第1章 ⑦頂に立つ男
「く……!」
虎我に敗北した荒川は担架に乗せられていた。
仰向けのまま拳を振るわせ、悔しそうに唇を噛む。
その目には……光るものが浮かんでいた。
(あ、あの荒川先輩が……泣いてる!)
負けて涙が出るほど悔しい。
それほど真剣にこの一戦に臨んでいたのだ。
無念の表情のまま荒川は南西ゲートから担架で運ばれていく。
複雑な気持ちになりつつ、彰は再び舞台に目を向けた。
そこでは勝者である虎我と、再び登壇した春希が向かい合っている。
アンリミテッドの舞台にはマイクが設置されているので肉声を拾う事ができるはずだが、それでも春希はあえてハンドマイクを使う事にこだわるようだ。
『入学生のみなさん、初めてのアンリミテッドは楽しんでもらえたかな?』
そのマイクにアリーナ席の一年生達は大きな拍手を送った。
おおむね好意的に受け入れられたようである。
『それは良かった。見事な勝利を飾った虎我君にも盛大な拍手を!』
万雷の拍手が降り注ぐ。
しかし、その祝福に虎我は特に反応はせず、目の前の春希にジッと視線を向けていた。
春希の言葉は続く。
『アンリミテッドでは、虎我君を中心とした球技系の部活と、荒川君を中心とした格闘技系の部活とが激しい抗争を繰り広げているんだ』
「おいおい、春希。繰り広げているじゃなく、いた、だろ?」
と、虎我がマイクを肉声で遮った。
「格闘技の部活の奴らに気を遣って、さも俺達との抗争が拮抗しているかのような印象操作は止めようぜ? よう、一年の坊主共。俺が『現実』を教えてやるよ。この抗争は俺達、球技陣営の圧勝だ! 証拠? それは、アンリミテッドのランキングだよ。表示できるか?」
『もちろん』
春希がスタッフに指示を送ると、すぐに会場の壁に設置された巨大モニターにランキングの上位陣の名前が表示される。
二位
三位
四位
五位
確かに虎我の言う通り、ランク上位陣は球技系の部活ばかりだ。
「このランキングで五位までの面子は、未だ無敗。格闘技系の部活の奴らは、誰も俺達に土をつける事ができなかった。おまけにさっきの試合で、俺は格闘技のヤツらの中じゃ最高ランクの七位だった荒川もやっつけた。もうこれで格闘家連中との抗争は終戦でいいだろ? 今日の試合を受けたのは、それを宣言するためだ!」
その言葉に一年生達は面食らった。
第一話かと思ったら、いきなり最終回を宣言されたようなものなのだから当然である。
『それは、もうアンリミテッドで戦う興味を失ってしまったという事かな?』
「はあ!? 誰もそんな事言ってねえだろ! 俺には倒さなくちゃならない相手が二人いる。そいつらとのカードを組めって言ってるんだよ! よお、一年坊主共。お前らはランキングの一位が空欄になっている事に気づいてるか?」
「え?」
彰は巨大モニターのランキング表を確認する。
確かに一位が空欄になっていた。
「そこにいたヤツの名前は、
その発言に彰は驚く。
果たして、どのような手段で文化系の部活の選手が無敗の虎我達よりも上のランクに昇りつめる事ができたのか……?
「理由は簡単だ。俺達、球技系の部活と格闘技系の部活が抗争を繰り広げている隙に、幸人は毎週のように試合をやってザコ相手に勝利してポイントを稼いでやがったんだ。まあ、いくら上位陣を狙わないとはいえ、ただのザコじゃできねえ芸当ではあるがな」
『そんな大河内幸人君は、どうしてランキングから名前が消えてるんだろう?』
「って、俺に全部を説明させる気かよ!? 面倒くせえ、お前がやれ!」
虎我が物凄い形相で睨み詰めるも、春希は「了解したよ」と涼しい顔で受け流す。
『大河内幸人君は僕の大切な友人でもあるんだけど……実は、数日前から行方不明になっているんだ』
思わぬ事実に会場がざわめいた。
『一週間前、春休みを利用して外泊した際に姿を消してしまった。我々も全力で行方を探しているが、未だ足取りは掴めていない……』
春希はその時、初めて表情を翳らせる。
『本来であれば許可も無く学校を休むのは校則違反、ランキングからも除外するのが妥当なのだろうけれど……僕は、何か理由があって幸人君が姿を消したと思っている。そして必ずここに戻ってくると……だから、その時まで幸人君のランクである一位は『空位』のまま残しておこうと思っているんだ』
舞扇高校の生徒会長的な存在である春希からは絶大な信頼をおかれ、さらにはランキング一位の虎我敬司に匹敵する戦績を持つ大河内幸人という人物――
(一体、どんな人なんだろう?)
