第二章 もう一回罵ってください!2



「サヤカさま……?」

 ジルがいぶかしげに呼びかけてきたのが聞こえたが、反応できない。キャンサーの変貌へんぼうに、悲しみの代わりにいかりがいてくる。

 どうして、レオも、キャンサーも、自分の信念をげるような変貌へんぼうげているのだろう。

解釈かいしゃく違いっていうのかしら、こういうの。私は前の聖騎士せいきしが大好きだった。あこだれだった。たとえ二次元でも、あの人達から、生きるかてをもらったの! こんなの許せるはずない!」

 サヤカの言葉は完全にひとごとだった。しかしその言葉を聞いたキャンサーは、怒りを込めたままサヤカの言葉をあざ笑った。

「許せない? どうして? 僕はだれより勇敢ゆうかんな騎士だ。傷つくこともおそれない。この傷が見えないの?」

 キャンサーが服をめくって刀傷らしきものを見せる。包帯ほうたいにも、赤く血がにじんでいる。

 サヤカは彼の傷から目をらした。

「……そんなもの、見せないで」

「怖いの?」

「……ええ、怖いわよ。怖いに決まってるじゃない。血よ?」

 その赤い傷が本当に怖くて、サヤカの手も声もふるえていた。サヤカの様子に気分を良くしたらしいキャンサーが、目を細めて笑う。

「ふふっ、ごめんね、おじょうさま? でも僕は気に入ってるんだ」

「怖いけど、何のおどしにもならないわ」

 手はまだ震えていたが、サヤカは視線をキャンサーに向けた。手の震えは怖さからではなく、怒りが原因になっていた。一呼吸してから口を開くと、自分でも驚くほど冷静な声が出た。

「そんな傷を勲章くんしょうみたいにほこって、ずいぶんうれしそうね。そんなに強い自分にっていたいの?それとも酔っていなきゃ、怖いのかしら?」

「っ……! バカにするな! 僕にはもうおそれなんてない!」

「バカにするな? 無茶言わないで。今のあんた、『僕は強いんだぞ!』ってきゃんきゃんえる子犬みたい。かーわいー」

 サヤカは息を大きく吸って、バルコニーから身を乗り出し、キャンサーを指さして怒鳴どなった。

「私は絶対、今のあんたを認めない! 認められない――あっ」

 勢いよく身を乗り出したせいで、足の裏が、ずるっとすべる。

「サヤカさま!」

 ジルがあせった声を発したが、すでにサヤカは身体からだのバランスをくずし、バルコニーから落ちていた。――真下では、キャンサーが目を見開いている。

「あ」

 焦ったジルの、どこか気の抜けた声の後。

「わあああああ――ふぎゅっ!」

 キャンサーのさけび声が、衝撃しょうげきと共に途切とぎれる。サヤカの身体は、キャンサーを押し倒す形で受け止められていた。

 下敷したじきにして悪いとも思ったが、興奮こうふんしたままのサヤカは、これだけは言わないと気が済まず、戸惑とまどう彼の目を見て怒鳴りつけた。

「この、最弱雑魚ざこ騎士! 心底失望したわ!」

 サヤカの怒声どせいが辺りに反響はんきょうする。怒りと悲しみで、涙がにじみ、気付けばかたで息をしていた。

「ふ……っ」

 静まり返った空間で、ジルが何か言った気がした。

「……ふふ、くっ……あははははははっ!」

 ジルの笑い声に、サヤカはびくりとして彼を振り向く。怒ってもあきれても、常にどこか冷たく、上品な雰囲気ふんいきまとった彼がこんなに声を上げて笑うとは思わず、驚いた。聖騎士の力を奪えと強要する危険な男のはずなのに、その笑顔は明るかった。

(何かこうやって笑うと、悪い人には見えない……っていうか……)

「ど、どうしたの、急に笑い出して……?」

「い、いえ。くっ……! あなたの言葉でひるんでいくこいつが、面白おもしろくてつい」

 口元を押さえ、肩をふるわせ、本気でおかしくて笑っているらしい。

「……こっちはこっちで悪趣味あくしゅみだわ……」

「ありがとうございます」

めてない!」

「私はあなたを褒めていますよ。実に清々すがすがしく素晴すばらしいののし文句もんくの数々でした」

うれしくない! 私は怒ってるん……だか、ら……」

 怒りで沸騰ふっとうしていた頭が、少しずつ冷静になっていく。それにともない、サヤカは顔を蒼くしながら足元を見下ろす。いまだにキャンサーを下敷きにしている。飛び退すさるように彼の身体からだから離れ、やっぱり心配で即座そくざに戻ってくる。

「ご、ごめんなさい……っ! 大丈夫!? キャンサー!? 生きてる!?」

 キャンサーは上半身を起こしたが、うつむいたままその肩を震わせていた。

「何……だよ……っ!」

(ヤバイ、言い過ぎた!? そうよね悪いのはキャンサーじゃなくて、シナリオなのに!)

「あ、あの……ご、ごめんなさい。今のはその、別のことに腹が立ってて――」

 後退あとずさろうとしたサヤカだったが、キャンサーの手が伸びてきて、ガシッと足首をつかまれる。

「ひいっ!」

「放せ」

 ジルがキャンサーの腕を退けようとするが、彼はサヤカの足を離さない。

「やだ。もう一回……――って」

(まさか泣いちゃった!? 泣かせてしまったー!?)

