第1章 ③彰の処世術
振り返ると、そこには制服姿の男子が二人立っていた。
しかし、彰が着ている制服とは違う。
彼らが着ているのは詰襟の学生服で、丈が長く、裏地が紫色の『長ラン』と呼ばれるものだった。
服装は自由と書かれていたので、これまで打ち込んできたスポーツのユニホームを着ている者は多くいたが……
まさか校則違反の制服でやってくる人がいるとは思っていなかった。
染めた髪色も派手で、右手にはタバコ……この二人が不良だという事は、火を見るより明らかである。
こういった類の生徒は、中学時代ではなく、小学生の頃の実績で一位入試に合格しているという話を彰はフェリーの上で耳にしていた。
「あー、何時間もトラックの助手席に座ってたから、身体がナマッてやがるぜ。ここらで女の子を暗がりに連れ込んで襲おうとしている変質者でもぶっ飛ばして、かわいこちゃんに良いところでも見せとくか!」
リーゼント頭の不良が右手に持っていたタバコを捨て、拳を鳴らし始める。
「ん? ってか、その黒い服のヤツって女? おっぱいとか全然ないけど……」
と、隣にいた金髪の連れが首を傾げた。
パーカー姿になると、黒ずくめの少女――
もしかしたら、サラシでも巻いているのかもしれない。
「だったら、そいつの黒い服をひん剥いて確かめようぜ!」
と、リーゼント頭の不良は信じられない言葉を吐き、下卑た笑みを浮かべた。
このままでは秋那をトラブルに巻き込んでしまう。
(僕の巻き込まれ体質のせいで……)
それだけは何としても避けたい。
彰はサッと考えを巡らせて――
このトラブルを切り抜ける最善の方法を導き出し、それをすぐ実行した。
「……え、えっと、すみません。『彼』は僕の友達なんです」
彰は、秋那が脱がされる事のないように『彼』という部分を強調しながら言う。
初対面の人に声をかけるのは苦手だが、初対面の不良に声をかけるのは慣れていた。
「誤って海に落ちたから引き上げていたんですよ。だから、ご心配なく……」
左手で後頭部を掻きつつ、あえてヘラヘラした態度で不良に近づく彰の左脇腹に――
「うっ!」
不良の右拳が突き刺さる。
……彰の思惑通りに。
(かかった)
数多くの暴力を受けた結果、彰はある事実に気づいていた。
予想外の攻撃はとてつもなく、効く。
けれど、その逆――
予想の範疇の攻撃ならば、それほど効かない。
あらかじめ殴られる場所が分かっていれば、それを受ける準備と覚悟ができる。
先程の場面、彰には二つの理由で左脇腹にパンチが来ると分かっていた。
理由の一つは、リーゼント頭が右利きだったから。
もう一つは、左手で頭を掻く体勢になる事で自然に左脇腹を無防備にさせていたからだ。
この時、左肘の先端は相手の顔に向けておく。
(こうしておけば、顔を殴られる事はない)
彰は後頭部を掻くフリをして、左側頭部をガードしていたのだ。
この時、右腕は脇を締めるようにして、それとなく右側の頭部と腹部を守っていた。
これらの動作で、彰はリーゼント頭にワザと左脇腹を殴らせたのである。
もちろん痛みはあるが、左腹筋に力を入れていたので悶え苦しむほどじゃない。
しかし、彰はあえてリーゼント頭のフック気味のパンチにタイミングを合わせて、大袈裟なくらいに真横に飛んでみせる。
「うわっ!」
そのまま悲鳴と共に、後頭部を打たないよう受け身を取りつつ右半身から倒れた。
「ヒュー! さすがはリョウスケ君! 小学生空手チャンピオンのパンチの威力は衰えてないぜ!」
「当然! この拳で俺はキタ
彰を吹き飛ばした事で、不良達は上機嫌になる。
一撃必殺(クリティカルヒット)というのは、やっている本人だけでなく、見ている側も気持ちの良いものだ。
予想の範疇にあるそれほど効かない攻撃を、あえて、とてつもなく効く攻撃を食らったかのように受ける。
そうやって不良達を満足させ、暴力による被害を最小限に抑える事が彰の処世術なのだ。
「ごほごほっ!」
腹部への大ダメージを表現するため、咳き込むフリをしつつ……
彰は横になったまま、秋那に目を向けた。
(今のうちに、早く逃げてっ!)
モノレールの駅の方を顎で示しながら、彰がアイコンタクトを送る。
すると――秋那はサッと動き始めた。
リョウスケという名前のリーゼント頭に向けて。
(な、何でそっち!?)
まさか、不良に立ち向かうつもりなのだろうか。
しかし、小柄な秋那と不良達とでは十五センチ近い身長差がある。
フィジカル面で見れば圧倒的に不利だ。
「だっ、ダメだよ!」
そんな彰の制止などお構いなしに、秋那はリョウスケの懐に入る。
その直後――
「え?」
秋那の姿が視界から消えた。
「ぐはぁ!」
間髪入れず、リョウスケの苦悶の声が耳に届く。
目の前で信じられない事が起きた。
あの屈強そうな不良が、背後から自動車に衝突されたかのように吹き飛び……
バタンッ、と顔面から倒れ込んだのである。
彰のようにワザと吹き飛んだのではない。
それは、うつ伏せで白目を剥いているリョウスケの苦悶の表情が物語っている。
「なっ、何が!?」
彰が再び顔を上げると、先程まで不良がいた場所に秋那の少女が立っていた。
こちらへ身体の正面を向け、腰を落とし、掌を上下に重ねて突き出すような格好でたたずんでいる。
手の形は、指を折り曲げた掌――拳と平手の中間といった感じだ。
おそらく、一瞬で不良の背後に回り込んで背中からマンガやゲームの必殺技のように両手を突き出したのであろうが……それだけで、八十キロ近くありそうな大柄な男子をあんなに吹き飛ばせるだろうか?
リョウスケの連れは、金魚のように目を丸くして口をパクパクさせている。
彰も驚きのあまり、口が半開きになっていた。
果たして、これは魔法や妖術の類なのか、それとも……。
「………」
静寂が包み込み、波の音だけが響く波止場――
ふと気付くと、
「あ、あれ?」
秋那の姿は消えていた。
我に返った不良のツレは、慌てて失神したリョウスケに駆け寄る。
その隙に彰もその場を離れる事にした。
「……あっ、入学式! 早く行かないと……」
秋那の行方も気になるが、今は予定を優先させる事にする。
スマホで時刻を確認すると、入学式が始まる午前十時まで残り二十分を切っていた。
彰は慌ててカバンを拾い上げると、モノレール乗り場に向けて走り出す。
不良に殴られた脇腹からは、すでに痛みは消えていた。
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