第5話 男と女の距離

「え? どうして? それのどこがいけないの?」

 きょとんとするマネージャーに、ゴンベーはあきれたように吐き出した。


「おめぇ本当にマネージャーかぁ? ファンが物まねするのならまだしも、下っ端の下っ端であるエキストラの俺が、先生と同じ撮影現場で、先生の主演作である『金太郎奉行』の決め台詞と見得を切るなんてなぁ


『俺の方がもっとうまくできらぁ』


ってケンカ売っているようなモンだ。その時はその女性は中堅俳優さんのマネージャー”さん”だと思ってたが、そこから先生のお耳に入ってご機嫌を損ねようものなら、撮影現場から追い出されるのはマシな方、演劇、芸能の世界から永久追放されてもおかしくないんだぞ!」


「ふぅ~ん。大御所って頭が固いのね」

 今度はマネージャーがあきれたように鼻から息を吐き出した。


「おいおい頼むぜ。せめて現場での礼儀のイロハぐらいは知っているんだろうな? まぁいいや。青ざめている俺に向かってその女性は近づいてきて


『メイクが薄くなってますね。動かないで下さい』


って腰のポーチから道具を取り出してメイクしてくれたんだ……」


「へぇ~こんな風にぃ~?」

 マネージャーは手を伸ばすと、ゴンベーの頬を指でつついた。


「からかうなよ! んでメイクが終わると

『午後の撮影もがんばって下さい。それじゃ』

って激励してくれたんだ」


「それでどうなったの?」


「午後から先生がメインの撮影が始まり、俺たちエキストラはカメラに写らないところで先生方の演技を間近で”観る”ことができる。これが俺の何よりの楽しみだったんだ。しかし午後の撮影はそれこそ生きた心地がしなかった。なぜなら先生のそばにはその女性がいた……。あの人は先生のマネージャーみたいだったんだ」


「あらら……」

 他人事のようにマネージャーは言葉を漏らす。


「でもその日は何事もなく終わり、それ以降普通にオーティションを受けることができて、普通に落ちた。んで、エキストラとして現場に行くと、その女性がいたんだ」


「ま、マネージャーならあたりまえだよね」


「恐る恐る尋ねるとその人は先生の見習いマネージャーと名乗った。なぜだか知らないが、現場で会う度に先生の物まねをさせられたんだ。もちろん人目の付かないところでな。こっちも先生のマネージャー”さん”だから断ることもできず、辺りに注意しながら先生の物まねをやったけどな」


「なぜその人はマネージャー”さん”で、私はマネージャー呼びなのかはあとで問い詰めるわよ」


「どうでもいいだろそんなこと。んんっ……たった一人でも俺の芸を褒めてくれる。いつしか俺はエキストラとして現場へ向かう目的が先生の演技を観ることの他に、そのマネージャーさんの前で先生の物まねをするのが楽しみになっていたんだ……」


 遠い目をするゴンベーに、マネージャーは茶々を入れずただ微笑んでいた。


「だがな、俺は気がついちまった。いや、あえて気がつかない振りをしていたのかな。いつしか先生とそのマネージャーさんの”距離”に気づいちまったんだ。撮影中の先生は結界を張っているかのように何者も寄せ付けない雰囲気を醸し出している。チーフマネージャーさんでも容易に近づけない程にな。でもあの女性はズケズケと先生に近づいた。あれは俳優とマネージャーの距離感じゃねぇ。それこそ


『男と女の距離』


だとな……」


「……」

 マネージャーは無言で自分の体を眺めた。


「俺は下っ端エキストラだが、演技者の端くれとして人の仕草や雰囲気には敏感でなくてはならない。オーケストラが五線譜に並べられた音符や指揮棒の通りに演奏するように、役者は撮影現場にいるすべての俳優の台詞や演技の掛け合い、間の取り方を魂で感じ取って演技をする。それが悪い方に働いて、知りたくもないことまで知っちまったんだな……」


「で、でも、それこそ気の回し過ぎよ。下っ端エキストラの貴方が気がつくんだから、当然噂になっているわ」


「『女は芸の肥やし』。今の世でこの台詞を吐くと色々うるさいが、先生ほどの人ならそれこそ愛人の五人や十人いてもおかしくねぇ。取り巻きさん達も知っているからあえてなにも言わねぇ。俺と同じエキストラも恐れ多くて口には出せねぇが、腹の中では同じ事を考えていると思うぜ」


 うなだれるゴンベーに向かって、マネージャーは意を決して尋ねた。


「一つ聞いてもいいかしら? なんで私をこの姿にしたの?」


 ゴンベーは顔を上げると天井ではなく、遙か彼方を見つめながら


「『夢』……かもしれないな」


と、ボソッと呟いた。


「……夢?」


「もし俺がメジャーになってマネージャーが付くことになったら、仕事や事務的じゃなく、俺の芸を認めてくれる人がいいな、と常々考えていたんだ。だから、その人の姿にしたわけよ」


「……そうなんだ」


 マネージャーはゴンベーの手の甲に自分の手の平を重ねた。

「お、おい?」

「安心して。私は貴方の専属マネージャー。貴方のすべてを理解して、貴方を最高に輝かせてあげる。行き着く先は天国が地獄かわからないけど、一蓮托生いちれんたくしょうよ!」


「ああ、頼むぜ! 相棒!」


 見つめ合う二人、やがてマネージャーの唇はゴンベーの唇へと近づき……。


「おおおおおいいいいいい! なにしようとしているんだよ!」

 転がるようにゴンベーは後ずさりした。


「なにって? エッチは無理でも、チューぐらいならって思っただけよ。お預けのままじゃ貴方も”溜まっちゃう”だろうし」


「バババババ馬鹿いうな! せ、先生のその、お、女とチュ、チュ、チューなんかできるわけないだろ! 『人の女にてぇだしやがって』って、先生に殺されちまうわぁ!」


「私はその愛人本人じゃなくて貴方のマネージャーなのに、なにびびっているのよ」


「す、す、姿形や声まで一緒だからだぁ~! しかもいつの間にかカーターシャツのボタンまで外しやがってぇ~!」

 口では怒鳴っているが、ゴンベーの視線はたわわにぶら下がった二つの膨らみに釘付けになる。


「谷間ぐらいまではサービスよ」

「ふ、ふざけるなぁ! あの人はそんなことしねぇぞ!」


「”こんな体にした”のはアンタでしょ? 責任とりなさいよ!」

「ひ、人聞きの悪いことをほざくなぁ~! 何が責任だぁ~! 俺はまだなにもしてねぇぞ~!」 


 布団に潜り込んで亀となったゴンベーを、マネージャーはあきれた顔で見下ろした。


「なによいくじなし! そんなへっぴり腰で役を勝ち取れると思っているの!」

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