第二章 もう一回罵ってください!3


◆◆◆


 心地ここちよい風がほおで、サヤカは目を開ける。さおな空が目の前に広がっている。

(あれ……私……どうしたんだっけ……?)

 やっと夢からめたのかと思った。しかしまぶたを開けても、そこは自分の部屋ではなかった。

「じゃあどこよここ!?」

 今までいた世界とは明らかに違う。地平線が見えるほど、広大な草原。

「ジ、ジルー? いないのー?」

 呼びかけるが、返事はない。辺りを見回すと、サヤカの背後には、真っ白な神殿しんでんのようなものが鎮座ちんざしていた。

「あれ……ここって……」

 サヤカはこの景色に見覚えがあった。

「もしかして、聖騎士せいきしの意識の中?」

『星の聖騎士』のゲームの中盤ちゅうばんに、聖騎士の意識の中に入るというシーンがある。

 聖騎士が主人公の聖女から星の力を与えられる際、ここへ来て、星座と契約けいやくする。そのための場所だ。契約する星座は生物だったり物だった

りするが、星座に認められた者が、契約を結べるというイベントだ。

 ここへ来る前、キャンサーが倒れたのを見た。その後自分も意識がなくなったように思う。

「もしかして、キャンサーもここにいる……?」

 辺りを見回すと、離れた場所に彼が横たわっているのが見えた。

「キャンサー!」

 彼のもとに走り出そうとしたが、横から黒い岩が突進するように移動してきて、サヤカの行く手をはばんだ。

「ひいっ! びっくりしたぁ!」

 サヤカの背丈せたけよりも数倍は大きいその岩は、八本のあしで横に移動してきて、目の前で止まった。はるか頭上には、二本の大きなハサミがある。かにだ。

「確か、蟹座のカルキノス……?」

 カルキノス――この巨蟹の名前だ。

 蟹座のわれは、カルキノスの友人の水蛇みずへびヒュドラが英雄えいゆうヘラクレスと戦っている際、助けに入ろうとしたが、戦いに夢中むちゅうだったヘラクレスに気付かれないまままれて死んでしまった。それを可哀想かわいそうに思った女神ヘラに星座にしてもらったというものだった。友人思いの蟹なのだ。ちょっと可哀想ではあるけれど。そのためキャンサーも同じように「踏む」という言葉に敏感びんかんだった。

「あれ、でも、どうしてこんなに真っ黒なの……?」

 たしかゲームで見た時は、あざやかな紫の蟹だったはずだ。それが今は、まるで黒いどろかぶったように黒く、そして禍々まがまがしい気配をまとっていた。

「キャンサー! ねえ! 大丈夫なの!? この子こんなことになってるけど!?」

 蟹の脚の間から呼びかけるが、返事がない。

 蟹のカルキノスはキャンサーの前から退く気はないらしい。サヤカが回り込もうとすると、そちらの方向へ移動して道を阻む。キャンサーをサヤカから守っているように見える。攻撃こうげきしてくる様子はない。しかし。

「あ、あつがすごい……!」

 キャンサーに手を出すな、という空気がひしひしと伝わってくる。

 ふと、カルキノスを見てサヤカはあることを思いついた。一度カルキノスの前から離れるが、追ってはこなかった。

「やるしかないのよサヤカ。運動部じゃないし、できるかわかんないけど……!」

 全速力でカルキノスに向かって走り、八本の脚の間からすべり込む。ここで座り込まれたらおしまいだったが、何とかスライディングに成功したようだ。

 キャンサーにぶつかりつつ、サヤカは彼をすって起こす。 

「キャンサー! 起きて!」

 背後ではカルキノスがこちらを振り返る気配がしていた。キャンサーならカルキノスを止められると期待しているのだが、もし意思疎通そつうできなかったらどうしよう――今さら不安になっているサヤカの前で、キャンサーの瞼が開いた。

「……あれ? 僕、何でここに? ていうか、何でサヤカさまがここに?」

「それは私が聞きたいっての! ていうかあの子どうにかしてー!」

 頭を振っていたキャンサーが、自分達にかかる影の正体を見上げ、大きく目を開けた。 

「何この岩――じゃない、カルキィ!? 何でこんなに真っ黒なの!?」

「そんな愛称つけてたんだ」

「だって、僕を認めてくれた子ですよ? カルキィ!」

 キャンサーがれようとする直前、サヤカはカルキノスをおおう黒いものが、まるで内側から外に出ようとするようにうごめいていることに気付く。咄嗟とっさにキャンサーの襟首えりくびつかんだ。

