第二章 もう一回罵ってください!4


◆◆◆


「――ヤカ! サヤカ!」

 身体からだすられ、同時に声が聞こえた。

 目の前に、ジルの緊張きんちょうしたような、強張こわばった表情があった。初めて見る表情だ。

 銀色のかみが、サヤカの顔にかかりそうになっている。逆光になった彼の銀のひとみは、本当に夜空の月のように見える。

「顔がいい……」

(ジル……)

「……気のせいか、心の中のつぶやきが口に出てませんか?」

 彼の名前を呟いたつもりだったのだが、つい思ったことが先に口に出たらしい。ジルは張り詰めていた表情をゆるめ、大きくため息をついた。

「心配して損をしたと思わせるような台詞セリフはやめてください」

「えっ、心配したの?」

 思わずサヤカがそう言うと、一瞬いっしゅんジルは真顔になって動きを止めた。が、すぐに呆れた顔でサヤカを見つめてきた。

「……突然倒れたら、心配もします。俺のことを冷血人間とでも思っているんですか」

「いや、そんなことは……あるけど……すみません」

 少しにらまれ、勢いに飲まれて謝ってしまった。

 利用され、そしてあきれられるばかりで、心配などされないと思っていた。しかし彼は意外にも、会ったばかりのサヤカを心配してくれるだけの優しさがあるらしい。

(ツンデレ……? ううん、ちょっと違うような……? デレツン?)

 サヤカがそんなことを考えていると、ジルは冷たい視線を向けてくる。

「またろくでもないことを考えているようですが――」

(バレてる!)

 ジルの手がサヤカに伸びてくる。何をされるのかと身構えたが、彼はただサヤカのほおれてきた。その手つきが思った以上に優しくて驚く。

「キャンサーから星の力が消えて、あなたにその力が宿っていますね」

「へ? そうなの? ジルにはわかるの?」

 サヤカ自身に変化は感じられなかった。身体を見回してみるが、特に違和感いわかんもない。

「ええ。わかりますよ」

(わかるんだ……? ていうか、この人本当に何者なの……?)

 何となく、サヤカが考えていることをジルは察しているような気がした。しかしジルはおだやかに微笑ほほえんだ。不思議ふしぎと冷たい印象いんしょうがなくなり、意地悪な感情もなさそうだった。

「……よくやってくれました。本当に。これでキャンサーも……いえ、聖騎士せいきし達も、おのれの行いを反省するでしょう」

 初めてめられた。しかし褒められるようなことをしたのか、サヤカには疑問が残る。

「でも……キャンサーからは星の力がなくなったんでしょ? もし次に怪物かいぶつが出てきた時、彼が危険になるんじゃない?」

「そこはあなたが考える領分ではありませんから、気にしないでください。あなたはあなたの役目をたした。それでいいんです」

「え、いや……ええ~……?」

 気にするなと言われても無理だ。しかし、ジルはただ適当に答えているわけではないような気がした。

「それより、どうやってキャンサーから星の力を奪ったんです?」

 ジルに何か考えでもあるのかとたずねたかったが、今はとにかく、サヤカはジルの疑問に答えることにした。気を失っていた時のことをよく思い出すために目をつぶる。

「奪った……っていうイメージじゃなかったかも。キャンサーが契約けいやくしたカルキノスが、私を認めてくれて、自分から来てくれた……って、キャンサーは言ってた」

「認める? 何か、カルキノスに認められるようなことをしたんですか?」

「うーん、私が何かしたってことはないんだけど、何でだか、カルキノスが黒いどろみたいなものでよごれててね。何かうぞうぞしてて、すごく気持ち悪かった」

 ジルの表情から笑みが消えたが、目を閉じていたサヤカは気付かず、先ほどの光景を思い出しながら話し続ける。

「それで、私がカルキノスにさわったら、これまた何でだかその黒い泥みたいなのが消えてね。これはもう、私の清い心におそれをなしたとしか思えないわね」

 もちろん最後は冗談じょうだんで言ったのだが、ジルから反応が返ってこない。冷たかろうとひどかろうと、ツッコミがないのが何よりずかしくなって、サヤカはまぶたを開ける。

「ちょ、冗談だからね!? 何か言ってよ恥ずかしいでしょ! ……って、ジル?」

 サヤカではない何かをにらみ、ジルは口元を押さえて考えこんでいた。その尋常じんじょうではない様子に、サヤカも困惑こんわくする。

「な、何なの? 褒めたりだまったり……」

 ジルは考えこんで答えない。どこか思い詰めた表情でもあった。こんな彼も、初めて見る。

 サヤカにとっては気まずい沈黙ちんもくの時間となり、視線をらす。と、そこで気を失ったまま倒れているキャンサーが視界に入った。そういえば、彼のことを放置していた。

「そうだキャンサー! あの子大丈夫なの!?」

 立ち上がってキャンサーのもとへ行こうとすると、うでつかまれて止められた。

「え、えーと、ジル? どうしたのさっきから? 何か変よ?」

 ジルを見ると、彼の表情はかたく、余裕がないように見えた。

「……あなたは今、もっと自分のことを心配すべきです」

「心配って……何を? 私、元気いっぱいなんだけど?」

「そうではなく……!」

「――っくち!」

 ジルが何か言いかけた時、キャンサーのくしゃみが聞こえた。

「えっ、今の、くしゃみ? 可愛かわいい! ……っていやいや風邪かぜ引いちゃうわよ!」

 ジルの手の力が緩み、サヤカはキャンサーのもとけ寄る。

「キャンサー、起きて! ……ダメだ。寝起き悪いのかな? ……寝顔、天使じゃない?」

 身体を揺すってみるが、キャンサーは瞼を開かない。深い寝息を立てているが、これほど揺すっても起きないのはどういうことだろうか。どうやって起こそうかと考えていると、となりにジルが立った。見上げると、彼は不機嫌ふきげんあらわにした顔でキャンサーを見下ろしている。