彰は、熊のように巨大で獰猛な男の姿を何となく想像してしまった。
そのイメージに近い風貌の虎我が口を開く。
「まあ、いないヤツの事は後回しにすればいい。俺にはもう一人、倒したい奴がいるからよ」
と、虎我が春希の方を向く。
「風紀会会長――この舞扇高校で頂点に立つお前だよ、春希!」
まさかの宣戦布告に、春希は驚いた顔を見せた。
『僕と戦いたいのかい?』
「俺は知ってるぜ? お前、幸人のヤロウとランキングが一位になれば手合わせするって約束してたそうじゃねえか?」
『うーん、それは幸人君との雑談の中で何げなく発した口約束なんだけどね。それがいつの間にか広まって、アンリミテッドの頂点に立てば僕と戦えるなんて事になっているみたいだけど……。僕の試合なんか見てもつまらないと思うよ?』
「それは、自分には良い試合をするだけの実力が無いという意味か? それとも、自分が強過ぎるから俺達じゃ相手にならないという意味かよ?」
『ご想像にお任せするよ』
にこやかに春希は言う。
「ケッ! この瞬間も、隙を見せれば襲いかかってやろうと狙ってるのに、そんな隙を微塵も見せねえ野郎がよく言うぜ」
『怖いなぁ、虎我君は。そんなのはただの買い被りだよ』
謙遜なのか、それとも本気で言っているのか……
春希の言動は掴みどころがない。
「どうだか……。まあ、お前と戦いたいというのは俺だけじゃない。ランキング上位陣のヤツらの新たな目標になっちまってるんだよ。それに考えてもみろ、数十年後、早ければ数年後かもしれねえ。こいつは日本の経済界を牛耳る舞扇勝春に代わり舞扇財閥のトップに立っているはずだ」
微笑む春希は、否定も肯定もしなかった。
ふんっ、と鼻を鳴らして虎我は言葉を続ける。
「舞扇財閥のトップの座を手に入れれば、ここにいる奴ら全員、誰も追いつけなくなるだろうよ。どんな一流のスポーツ選手になろうが、大企業に就職しようが、こいつの持つ権力には敵わなくなる。けど、今ならよ……高校生であり、アンリミテッドという競技の場がある舞扇高校でなら、こいつに勝つ事もできるんだ! 俺達はよぉ、一位入試でここに入ってきたんだ! そうだろ? なら、本当のトップを目指さなくてどうするよ!?」
その言葉に会場はワッと盛り上がった。
少し粗暴だが、それでも虎我という男の言葉には人を惹きつける力がある。
「会長さんよぉ、お前が戦うと約束した大河内幸人はもういねえ。なら、代わりに俺とやろうぜ? もし、まだ俺に実績が足りねえと言うんなら、無敗の美波、津田、堀川の三人の首を手土産にしてやるよ。誰が一番になって舞扇春希と戦うのか……そのゴールを明確にしてよ、このアンリミテッドに新たな対立軸を盛り込もうぜ。なあ、お前らも戦う風紀会会長が見てえだろ!?」
虎我からの問いに、
「「「おおおおおお!」」
会場は大歓声で応えた。
スタンド席だけでなく、アリーナ席の一年生までもが声を上げている。
「なあ、会長。いい加減、腹を括っちまおうぜ? 誰の目にも舞扇高校で一番の生徒がお前だって事は明らかだ。つまり、舞扇春希こそがチャンピオンなんだよ。いい加減、防衛戦をやろうぜ? いつまでも逃げてねえでよ。お前らもそう思うだろ!」
虎我は完全に観客を味方につけていた。
春希の決断を促すよう、客席からは巨大な「春希」コールまで巻き起こっている。
彰も思わず手を叩いていた。
その声を聞いて――
『……分かった。そこまで言うなら、一番になった人と戦わせてもらうよ』
春希の決定に大歓声が巻き起こる。
「
『もちろん。しかし、ただ空位のランキング一位の生徒と戦うのでは普通過ぎて面白くないかな。だったら、こういう趣向はどうだろう? ここに風紀会の部室のスペアキーとして作った五つの鍵がある。これをランキング上位五名に配るよ。鍵の持ち主に試合で勝利すれば、鍵を奪う事ができる。この鍵を五つ集めた者と戦う事にしよう。僕としても、風紀会の部室の鍵を取り戻すという口実ができる』
「へっ、五つの鍵が通行手形ってわけか。おもしれぇ、俺は乗ったぜ! 残りの三人も依存はないだろうよ」
『じゃあ、まずは虎我君に鍵を渡そておこう。サッカー部の美波君、バレーボール部の津田君、テニス部の堀川君にも後日、改めて鍵を渡す機会を設けさせてもらうよ』
春希の手にあるシルバーの鍵を、虎我はひったくるようにして受け取る。
『そうなると残る鍵は一本だね。一位の大河内幸人君は欠場扱いだから、現在ランキングが六位の人に鍵を渡すのが妥当かな。彼は虎我君と同じ野球部だから、ここで少し紹介しておこう。現在、アンリミテッドで六位にランクインしているのは――』