「待ってキャンサー!」

「っえほ、けほ! サ、サヤカさま……」

「あああ、ごめんなさい! 咄嗟に掴んじゃって……」

 き込んでいたキャンサーが手を上げ、人差し指を一本立てた。

「もう一回……!」

「な! ん! で! よ! それより、あの黒いの、変じゃない!?」

 なぜか笑顔のキャンサーに怒鳴どなりつけ、サヤカはカルキノスの身体からだを指さす。キャンサーは怪訝けげんそうに眉を寄せ、その横顔にあせりをにじませた。

「苦しんでる……。何で!? どうして、君がこんな姿になってるの……!?」

「いつからこうなの? 星の力を与えられた時はこんな風じゃなかったでしょ?」

「そうです。綺麗きれいな紫色で……。何で今まで気が付かなかったんだろ。一体、いつから?」

 カルキノスの変化に、キャンサーは気付いていなかった。

(もしかして、キャンサーの性格が変わったことに関係してるのかな……?)

 カルキノスがキャンサーを見ている様子はない。ハサミを鳴らし、サヤカを威嚇いかくしていた。サヤカが一歩下がろうとすると、キャンサーがカルキノスを見上げて話しかけた。

「カルキィ。この人は大丈夫だよ。……君と、同じだから」

「え。この子にまで踏ませてるの?」

「違いますよ! そういうことじゃなくて……」

 キャンサーはサヤカから目をらして言いよどむ。

(そんなにずかしいことでもこの子に知られてるのかな……?)

 キャンサーはカルキノスの前に出る。後ろ姿しか見えないが、白いかみの間から見える耳が赤くなっているのが見えた。

「この人は――弱い僕を、認めてくれた人だから」

 キャンサーはサヤカには聞こえないぐらいの小声で、カルキノスに何かをつぶやいた。

 今までサヤカを威嚇するように巨大なハサミを動かしていたカルキノスがハサミを止める。そしてキャンサーの頭上を越えて、サヤカにハサミを伸ばしてきた。攻撃するような素早さではなく、ゆっくりと。カルキノスは何かをサヤカに求めている気がした。

「何? どうして欲しいの……?」

 黒い泥のようなものが、表面に小さな山を作りながら蠢いている。おそろしかったが、サヤカはそっと手を伸ばす。カルキノスは抵抗ていこうもせず、サヤカにそのハサミを触れさせた。

「……あれ? キャンサー、見て」

 呼びかけると、うつむいていたキャンサーがハッとして顔を上げる。

 サヤカが触れた部分から、黒い泥のようなものが消え、本来の鮮やかな紫色に戻っていく。驚いた顔でキャンサーが振り返ってくる。サヤカも何が起こっているのかわからず、目を丸くしてキャンサーを見つめる。

