第4話 目覚め始める力

 オヤジがしていたことに気づいてからというもの、父の正体を知るべく海翔は何か手掛かりがないかと時折考えてみたが、肝心のオヤジが助けた人々は固く口留めされているわけだし、他に誰か聞くあてがあるわけでもなし、とお手上げ状態だった。

 そんな中、母親と夕食を食べている時にふと閃くものがあり、母に尋ねてみた。

「母さん、変なこと聞くけど、オヤジ一度死んだとかないよね?」

 突然変なことを言い出す息子に母は目を大きくしたが、海翔は言葉を変えて再度尋ねた。

「倒れたとかもないよね?」

 その言葉に母は何か思い出したようだった。

「そう言えば、ずいぶん昔の話になるけど……」

 母は当時の出来事を海翔に話した。

 その日、母が台所に立っていると、外から車の入ってくる音が聞こえてきた。窓から見ると父の車だった。まだ夕刻前である。母は今日は随分早いなと思ったが、そのまま気にも留めず家事を続けていた。しばらくしてふと気が付くと、いつまでも中に入ってこない。変だなと母はもう一度窓から外を見た。車はちゃんといつもの場所にあった。さすがに気になった母は、玄関へと向かった。そして、戸を開けようと手をかけた瞬間、向こうからガラガラと戸が開いたのだった。

「で、どうしたの?」

 海翔が尋ねると、母は答えた。

「どうしたのって聞いたのよ」

「そしたら?」

「ああ、車の脇で倒れてたって」

「えっ、本当に?」

 母は大きく頷いた。

「あんまりけろっとした顔して言うものだから、母さんも『あっ、そう』としか言えなかったわ。後になって心配したんだけど、普段と変わりなく元気だったし、特に病院へ行くこともなく、本人もいいって言うしね。でも、三十分は経ってたと思うんだけど……」

 海翔の心臓は既にバクバク音を立てていた。

「いつの話?」

「そうねー、もう十年以上は経つかしら。そうそう、海翔がまだ小学生のときよ」

「その後、オヤジに何か変わったことはなかった?」

 海翔が最も知りたいことだった。母はしばらく思い出していたが、結局特に何もという答えが返ってきただけだった。

 海翔は部屋に戻ると、ベッドに横になり考えた。

 オヤジも俺と同じように、一度死ぬことになっていたのだろうか。俺の場合は、死なずに済んだけど、オヤジはもしかして本当に一度死んだんじゃないだろうか。現実にはあり得ないような話だが、もしそうだとすると、何か果たすべき使命があってこの世に戻ってきたということか。その使命って……。海翔は葬儀に参列した人々のことを思った。そして、父と同じ使命が自分にも背負わされているのではないか。それが、海翔がこの時得た結論だった。


 花見のシーズンになり、寺の桜の樹も今が盛りとばかりに艶やかな色を境内に添えていた。

 しかし、花の賑わいとは裏腹に、大和尚の心は重く淀んでいた。大和尚は時折忍び来る魔物と死闘を繰り広げていたのだった。このことは明慶には知らされていなかった。知らせたところで、明慶には手の出しようがなかった。すべては大和尚の眠りの中、別次元で起きていることだったからである。

「父さん、最近疲れた顔をしてますが、何かあるのですか?」

「いや。きっと書物を読むのに夜更かしが続いているせいだろう」

 大和尚の答えに明慶は納得を示したものの、心の中ではやはり何かあると確信したのだった。書庫の間に夜遅く明かりが点いていたことは、海翔親子が来て以来なかったのを知っていたからである。明慶はこれまでにも増して用心することにした。


 ちょうどその頃、海翔は再び岩山の夢を見ていた。

 前と変わらぬ光景。その只中に立ったまま、海翔は途方に暮れていた。何をしたらよいかわからなかったのである。抜け出そうと思えば、おそらくは簡単に抜け出せるだろう。しかし、なぜまた自分がここに来たのかがわからなかった。何か理由があるのだろうか。それにしても嫌な空気だな。海翔は思った。

 海翔は何もすることがないのでしばらく立っていたが、何となしにその場でジャンプしてみた。すると、何気ない行動に閃くものがあった。これは夢なのだから、もしかしたら俺の思い通りにしたいことができるかもしれない。海翔は早速行動に移してみた。