と、そこで突然、春希が身体を大きく後ろに反らせた。
次の瞬間、先程まで彼の顎があった空間を何かが切り裂く。
それは脚だった。
「!?」
わずかに時間差を置いて会場がざわめく。
何者かが春希を襲撃したからだ。
虎我ではない。
黒く小さな影――
その襲撃者は舞台下から突如として舞台に上がると、一瞬で接近したかと思うと鋭い右のハイキックを放ったのである。
「あっ!」
その乱入者は、波止場で彰が出会った黒ずくめの少女――秋那だった。
突然の出来事に会場内がどよめきに包まれる。
そんな中、秋那は犬歯を剝き出しにするほどの獰猛な顔つきで春希を睨み付けた。
まるで獣である。
初対面の時の無表情に近かった彼女とはまるで別人のようだ。
そんな秋那が再び春希に仕掛けようとするが、
「あ、あいつを取り押さえろ!」
そうはさせじと、屈強な体格の警備員達が北東通路から雪崩れ込んでくる。
イベントに乱入して妨害する事はとてつもない違反行為だ。
それが比較的トラブルに寛容なプロレスであっても、選手に観客がちょっかいを出せば問答無用でセコンドに控室へと連行される。
黒ずくめの少女も同じ運命を辿るかと思われたが、
『待った』
それを、春希は手で制して止めさせた。
『大丈夫。その子は僕のキョウダイだから』
(え!?)
まさかの血縁関係に彰は驚く。
『彼女は僕の妹……おっと、失敬。僕の弟だから』
さらに驚いたのは、本当は女の子なのに、兄である春希が『弟』と口にした事だ。
あの春希が性別を覚えていない、とも考えにくい。
最初は妹と口にしたのもワザとそうして相手の反応を窺ったようにも見える。
一体、この兄妹はどうなっているのだろうか……。
『久しぶりだね、秋那。元気だったかい?』
舞扇……舞扇秋那。
それが黒ずくめの少女のフルネームのようだ。
『ふふ、一年前と比べて見違えるように強くなったね。最低限の出席日数分だけ学校に通い、長期休暇には住み込みで修行に明け暮れていたと報告を受けているよ。久しぶりの再会を歓迎したいところなんだけど……舞扇高校は部外者の立入が禁止されているんだ。船を使わないと容易には上陸できないようにとメガフロートの陸地から海面までの高さは多めに取ってあったと思うんだけど、誰かに潜入の手助けでもしてもらったのかな?』
ギクッ、と、手助けした当事者の彰は冷や汗を流す。
兄からの質問に、
「………」
秋那は沈黙のままだ。
『まあ、中学二年生までの君はとても優秀だったから、一位入試の条件は満たせているだろう。僕の権限で君を舞扇高校の生徒にする事もできるけれど……それでいいかい?』
「………」
『沈黙は肯定という意味に取らせてもらうよ。どのみち、僕は君の監視を父から命じられているからね。この舞扇高校にいてもらった方が何かと都合が良い』
「………」
秋那は何も言わない。
ヒリヒリとした空気の中、ただ、春希に憎悪の目を向けている。
『……そんなに、僕を倒したいのかい?』
当たり前だ、と言わんばかりに秋那は牙を剥いで襲いかかろうとするが、
「おっと、待ちな」
その進行を虎我が遮った。
「おい、クソ弟。いや、妹か? どっちでもいいが、何を勝手に春希と戦おうとしてるんだよ。今までの話を聞いてなかったのか? 春希に挑むには『資格』が必要なんだよ! この鍵がなっ! キョウダイだが何だか知らねえが、そんなもんは関係ねえ。資格が無いやつはとっとと失せやがれ!」
右手で挑戦者の証である鍵を掲げつつ、左手のバットで相手を牽制する虎我。
「………」
それでも秋那は引こうとしない。
まずは邪魔をする虎我に襲い掛かろうとする――
「!」
が、再び前に出ようとした秋那の鼻先をものすごい速さの赤い球体が通過していった。
虎我と同じユニホームを着た男が、横から赤いボールを投げつけたのである。
野球の硬球だった。
わざと外したのか、それとも秋那が足を止めたので頭部への直撃を免れたのか……
赤いボールは反対側にスタンバイしていた別の野球部員のグローブに収まる。
見ると、舞台の周囲は無数の野球部員達に取り囲まれていた。
「春希会長や虎我さんの手を煩わせるまでもないっスよ」
と、赤いボールを投げつけた角刈り頭の男が秋那の前に躍り出る。
虎我と同じ野球のユニフォームを着た男だった。
「この無礼なニューフェイスには、この俺が礼儀というものを教えてやりますよ。ランキング六位、野球部二年のエース、
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