第1章 ②黒ずくめの漂流者

「海に浮かぶ巨大な人工島って、確か、メガフロートって名前だったよね?」


「あっ。それ、聞いた事がある! 四角くて大きなブロックをいっぱい浮かべて、それを土台にしてるんでしょ? ラノベや漫画で読んだ事ある!」


「波で揺れたりしないのかな?」


「海底に杭とかでしっかり固定されてるから、大丈夫っしょ!」


 舞扇高校へ向かう白いフェリーの上で、入学生と思しき生徒達がワイワイと話している。


 人工浮島メガフロートに橋などはかかっておらず、船を使うしか上陸手段が無いらしい。


 フェリーは百台近い車両を積載できる車両甲板があるほど巨大で、その外観はまるで豪華客船のように美しかった。


 航行中、車両甲板は立入禁止となる。


 彰はトラックを降りて甲板にやってきていた。


 山下は同僚の運転手達と親しげに話している。


 海の上は防寒用の薄手のジャンパーを着ていても、少し肌寒い。


 甲板には他にも、彰と同い年くらいの少年少女達で賑わっている。


 舞扇高校の制服姿の者ばかりではなく、中学時代に活躍した部活のユニホームを着て自分をアピールしている生徒も意外と多かった。


 その様子を何となく観察してみると……


「去年の全国大会では、お前んところに負けて準優勝止まりだったけど、次は負けないぞ!」


「あの試合での3ポイントシュートは、まさに芸術だった。今度、教えてくれよ」


「舞扇高校には総体で活躍した憧れの先輩がいる……早く会いたいな」


 早くも入学生同士の交流が始まっている。


 まさに『一位入試』によって全国から集まったエリート中のエリート達……そんな一流の入学生達の輪に彰は入り込めなかった。


 元々が消極的な性格が災いしている。

 体育会系の人間が少し苦手という理由もあった。


「………」


 誰とも言葉を交わす事なく、彰はフェリーの目的地到着のアナウンスを聞く事となる。


 フェリーの上から間近に迫ったメガフロートを見ると、そこにはまるで日本の地方都市の一部を切り取ったような風景が広がっていた。


 三階建てほどの小さなビルや一軒家などが並び、中には有名なスーパーやコンビニの建物も見える。


 そんな中、目を引いたのが町の上を走るモノレールだ。


 環状の高架鉄道がメガフロートの上にある。


 まるで天使の輪のようにも見えた。


 木々がたくさんの公園や、人工芝のグラウンドなどもあり、居住環境も悪くなさそうだ。


 そんなメガフロートに中心にある近代的な銀色の建物群が、おそらく舞扇高校なのだろう。


 フェリーが接岸した南側の港から校舎までは、かなり距離がありそうだった。


「おおーい」


 と、手すりに掴まって観察していた彰の耳に、山下の声が届く。


「入学生達はフェリーを降りてモノレールで学校に向かうみたい。これからの住居については入学式の時に説明があると思うから、引っ越しの荷物は、また後でお届けするね。はい、これ。助手席に置かれていた君のカバン」


 山下から入学に必要な書類や小物などが入った黒いカバンを手渡された。


「それじゃあ、ここで一旦、お別れね」


「あっ、ここまで運転、ありがとうございました!」


「これも仕事だからね。君も、おつかれ!」


 掲げた右手をひらひらと振りながら、山下は車両甲板の方に歩いて行く。


 船着き場には在校生と思しき制服姿の人達がたくさん見えた。


 歓声を上げたり、手を振ったり、横断幕を掲げたり……


 すごく歓迎してくれている様子だったが、そういう雰囲気が彰は少し苦手だった。


 ほとんどの入学生の視線がそこに集まる中、彰は思わず目をそらすように海の方を眺める。


 すると――


「えっ!?」


 海面に何かが漂っている事に気づいた。


 目をこらす。


 それは、半裸の人間だった。


 上半身は裸で、下半身は海中なのでよく見えない。


 だが、裸ではない事だけは何となく判別できた。


「た、大変だ!」


 彰は慌てる。


 フェリーには水泳部である事をアピールするためか水着姿の生徒もいた。


 もしかしたらその人が誤って海に転落したのかもしれない。


 今年の春はまだ肌寒く、低体温症の危険もある。


 気づいた時には、もう動き出していた。


 フェリーのタラップを降りると、そのまま海沿いの道を走る。


 海に面した部分には腰の高さほどの柵があるだけだった。


 三分くらい走っただろうか……


 彰の視界が再び漂流者を捉える。


 柵を乗り越えて海面を覗いてみると、


「!」


 四メートル近い高さがあって、彰は思わず足がすくんでしまう。


 だが、ここで怖気づくわけにはいかない。


 メガフロートの端は絶壁で、ハシゴなどはかかっていなかった。


 浮き輪やロープも見当たらない。


(だったら!)


