのは、変に溶接などせずこのまま吹きこぼれさせた方がまだ安全だろうということ。さつきは、賭けに出ることにした。


「マグマは山頂火口に向かっているのね。それなら、そのままマグマを進めて。ただし、出来るだけ遅く。あと2時間あれば、なんとか被害を受けないエリアに登山者が退避できるはずよ」


さくらが言うには、マグマは山頂へと向かっているらしい。ならば、そのまま事態を進めてしまおう。もちろんリスクはある。この少女が思い通りの力を発揮できなかったとしたら、そもそも、そんな力など存在せず、勘違いの演技をしているだけだったら……

しかし今は、それを気にしても仕方なかった。いかに超自然的な存在だとしても、使えるものは全て使う。為すことを為して、あとは運を天に任せる。そんな諦観に近い思いであった。

人の願いを聞いたヒメガミは静かに頷き、自分の周りに置かれていた祭具から幾つかを選ぶ。宝冠を被り、右手には不動明王の象徴である俱利伽羅剣を握り、左手は大日如来の象徴である宝塔に置く。いずれも、黄金の輝きであった。続けて人には聴き取れぬ何かを唇の内にて唱え、最後に「カーン」と呟きながら剣で地を打った。


「これで、もう揺れることはありません。今から2時間、山頂は静穏です。その間に避難を完了させてください。それとこれを」


慈愛の笑みを浮かべるさくらは、1つの法具を差し出す。取っ手の両側に5つの刃が付いたそれもまた、蝋燭の淡い光によって金色に輝いていた。


「金剛杵というものです。様々な修法に用いられますが、今は私との通信手段だと思ってください。それに話しかけられたら答えます」

「要するに無線機のようなものね。ありがとう、大切にするわ」


右手に握り、階段へと向かう。足を掛けた後、振り向いてさくらの目を見つめる。


「必ず、戻ってきなさい。まだ話したいことが山ほどあるわ」


さつきの声に何も言わず、ただ微笑で応える。彼女を信じることにした。階段を駆け上がり、部屋は数分前と同じく1人になった。

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