第1章 ⑥野球部 VS 空手部

 まずは、空手部の荒川が仕掛ける。


 虎我に対して右手を突き出した。


 その先端は拳ではなく――五本の指。


 指を伸ばし、その先端で突く貫手(ぬきて)だ。


 威力ではパンチに劣るものの、指の長さ分だけリーチを稼ぐ事ができる。


「うっ!」


 だが、その指先が届く前に虎我のバットが荒川の胸を突いていた。


 指の長さ分のリーチに対し、向こうにはバット一本分のリーチがある。


 どちらが有利かは火を見るよりも明らかだ。


 これが剣であれば荒川は身体を貫かれていただろう。


 バットで突かれても死にはしないが、だからといって、バットを用いた突きの威力が軽いわけがない。


 荒川はダメージに顔を歪めつつ後退するが、


「このっ!」


 すぐにステップを踏んで前に出てきた。


 虎我が突き出したバットを引くタイミングに合わせたのである。


 充分な『溜め』がなければ威力のある突きは放てない。


 それを見越して荒川はステップインし、右のハイキックを放つ。


 が――


「左足がお留守だぜ!」


 それが届くよりも前に、虎我はバットの先端で軸となる左足の膝を突いた。


「!」


 溜めが無い分、突きの威力としては弱い。


 しかし、すべての体重を支える軸足の膝関節の曲がらない方向に力を加えるのである。


 ダメージを与えるには充分過ぎた。


 格闘技においては『関節蹴り』と呼ばれる技である。


 それを虎我はバットで実行した事により、敵の蹴りの威力を大幅に削いだ。


 荒川はバックステップで距離を取る。


 その動きは俊敏だが、顔には苦痛の色が浮かんでいた。


 もしかしたら膝関節を痛めたのかもしれない。


 さすがの荒川も、バットによる関節攻撃までは読めなかったようだ。


 再びバットを日本刀のように前で構える虎我。


 ならばと荒川は――


「セイヤッ!」


 かなり遠い間合いから反時計回りを始める。 


 そして、左足!


「おっ!?」


 後ろ回し蹴りで虎我の赤いバットを器用に蹴り飛ばす。


 格闘技においてガードの固い敵の突破口を開くために相手の腕を攻撃して消耗させる事は有効な戦法の一つ。


 それを荒川はバットに対して実践してみせた。


 左の後ろ回し蹴りを食らい、虎我は思わずバットから左手を離す。


 右腕ごとバットが後方に持っていかれ、身体も流され、虎我の左肩が荒川の方を向く。


「今だ!」


 突破口が開いた――かに見えたが、


「甘いぜ!」


 次の瞬間には、虎我は再びバットを両手で握っていた。


 相手に対して身体の側面を向ける。

 その姿は、おそらく誰もが見覚えのある――


 そう、右のバッターボックスでの構えだ。


「なっ!?」


「ここからは野球でお相手するぜ!」


 言いながら、虎我は一瞬の溜めを作り、全ての力を赤いバットに込めて――


 フルスイングする!


「くっ」


 咄嗟に荒川は右腕を上げてガードするが、


「うわっ!」


 その防御ごと虎我は相手を吹き飛ばした。


「どうだい、俺様自慢のフルスイングの味は? バッターは、数百キロで飛んでくる七~八センチほどの硬球を難なくバットに当てられるんだぜ? 一メートル以上はある人間の身体なんか、目をつむってもヒットさせられるってーの!」


「ぐ……」


 起き上がる荒川であったが、バットを食らった右腕は痙攣するように震えている。


 拳を握る事すらままならない。


(野球部が、空手部を圧倒している!?)


 誰よりも荒川の強さを知る彰は、その事実が信じられず、混乱もしていた。


 その後も荒川は攻めるが、なかなか突破口を開けない。


 まさに虎我は難攻不落の城塞だった。


 そのスタイルは剣術であり、格闘技であり、そして野球でもある。


 虎我の戦い方は変幻自在だ。


「さあ、もう終わりかい? 空手部のエースさんよ」


 虎我は不敵に笑う。


(これじゃあ、荒川先輩が得意としている鉤突き(かぎづき)も使えない……)


 彰は自分の腹のあたりに触れつつ思った。


 鉤突きとは、ボクシングでいうところのボディフック。


 曲げた腕で外側から敵の胴体を打つ攻撃だ。


 フルコンタクト空手の試合では互いのボディを何発も殴り合う。


 荒川も何発と殴られ、殴り返し、そうやって強力な鉤突きを身に付けたはずだ。


 彰も何度となく『腹パン』されてきたので、その威力は知っている。


 鉤突きさえボディに届けば、虎我も悶絶するに違いない……と、彰はいつの間にか荒川に肩入れした見方をする自分に気が付いた。


 圧倒的に劣勢な荒川を見て、判官贔屓のような感情を抱いてしまったのかもしれない。


 中学時代はあんなにも化物じみて強かったのに……それを易々と圧倒する虎我を目の当たりにして、彰はアンリミテッドの異常さを思い知る。


 このままでは荒川の敗戦濃厚という空気が場内に満ちるが、当の本人は動きを止めない。


 前後左右に絶えず動きながら機会を窺っている。


 荒川の目の光は、まだ消えていなかった。


「へぇ。第一空手部の他のザコ部員共は、今みたいな状況に陥ったら戦意を失って試合を投げ出しちまう腑抜けばかりだったが……部長のお前は少し違うようだな。けど、無様な結果だけは変わらねえぞ?」