「え、えっと、ジル? どうしたの……?」

 サヤカが何をするのか尋ねる前に、ジルはキャンサーの身体を起こし、かたかつぎ上げた。

 細く見えたが、キャンサーを担ぎ上げてもジルの足取りは軽く、早足で屋敷やしきの中へ向かっていく。サヤカはなかば走って追いかけなければならないほどだった。

 ジルはある一室のドアを乱暴らんぼうに開け、キャンサーをぞんざいにベッドに放り投げた。

「――ふぎゅっ!」

 顔面からベッドに投げられたキャンサーの変な声がしたが、ジルは聞こえていないかのようにサヤカに振り返る。

「これで満足ですか」

 有無うむを言わせない眼差まなざしに、サヤカはおびえながらうなずく。なぜか、ものすごく怒っている。

「は、はい……。その、何でそんなに不機嫌なの? ……ですか?」

「あなたがこいつの心配ばかりして、俺の話を聞かないからです」

「ご、ごめんなさい……。でも全然目をまさないから、心配で……」

「こいつは眠っているだけです。星の力がなくなったからではありません。こいつの身体は限界だったんですよ。怪我けがをしているにもかかわらず、ほとんど休息きゅうそくなしで動き続けてきたのでしょう。星の力を失って、おそらく気が抜けたんですよ。眠って当然です。説明は以上。質問は受け付けません。ご清聴せいちょうどうもありがとうございました」

「ご、ご説明ありがとうございました……」

懇切丁寧こんせつていねいに説明してくれたけど、めっっっっっちゃくちゃ怖い……! 何? 私一体何しちゃったの? さっきは褒めてたのに何なの!?)

 顔は能面にも似た無表情。まくくし立てる言葉が丁寧で静穏せいおんなのがさらに怖い。

 捲し立てている間、まったく動かなかったジルの眉間みけんに、徐々にしわきざまれる。

「……あなたが今心配すべきは、あなた自身です」

「だから、その、私、元気なんだけど……?」

 どうしてジルがそんなことを言うのか、サヤカにはまったくわからない。

 ジルがじっと見つめてくる。

「本当に、身体は何ともないんですね?」

 サヤカは大きく頷き、何ともないと言うように、手を広げてみたり、その場で飛んでみたりする。ラジオ体操たいそうでもすれば証明になるだろうか。サヤカの動きを見て、ジルは少しだけ表情を緩めた。

「わかりました」

「何で突然、私の身体が心配になったの?」

 何か理由があるようだが、サヤカにはまったく心当たりがない。

「説明しますから、座ってください。……その座り方でいいんですか?」

「今の私にはこの座り方が落ち着くんです……」

 サヤカはもはや無意識に正座になり、床に座っていた。ちらりとジルをうかがうと、あきれてはいたが、先ほどよりは表情が穏やかだ。

「あなたがそれでいいのなら、仕方ありませんね」

 そう言ってジルはサヤカの前の床にこしを下ろす。椅子いすに座っていてもいいのに、と言おうとしたが、その前にジルが口を開き、目線を合わせてサヤカに顔を近づけてきた。

「ちょ、ちょっと! あなたの顔、綺麗きれいすぎて刺激しげきが強いんだから……!」

「サヤカ。俺は今から大事なことをきます」

 その口調と視線の真剣さに、サヤカは慌ててふざけた口をつぐみ、代わりに大きく頷いた。

「先ほど、カルキノスが黒く汚れていた、と言いましたね? そして触れたら、その汚れが綺麗になった、と。これは事実ですか? 他には何がありました?」

 夢かもしれない、とは言えなかった。ジルの真剣な表情にされたのもあるが、サヤカはあれを夢だとは思えなかった。カルキノスに触れた感覚も、手に残っている。

「他には……キャンサーが『カルキノスが苦しんでる』って言ってた。それから、綺麗になった後、カルキノスはちっちゃくなっちゃったの。私の手に乗るぐらい。そのまま、私の手の中に入った……のかな? とにかく消えてっちゃった」

 サヤカはカルキノスの乗っていた手のひらを見つめる。あんなに大きなかにが、手のひらに乗れるほど小さくなってしまうなんて、どういうことだろうか。

 ジルはサヤカの手を見てから、静かに目を伏せた。

「そうですか。ありがとうございます。……これでやっと、わかった。そうか……」

 目を伏せた彼の表情は、どこか安堵あんどしていた。そしてその後、小さくくちびるを動かした。

「――よかった」

 彼はそう言ったような気がしたが、定かではない。ひとごとというより、ジルのむねの中だけの言葉のような気がして、サヤカは聞こえなかったことにした。



※次回:2019年2月25日(月)・17時更新予定

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