 小さな声は震え、うわずっており、よく聞こえなかった。

「ご、ごめんなさい、今、何て言ったの?」

 ぷるぷると震えながら、ぎゅっと目を閉じ、キャンサーは意を決した顔で言った。

「もう一回……罵って! ください!」

 キャンサーのその言葉を聞いた後、サヤカとジルは同時に口を開いていた。

「「……何て?」」

 それはサヤカとジルの心が初めて一つになった瞬間しゅんかんだった。

「何どうしたのバグったの!? 大丈夫!? しっかりしてー!?」

 サヤカはキャンサーの肩を持ってがくがくとらす。キャンサーはサヤカを見て顔をにし、むねを押さえていた。

「わ、わかんない! けど……何か、ドキドキして……っ! もう一回聞きたくて!」

「間違いなくバグってるー! キャンサーはこんなこと絶対言わないよねえ!?」

 ジルに同意を求めると、彼は冷静な顔のままうなずき、キャンサーをまじまじと見つめる。 

「キャンサーでなくとも言わない台詞セリフですね。……混乱しているようですし、気付にショックを与えたほうがいいかもしれません。希望通り罵って、ついでになぐってみては?」

「もっともらしいこと言ってるけど、あんた全力で面白がってるでしょ!?」

「はい」

「真顔で即答するなー! で、でも放っておけない、よね……」

 サヤカが向き直ると、キャンサーは期待した上目遣うわめづかいで見つめてくる。やっぱり可愛かわいい顔をしている。……その期待がもっと真っ当なものであれば、うっかりき締めてしまったかもしれない。

 この可愛い顔をたたくのは気が引けたが、正気に戻すためなら仕方がない。意を決して、サヤカは平手をキャンサーのほおに叩きつける。

「こ、この……最弱雑魚騎士ー……」

 ペチン! と、わずかにじんとする痛みと衝撃しょうげきがサヤカの手にも伝わってくる。

(ひえええ初めて人叩いちゃった! しかもこんな可愛い顔を……!)

 可愛いかいなかは関係ない。わかっているが、わずかに赤くなった頬と、ぎゅっと目を閉じた横顔が痛々しくてたまらない。サヤカの胸がズキズキと痛む。

(私何やってんだろ……? 泣きそう……っ)

 キャンサーは閉じたまぶたをゆっくりと開き、サヤカを見ると落ち着いた顔になった。ホッと胸をで下ろすと、キャンサーは目に真剣さを宿して口を開いた。

「本心から最弱クソ雑魚野郎やろうと思いながら冷たい目でもう一度お願いします。あと全力で叩いてください」

「ねえジルー! すごい冷静な目と真面目まじめな顔でとんでもない要求してきたんだけど! 余計にバグったんじゃないの!?」

 あわてるサヤカを押さえ、ジルはキャンサーの顔をのぞき込む。彼は不満そうにジルをにらんだ。

「サヤカさまに罵ってほしいんだな?」

「! うん!」

「うんじゃない! ちょっと落ち着いてー!?」

 ジルの言葉に、嬉しそうに強く頷くキャンサーを揺さぶるが、彼の意志はどうも固いらしい。ジルはキャンサーに笑いかけた。

「お前の言い分はわかった。では、サヤカさまの下僕げぼくになれ。存分に罵ってもらえるぞ」

 パアッと花が咲くかのように、キャンサーが顔を赤くして満面に笑みを浮かべた。

「っいいの!? 喜んで!」

「喜ぶなー! ちょっとは悩んで! ためらって! 断ってー!」

「騎士なら忠誠ちゅうせいちかう時にどうするか、わかるな?」

「ジルー!? 私抜きで話を進めるなー! 下僕って何なの!?」

 正気を失っている――かもしれない――キャンサーをだましてなんて、サヤカは納得できない。しかしジルと口論する前に、キャンサーがサヤカに笑みを向けた。

「えっと……サヤカ、さま? で、いいですか?」

 彼のほうが少しばかり目線は高いが、はにかんだ上目遣いで見つめられ、サヤカは何も言えなくなった。

「っ……!」

(これぞ私が知ってるキャンサーの笑顔! 可愛い~!)

 サヤカが内心で興奮していると、その手をキャンサーが両手でにぎった。彼の手にはやはり生傷が多く、それを凝視ぎょうししている間に、キャンサーはサヤカの手を口元に持ってきていた。

「サヤカさま。僕はあなたに忠誠を誓います!」

 そう言うと、キャンサーはサヤカの手の甲にちゅっと音を立てて口付けた。

「……え? えっ!? ええええええ――」

 困惑こんわくあけび声を上げていたサヤカだったが、不意にその叫びを止めた。キャンサーの手から突然力が抜け、するりと離れていく。

「あれ? 僕……――」

 呆然ぼうぜんとそう呟きながら、キャンサーの身体がその場に倒れた。

「キャンサ――」

 サヤカの目の前が黒く塗りつぶされていく。そのまま視界がぐらりと大きく揺れた。

「え……な、に……!?」

「サヤカさま!?」

 司会が完全に黒くりつぶされる直前、ジルの焦った顔が見えた。地面に倒れる前に、彼の腕がサヤカを受け止めたのを感じながら――サヤカの意識は暗転した。



※次回:2019年2月21日(木)・17時更新予定

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