第1章 ⑤アームズ・グローブ

『通常であれば一つのイベントで四、五試合が行われるんだけど、これは入学式の余興でもあるから今日は一試合だけにしておこうと思う。けれど、入学生のみんなにとっては初めてのアンリミテッド体験でもある。その試合は最高のものを提供したい』


 一試合だけと聞いて、彰はワンマッチ興行という言葉をイメージした。


 文字通り一つの試合だけでイベントを開催する事で、コスト面などではメリットもあるが、よほど魅力的な対戦カードでなければ観客を集められないという難しさもある。


 だが、舞扇武闘館は超満員だ。


 在校生や海上学園都市の住人としても、かなりの期待を集める対戦カードなのだろう。


 その熱気を観察するために会場の中をぐるりと見渡した時、彰は四方の壁に巨大なモニターが設置されている事に気づいた。


『では、本日の対戦カードを発表するよ!』


 そのモニターすべてに、二人の男の名前が大きく表示される。


 虎我こが敬司けいじ(野球部)

 VS

 荒川あらかわまこと(第一空手部)


「え!?」


 それを見た彰は我が目を疑った。


 空手部の選手の名前に見覚えがあったからである。


(ま、まさか、空手部の荒川さんって……?)


 その、まさかであった。


 名前が表示された直後には両選手の顔写真も映し出されたのだが、短く刈った茶髪、頬にできた大きな一文字傷……それは彰のよく知る荒川真の顔だった。


 一つ年上の先輩である。


 同じ中学に通っていて、よくサンドバック代わりとして暴力を振るわれていた。


 彼のパンチ――特にボディへの突きはとても痛い。


 ワザと痛がるフリなんてできないほどの威力があった。


 上半身に今でも残る痣のほとんどが、荒川につけられたものである。


 素行不良で問題行動も多かったが、他校の不良や暴走族を排除するなど武勇伝も多かった。


 あまり顔を合わせたくはない人物だが……その強さが本物である事は、彰の肉体が実感を伴って知っている。


 空手は中学二年の時に辞めたと言っていたが、高校になってまた再開したようだ。


 やがて選手の入場が始まる。


 照明が落ちるとアップテンポな曲が流れ、会場の北東と南西をスポットライトが二ヶ所同時に照らし出す。


 どうやら選手入場は同時に行われるようだ。


 北東通路からは、虎我敬司が――


 南西通路からは、荒川真が――


 それぞれ、客席の間にある通路から入場してくる。


 その白い空手着姿にも見覚えがあった。


 だが、あの頃よりも身体の厚みは増している。


 高校に入ってからかなりの鍛錬を積んだようだ。


 両手には青いオープンフィンガー・グローブ。


 荒川は舞台の前で十字を切り、気合を入れた。


『荒川真君は、中二で空手を辞めるまでは負けなしで何度も優勝の栄冠を勝ち取っている。中学生活の後半はヤンチャしていたようだけど、高校に入ってからは心を入れ替えてフルコンタクト空手に打ち込んでいるよ』 


 フルコンタクト空手とは、直接打撃制――当てる空手の総称である。


 しかし、そんな春希のマイクが掻き消されるくらいに会場はどよめいていた。


 北東通路に現れた野球部の虎我敬司を目の当たりにして、である。


 真っ赤な野球帽を被った彼の顔には彰も見覚えがあった。


 昨年の甲子園、舞扇高校を全国大会の頂まで導いた名捕手としてテレビや新聞で大きく報道されていたからである。


 昨年の甲子園の『顔』がいきなり登場したのだから、これはすごいインパクトだ。


「本当に虎我こがだ!」


「野球部のキャプテンがいきなり出てくるのかよ!?」


「甲子園のスターが参戦なんて、アンリミテッドすげえ!」


 他の入学生達は驚きと興奮を隠せない。


 帽子の色は赤、ユニホームには白地に赤のラインが入っている。


 背番号は『2』――高校野球ではキャッチャーによく与えられる番号だ。


 短髪の黒髪、こんがりと焼けた肌は陽の下での練習量の多さを感じさせる。


 目つきは鋭く、口ではガムを噛んでいた。


 その右手には、非常に目立つ赤色のバットが握られている。


『虎我敬司君については、僕の口から紹介するまでもないみたいだね。知っての通り、彼は野球部の名捕手であり、打線の要の四番バッターでもある。だから愛用の木製バットという武器を使って戦う事になるわけだ』


 高校野球では金属バットを使用する学校がほとんどだが、虎我は木製バットを愛用しており、それで何十本もホームランを量産している事からテレビにも取り上げられていた。


『さて、アンリミテッドで使われる武器についてなんだけど、安全面に配慮して実は表面全体を薄い特殊ゴムで覆っているんだ。そうする事で、肉体への後遺症となるダメージを最小限に抑える事ができる。拳にグローブをつける事と発想は同じさ。虎我君の木製バットも特殊なゴムでコーティングしている。もちろん、当たった瞬間はすごく痛いけどね。


 我々は、これを『アームズ・グローブ』と呼んでいる。独自に開発した特許申請中の新技術さ。武器全体にコーティングしても、重さや反発性はほとんど変わらないから、球場と変わらぬテクニックを披露してもらえると思う。あっ、これも部外者には内緒だよ?」