 彰は薄手のジャンパーと、おろしたての制服を脱ぐ。


 さらにネクタイ、Tシャツも脱ぎ、それらをしっかり結んで即席のロープを作った。


 それを急いで放り投げる。


 海面には――何とか届いた。


「これにつかまって!」


 上半身裸のまま、彰は必死に声をかける。


「………」


 返事はなかったが、その人影は彰が差し出した即席のロープを右手で掴んだ。


「は、早く上がってきて……!」


 中腰になって踏ん張りつつ、漂流者が昇ってくるのを待つ。


 やがて、その右手が彰の足元の地面を掴んだ。


「も、もう少し! 掴まって!」


 彰は右手を差し出す。


 一瞬、躊躇ったような仕草を見せた後……


 海水に濡れた冷たく小さな左手が、彰の手を握った。


「よいしょ!」


 全力で引き上げる。


 その瞬間、漂流者の姿を彰は初めて目の当たりにする事となった。


 水が滴るセミロングの髪は黒い。


 対照的に肌は透き通るように白かった。


 身に付けているものは黒のボクサーパンツのみである。


 荷物はボンサックと呼ばれるサンドバックのような形の青いカバンだけで、それを肩から下げていた。


 小柄な体格ながら、身体はしっかり鍛えられているようで、腕や脚にはしなやかな筋肉がついている。


 腹筋のあたりには微かに割れ目も確認できた。


 そこから少し上に視線を向けた時、


「!?」


 彰はギョッとなる。


 その胸が膨らんでいたからだ。


 決して大きくはないが、けれど男であると見間違えるほどでもない。


 筋肉質な肢体とは対照的な、丸みを帯びた魅惑の稜線に思わずドキッとしてしまう。


 てっきり男の子だとばかり思っていた。 


 身につけているものも、よく見るとレディース用のボクサーショーツである。


 濡れた前髪から覗く顔立ちは、とても整っていた。


 澄んだ翠色の大きな瞳が、ジッとこちらを見つめている。


「ご、ごめんなさい!」


 その目から逃れるように、彰は横を向きながら謝罪した。


 しかし、相手に動じた様子はない。


「………」


 無言のままボンサックを開く。


 カバンの中の荷物はビニール袋に包んでいたようで、中身は濡れていなかった。


 彰に背中を向けつつ、取り出したバスタオルで身体を拭き始める。


 いつまでも見ているわけにはいかないので、彰も彼女に背中を向けた。


 ……微かに、衣擦れの音が聞こえてドキドキしてしまう。


(あっ、僕も着替えないと)


 春先の冷たい潮風に吹かれ、彰も上半身が裸だった事を思い出した。


(女の子の前で上半身裸になって……変質者と思われたかな……)


 痣だらけの自分の上半身を見下ろしつつ、彰は思う。


 情けない理由から生まれた痣の数々と、スポーツに打ち込んでこなかった貧相な上半身を隠すように彰は制服を着ていく。


 その頃には背後から着替えの音は聞こえなくなっていた。


 彰はおそるおそる振り返る。


 そこには、白い肌を隠すように全身黒ずくめの格好になった女の子が立っていた。


 黒のレザーパーカー、黒のズボン、靴も黒い。


 髪も黒く、そして長かった。


 頭にはパーカーのフードを被っていて、その表情を窺う事は困難であるが、濡れた前髪の奥にある翠の瞳と、こちらの目が合った事だけはしっかりと分かってしまう。


 目が合ったのならば、声をかけないわけにはいかない。


「え、えっと、お、おはようございます」


 おそるおそる、彰は声をかけてみる。


「………」


 相手は何も答えない。


 無口なのか、それとも寒さに震えて喋れないのか。


 もしかしたら、海に落ちたショックで記憶喪失……などという可能性もゼロではない。


 初対面の人と話すのは得意ではないが、このまま放っておくわけにもいかないので、


「ええと、君も舞扇高校の入学生ですか? ……それとも、先輩ですか?」


 何とか話題を絞り出す。


「………」


 返事が無くても彰は言葉を止めない。


「ぼ、僕は、今年の新入生なんです。そのフェリーに乗って、海を眺めていたら、君が泳いでいるのを見つけて……えっと、僕の名前は、皆口彰……です」


 その言葉の途中くらいから、彰の手が、縦や横へと無意識のうちに動き始めた。


 指で円を描いたり、掌を開け閉めしたり、といった動作も入り混じる。


 混乱のための無意味な動き――ではない。


 これも、彰にとっての『言葉』だった。


「あっ、ごめん。つい、言葉と一緒に手も動くクセが……。えっと、手話……って知ってますか? 手の動きや顔の表情なんかで会話する、視覚言語の事で……」


 苦笑しつつ、彰は手話を一旦止めた。


「僕、中学生の頃に一度だけ手話のコンクールで優勝した事があって……その実績が認められて一位入試に受かったんです。手話は、僕の唯一の取柄で……」


 一生懸命、彰は話しかけたのだが――


「………」


 結局、返事はなかった。


 彰はガックリとうな垂れる。


 すると、足元に置いたボンサックに『秋那』という刺繍がある事に気付いた。


 秋那――あきなと読むのだろうか。


 それが黒ずくめの女の子の名前のようである。


(……まあ、しっかり自分の足で立ってるし、一応、職員の人に報告しておけば大丈夫かな)


 このあたりで会話を切り上げようとした時――


(あ……)


 彰の中に悪寒が走る。


 海からの潮風に身体が冷えたのではない。


 嫌な予感――自分に危害を加えようとする者の接近を、察知してしまったのだ。


 彰は、どういうわけか昔からトラブルを引き寄せてしまう体質だった。


 学校でも、近所の町中でも、遠出した観光地でも……


 幾度となく、彰はガラの悪い者達に目をつけられてきた。


 暴力を振るわれた事も一度や二度ではない。


 上半身の多くの痣は、その時にできたものだ。


 そのうち、自分に害意を持つ者に目をつけられただけでも予感を抱くようになってしまう。


 手話をやっているから、自分に対して危害を加えようとする者の『手』の悪意を感じ取ってしまうのかもしれない。


 なんて事を考えているうちに――


「おいおい。こんな人気のない場所に、女を連れ込んでるヤツがいるぞぉ!」


 背後から、粗暴な声が届こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る