「虎我ァアアアア!!」


 再び自らを鼓舞するように荒川は吼え、突っ込んでいく。


「ハッハッ! いいねぇ。荒川!」


 虎我は唇を歪めつつ、今度は自らの意思でバットを頭の横に引いた。


 そして、二度目のフルスイングを放つ。


 赤いバットが荒川に迫るが――


 ビュン!


 そのスイングは空を切った。


「おっ?」


 地面に対し水平に動くバットの上を、まるで棒高跳びのように荒川の身体が通過していく。


 胴廻し回転蹴りによって。


 空中で身体を回転させながら蹴りを浴びせる、空手の中でも派手な技の一つだ。


 同時に、胴廻し回転蹴りは当てるのが難しい技でもある。


 荒川の足は……虎我に届かなかった。 


 しかし、空中にいる彼の顔に落胆は無い。


(そうか!)


 ここで、彰は荒川の狙いに気づいた。


 この胴廻し回転蹴りは、虎我を倒すための技ではない。


 バットによる攻撃を回避して、敵の懐に接近するための布石だったのである。


 難攻不落の城、その城門を荒川は見事に突破してみせた。


 フルスイング後の虎我の無防備な懐に潜り込んだ荒川は、


「せいっ!」


 拳を固め、左腕を曲げて得意の鉤突きを放つ!


 左の拳が弧の軌道を描き、剥き出しの虎我の右脇腹に――


「!?」


 打ち込まれなかった。


 虎我が右の掌で荒川の拳を弾いて受け流したからである。


 ボクシングにおけるパリィと呼ばれる技術だ。


 いつの間にかバットから右手だけを離していた虎我が、その手で荒川の鈎打ちを防いだのである。


 しかも相手の方をまったく見る事なく……。


 それはつまり、敵の動きや狙いを完全に察知していたという事だ。


 鉤突きを防がれて驚き、距離を取る荒川に顔を向けながら、


「惜しかったな、荒川。俺は四番バッターであると同時に、守備ではキャッチャーも務めているんだぜ。キャッチャーは、すべてのポジションの中で最も広い視野を持つ。その中でも超一流である俺の目は『神眼』と呼ばれてるんだ。お前も悪巧みを見抜き、なおかつパリィする事くらい朝飯前だ」


 虎我はニヤリと笑う。


 大それた言葉には聞こえなかった。


 それだけ特出した強さを虎我からは感じてしまう。


 一方の荒川の顔には今、悲壮感が満ちていた。


 心が……折れかけている。


「ヘイヘイ! どうした、荒川。まだ試合は続いてるんだぜ!」


 威嚇するように吠えながら、剣の構えになった虎我が自ら前に出てくる。


「う、うわあああああ!」


 もう攻撃を食らいたくないと思ったのだろう、荒川はガムシャラにバットを両手で握り締めた。


「ば、バットさえ封じてしまえば……!」


「んなわけねーだろ」


「なっ!?」


 次の瞬間、荒川の身体が左右に大きく動く。


 虎我が、バットを使って荒川の身体を応援旗のように振り回し始めた。


(な、なんて怪力!)


 もはや人間業ではない。


 重機のような圧倒的なパワーで数秒ほど振り回された荒川は――ガシッ!


 一回転しながらガラスの地面に叩きつけられる。


 バットから手を離せなかったせいでうまく受け身が取れず、荒川は背中を海老のように反らせて悶絶した。


『そこまで!』


 次の瞬間、春希が試合を止める。


 完勝だった。


 虎我は肩に赤いバットを乗せ、ニヤリと笑いながら敗者を見下ろす。


「これぞ野球と剣術を融合させた虎我流剣術の力だ。よう、荒川。ボールのように俺のバットで転がされた気分はどうだい?」


「く……そっ!」


 荒川の意識はまだ残っていて、必死に起き上がろうとしていたが……


 これ以上、試合を続けられない事は誰の目にも明白である。


 とんでもない一戦だった。


 唖然とするしかできない入学生達とは対照的に、先輩達は拍手喝采を送っている。


 そんな中、


「残念だったな、荒川。十点差のコールドゲームだ。つまり、俺とお前との差は十倍だったってわけだ!」


 赤いバットを掲げて勝ち誇る虎我の充実感に満ちた声が会場に響いた。

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