「これ、サヤカさまが……?」

「私は何もしてないけど、何か、あの……さわったら消えた。……あれ?」

 サヤカとキャンサーが目を合わせているその間に、不意にカルキノスの姿が消えた。

「カルキィ!?」

 キャンサーと慌てて探す。あんなに大きな蟹が移動したらすぐにわかるはずだが、音もなくその巨体きょたいが消えた。

 ふと下からカサカサと音がして、サヤカは足元を見下ろす。そこには手のひらサイズの紫色の蟹がいた。小さくなってはいるが、その姿は間違いなくカルキノスだ。

「「すごい縮んでない!? 何で!?」」

 キャンサーと異口同音いくどうおんさけんでしまった。ということは、キャンサーもどうしてカルキノスが小さくなったのかわからないらしい。

「キャンサー。どうして小さくなったのか、カルキノスもわからないの?」

「そう、みたいです……。でも、もう苦しんでないみたい。よくわかんないけど、サヤカさまが泥を消してくれたおかげみたいです」

 キャンサーはホッとした表情でサヤカに笑いかけた。そう言われても、サヤカが何かしたわけではない。触れたらなぜか黒い泥が消えたのだ。

「カルキノスがそう言ってるの?」

「僕らは感覚を共有している感じなんです。だから僕もわかります。あなたのおかげだって」

「何かしたつもりは、全然ないんだけど……そっか。なら、よかった」

 サヤカがそっと指を差し出すと、小さなカルキノスはハサミでサヤカの指をはさんできた。

「痛――く、なかった。可愛いかも……」

 そのまま持ち上げて手のひらに乗せると、カルキノスは大人しくサヤカの手のひらに座った。

「知らなかった……蟹、可愛い……!」

 よく見れば目がくりくりしている。美味おいしいだけじゃなかった。

 キャンサーは目を細めて微笑み、カルキノスを指先ででた。その目に少しだけ、さびしさのようなものがうかがえる。

「カルキィは、サヤカさまのもとにいたいみたいです」

「? どういうこと?」

 首を傾げていると、手のひらの上でカルキノスが立ち上がる。そして一度キャンサーと向かい合ってから、サヤカの手のひらに吸い込まれるように消えていった。

「えっ、消えっ……入っ……ええ!? どういうこと!? カルキノスどこ行ったの!?」

 手のひらとキャンサーを交互こうごに見てあわてるサヤカに、キャンサーは優しく微笑ほほえんだ。

「カルキィは認めた相手じゃないと、自分から触れないんです。僕と同じで臆病おくびょうだから。サヤカさまはカルキィに認められたんですよ。僕よりサヤカさまと一緒にいたいみたい」

 キャンサーのひとみに宿る寂しさの理由は、カルキノスと離れてしまうことだったらしい。

「でもそれ、キャンサーから星の力がなくなったってことじゃない? それは……いいの?」

 聖騎士達は皆、聖騎士になるためにおさないころから努力してきたはずだ。特にキャンサーは、十三歳で聖騎士になり、最年少という立場で騎士として人々を守ってきた。星の力がなくなることは、彼にとって本当にいいことなのだろうか。

 キャンサーは目を閉ざし、サヤカに頷く。瞼を開いた時、彼は心からの笑みを浮かべていた。

「いいんです。カルキィが選んだことですし、僕も納得してます。ちょっと寂しいだけ。それに僕は所詮しょせん、最弱の騎士ですから」

「そんなこと言わないの!」

 キャンサーの両頬をペチンと軽く叩き、サヤカは彼の顔を覗き込む。

「サヤカさま……?」

「私もさっきはああ言ったけど、それはあなたが間違ってたから。本当のあなたは、カルキノスに認められた立派な騎士でしょ? そんな風に言わないで。私だって、誰よりも優しくて、弱い人々の心を守ろうとするあなたの姿に、あこがれたんだから」

 キャンサーは弱くなんかなかった。

 普通、怖いと思ったら、自分を守ってしまうものなのに。

 ――サヤカは、そうした。他人より自分を守ってしまったことがあった。

「本当に、すごいと思ったの。私も、あなたみたいになりたいって思った」

 キャンサーの目に涙が浮かんだ。彼の青い瞳は、海の水面みなものように、キラキラとかがやく。

「僕は臆病な自分がきらいです。だからずっと、恐怖心きょうふしんが消えたらいいと思ってた。テュポンを倒して、自信がついて、怖いものなんてないって思ってたけど……何か、間違ってたみたい」

 頬を包むサヤカの手を確かめるように、キャンサーは手を重ねてきた。

「こんな僕でも……いいんでしょうか」

「私はそんなあなただから、憧れたの」

 サヤカがそう言うと、キャンサーは頬をめ、大きな目を細め、ふわりと優しく微笑んだ。

(……天使かな……?)

 聖騎士だけど。こんなに近くでこんな笑顔を向けられたら、サヤカのダメな心が浄化じょうかされそうだ。感激で涙が出そうな目を閉じ、笑顔を反芻はんすうする。

「――サヤカさま」

 キャンサーがサヤカの手を離して、呼びかけてきた。慌てて目を開けたその時には、彼はサヤカの前で片足をついてひざまずいていた。

 彼の真剣な目に、吸い込まれそうになる。

「僕は聖騎士でも最弱です。ですが、あなただけは必ず僕がお守りすると約束します」

 キャンサーは手のひらをサヤカに差し出してきた。ドキドキしながらサヤカがその手に自分の手を重ねる。キャンサーはうれしそうに微笑み、大切そうにサヤカの手を優しく握る。

「あなたに、僕の忠誠ちゅうせいのすべてをささげます」

 先ほどのような音を立てるキスではなく、そっと触れるキスをしてから、キャンサーはサヤカの手を抱き締めるようにぎゅっと握った。

「……ありがとう」

 キャンサーの目元で何かが光った気がしたが、それを確認する前に、サヤカは気を失った。



※次回:2019年2月22日(金)・17時更新予定

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