 さすがは舞扇財閥、物凄い技術力だ。 


『この試合は野球部と空手部の部長同士の激突だから、部の看板を賭けた頂上対決という見方もできるね。アンリミテッドでは、長きにわたって野球部と空手部は激しい抗争を続けてきた。その最終決着戦が、いよいよここで実現するんだ!』


 春希のマイクに、スタンド席が「ワッ!」と盛り上がった。


 球技VS格闘技という対立概念は、初期の総合格闘技の『打撃VS寝技』の構図にも通じるものがあり、何とも興味を引き立てる。


 だが、一方でどんなに武器を持とうと、相手を物理的に傷つける技術はほぼ無いに等しい球技の代表である野球部がまともに戦えるのか……という疑問もあった。


 ネームバリューのある芸能人が格闘技に挑戦する、それに似た危うさを彰は抱いてしまう。


 しかし、野球部の虎我の顔に不安の色は微塵も無かった。


 二人の選手が舞台脇にある鉄製の階段を使って舞台に上がる。


 それを春希は満面の笑みで迎え入れた。


『さあ、いよいよ究極の異種格闘技戦が始まるわけだけど、実は戦いの舞台はまだ完成していないんだ。アンリミテッドの最大の特徴とも言えるルールは、閉鎖空間の中で戦うという事。じゃあ、今からその舞台を完成させよう!』


 春希が言った直後、会場の中央の舞台の天井が左右に開き、その中から巨大な物体が静かに降りてきて入学生をどよめかせる。


 それは底の抜けた透明なガラスの立方体だった。


『アンリミテッドは『キューブ』と呼ばれる、この四角いガラスの立方体の中で戦う事になるんだ。ガラスといっても、叩いたりボールをぶつけたりしたくらいではビクともしないよ。これも舞扇財閥の技術力と資金力で生み出した、特殊強化ガラスなんだからね』


 底の抜けたガラスの立方体は十秒くらいかけて、スムーズかつ静かに降りてくる。


 それまでに春希は舞台から降りていた。


 キューブの中には虎我と荒川だけが残される。


 よく見ると、舞台の床も強化ガラスでできているようだ。


 まるで空中で対峙しているようにも見える。


 それは『自由』という言葉を連想させ、何でもアリというコンセプトにはピッタリの舞台であるように彰には思えた。


 照明の光は、反射しないように計算して当てられているらしい。


 入場曲は止み、独特の緊張感が会場に充満する。


『試合は無制限一本勝負。目つき、噛み付き、急所攻撃、素手による打撃は反則で、対戦相手を拳で殴る場合はグローブを着用しなければならない』


 よく見ると、野球部の虎我も赤いオープンフィンガー・グローブを装着していた。


 バットだけでなく、乱闘時のような打撃も使うのかもしれない。


『レフェリーは、この僕がリングサイドから務めさせてもらうよ。危険だと判断したら、すぐに試合を止めるからね。それから、キューブを構成する特殊強化ガラスには外部の音の多くを遮断してしまう効果があるけど、決して外の声が聞こえないという事はないから、みんなはぜひとも大きな声で中にいる選手にも届くように応援して欲しい。


 ちなみに中にいる二人の会話は、ガラスの立方体の角に設置された小型マイクによって拾われるから、そのあたりの駆け引きも楽しんでね。では――』


 スッ――と春希がキューブを指さし、


『アンリミテッド、始め!』 


 その掛け声が試合開始の合図となる。


「――虎我ァ!」


 先に吠えたのは、荒川だった。


「今日こそ、空手が最強だという事を証明してやる!」


 その低音の声も彰にとっては馴染み深い。


 対する虎我は、


「ったく、暑苦しいヤロウだな。まあ、ウチの野球部のヤツらが何人かお前の世話になったみたいだから、その落とし前はつけさせてもらうぜ。俺としても、ウゼェ空手バカの挑発には辟易してたところだ」


 好戦的な笑みを浮かべながら赤いバットを両手で握るが、その構えはバッターボックスでのものとは違っていた。


 バットを頭の横に引くのではなく、身体の正面で構える。


 そう、まるで刀のように――


 棒状のバットを日本刀のように扱う。


 合理的だと彰は思った。


 通常のバットの長さは八十五センチ程度、一般的な日本刀は六十センチ以上のものを指し、サイズ的にも両者は似通っている。


 刀の柄を握る時は右手と左手を離すものだが、虎我はバッティング時のように両手をくっつけるようにしてバットを握っていた。 


「………」


 空手着の荒川が身体を前後に揺らす。


 なかなか……踏み込めない。


「どうした? ビビってないで攻めてこないと、俺の方がお前より三倍以上強いって観客に知られちまうぞ?」


「ふん、剣道三倍段か……世迷言だな」


「ああ、俺もそう思うぜ」


「なに?」


「この試合が終われば『野球六倍段』と呼ばれるようになるだろうからな。剣道がもてはやされた時代はもう終わったんだよ」


「……俺の空手より、お前の野球の方が六倍強いと?」


「お前のザコ空手と比べたら、野球七倍段になっちまうかもなぁ!」


 虎我の煽りに、みるみると荒川の顔が赤く染まっていく。


 このあたりの挑発の上手さは、野球ではキャッチャーを務める虎我ならではの武器かもしれない。


「殺すッ!」


 荒川が仕掛けた。


「やってみな!」


 虎我が威勢良く呼応する。


 空手と野球の頂上対決が始まった。

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