 二回目三回目と、ジャンプの高さは最初と何ら変わりはなかった。海翔は大きく深呼吸をして、再度跳んだ。高さは幾分増したものの、さして変わりはない。

「あっ、そうだ」

 海翔は前回夢から抜け出した時のことを思い出した。そこで全神経を集中させ、一念をひたすら跳躍に込めた。

「飛べ!」

 掛け声と共に、海翔の体は宙に浮いた。が、数秒もすると、すぐに落下した。ダメだ。もっと高く、もっと長く。海翔は渾身の力を込めて跳んだ。

 結果は最悪だった。地を蹴る足と体のタイミングが合わず、前のめりになって跳ぶことすらできなかった。夢とは言っても普通の夢とは違うからなのかな。海翔は潔く諦めようと思った。

 その時、海翔の耳を一陣の風が過ぎていった。

「体を使うな」

 海翔は耳を疑った。

「えっ? 今の声はオヤジ? オヤジなのか?」

 海翔は周囲を見回した。あるのは岩ばかりだった。

 いや、聞き間違いじゃない。今のは確かにオヤジの声だった。オヤジがここにいるのか? それとも夢が見せた幻? 海翔は首を横に振った。

 現実の海翔はこの状況を把握し、実際に考えを巡らせていた。

 夢と言えばそうとしか言いようがないが、単なる夢の世界でないのは明らかだ。俺が今目にしている光景、この世界はこの世でもなければあの世でもない。もしかすると、ここが大和尚が言っていた生死を超えた世界、別次元なのか。でも、待てよ。そうだとしても、どうしてこんなところにオヤジがいるんだ?

「オヤジー!」

 海翔は夢の中、大声で叫んだ。しかし、叫び声は遠くに響くも、岩山に吸い込まれるように消えていった。

 なす術もなく、海翔は父の言葉の意味を考え始めた。

 体。自分の体。俺の肉体。何だ? どういう意味だ? 体を使うなってことは、体で跳ぼうとするんじゃないってことだよな。でも、体がないと飛べないし……。いや、待て。体で飛ぼうとしないとすると、何で飛ぶんだ?

 意思、意識か? でも、誰の意識だ? こうして夢を見ている現実の俺か? それともこの世界にいる俺自身のか? 現実の俺が思うから、夢の中の俺も動くわけではないのか? あー、頭がこんがらがってきた。海翔は大きく深呼吸すると、その場に座り込んだ。ここにいる俺は現実の俺の操り人形じゃない。現実の俺もここにいる俺も、俺は俺だ。同じ俺、一緒だ。

 海翔の意識は一つになった。きっと俺は一つの意識なんだ。肉体は道具にしか過ぎない。飛ぶという俺の意識がなければ、肉体は飛べない。

 海翔は雑念を払うと、目を閉じて再び跳躍に意識を集中した。さっきまでの必死な思いとは違う軽やかな気を感じていた。

 辺りの空気が、海翔の気に同調しているかのように静まった。海翔の体がゆっくりと宙に浮いた。そのまま止まるかに見えた体は徐々に高度を増していき、ついには岩山を見下ろすほどの高さになった。海翔は目を開けた。

「うわっ!」

 叫ぶが早いか、海翔の体は真っ逆さまに地面に落ちていった。

「やばい!」

 海翔は夢で何度も経験した落下感を覚悟した。全身を強張らせ、地面に叩きつけられる衝撃に備えた。息が止まるような、胸が抉られるような感覚は、現実にも海翔の体に負担だった。地面に叩きつけられる瞬間、海翔は固く目を閉じた。

 海翔は再び立ち上がると、今度は目を開いたまま意識を集中させた。集中力が高まるにつれて、海翔の目は半開きになっていった。

 すると、海翔の体はスーッと宙に浮き、海翔の意識のままに空中停止した。更にどんどんどんどん高く昇って行くと、再び岩山を見下ろす高さまで来た。海翔はそこで止まったまま、岩山とその周辺を見渡した。

 どんよりとした曇天に覆われた薄暗さは相変わらずだったが、遥か遠くに目をやれば、そこにはどす黒い山が見えた。目下の岩山とは比べ物にならないくらい遥かに大きく、剣のように鋭く高く尖っていた。

 海翔は身震いした。生まれて一度も経験したことのない不気味な恐怖だった。

 あの山は何だろう。海翔は心の中で思った。

「おまえにはまだ無理だ」

 海翔は後ろを振り返った。

「オヤジなのか?」

 返事はなかった。

「オヤジなんだろ? どうして何も答えてくれないんだ!」

 海翔はオヤジの名を何度も叫んだ。だが、冷たい風が音を立てて通り過ぎていくだけだった。海翔は諦めるしかなかった。

 俺にはまだ無理だって、どういうことだ?

 海翔はしばらく落ち着いて考えようと思ったが、現実世界にいる海翔がそれを許さなかった。完全に意識が目を覚ましたのである。海翔は抗いようもなく現実へと引き戻された。

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