第1章 ①私立舞扇高校 

 まだ肌寒い四月上旬の早朝。


 数時間後の入学式に参加する為、今年の春までは中学生だった彰は、引っ越し用の2tトラックで移動中だった。


 慣れない紺色の新しい制服……ネクタイを巻く首元が少し気になる。


 新品の革靴も足に馴染んでいなかった。


 着心地の悪さにモジモジしつつ、車の窓から桜の木を眺めていると……


「!」


 不意に目の前が真っ暗になる。


 トンネルに入ったようだ。


 漆黒の窓ガラスに自分の顔がボンヤリと映し出される。


 そこには中肉中背、黒髪のいたって平凡な顔が……鏡を見るのはあまり好きではない。


 目をそらしつつ、スマホの待ち受け画面で彰は時刻を確認した。


 ――午前八時。


 深夜に実家を出発してから、およそ六時間が経過している。


 そのほとんどを彰は夢の中で過ごしていたのだが、ハンドルを握る引越し業者の女性スタッフは、ほとんど休憩も取らずにトラックを走らせている様子だった。


 それなのに、疲れの色が微塵も見られない。


 年齢は二十代半ば。

 茶髪のショートカット、上半身の赤いつなぎのような制服を脱いで腰に巻き、黒のタンクトップ姿でハンドルを握っている。


 実家では、彼女がたった一人ですべての荷物を荷台に乗せてくれた。


 タンクトップから伸びる二の腕はガッチリと引き締まっていて、その筋肉には思わず見惚れてしてしまう。


 その一方、胸の膨らみはすごく柔らかそうで……そのギャップには作業を見物していた時から何度もドギマギさせられた。


 胸の谷間を隠すように、首からは『山下』と書かれたIDカードをぶら下がっている。


 そんな彼女の整った横顔を眺めていると、


「おはよう! 目が覚めたのね」


 視線に気付いたのか、前を見ながら山下は言った。


 声をかけられると思っていなかった彰は、「す、すみません」と思わず謝ってしまう。


 そんなおかしな態度を取ってしまっても、嫌な顔を一つ見せずに彼女は笑顔のままだ。


 接客態度も申し分なく、まさに完璧な人材。 


 その理由は……


(たぶん、山下さんが舞扇グループの一員だからだろうな)


 舞扇財閥。


 日本を代表する多種多様な業種の企業を傘下に抱えており、舞扇コンツェルンなどとも呼ばれている。


 舞扇財閥があれば、一つの国が形成できるとも言われているほどだ。


 彰が利用している引越し業者も、舞扇財閥の傘下企業の一つ。


 グループ企業でも就職は狭き門と言われるのだから、優秀な人材がそろっていても不思議ではない。


 そんな誉れ高き舞扇財閥が、近年で最も力を入れている事業――


 それは、学校の運営だった

 これから彰が入学する、私立舞扇高校の事である。


「ねえ、彰君」


 と、山下が声をかけてきた。


「は、はい?」


「ちょっと話し相手になってもらっていいかな? 長時間の運転は嫌いじゃないけど、長時間、誰とも話さないのはちょっとキツくてさ」


 よほど退屈していたのか、彰の同意も待たずに山下はマシンガンのように口を動かし始める。


「それにしても、舞扇高校って破天荒なところだよねぇ。何がすごいって、まずは入試よ! 確か、一位入試だっけ?」


「そ、そうですね。中学を卒業するまでに、何でもいいから『一番』になったという実績があってそれが認められれば入学を許されます」


「昔は、高校野球とかで強豪校が他県の優秀な選手を引き抜いたりしてたけどさ、舞扇高校はそれをすべての部活で実施したのよね! そりゃ、去年の総体じゃ舞扇高校がほとんどの競技で優勝を飾っちゃうわ」


「創立三年の舞扇高校が総体を完全制覇したって、ニュースになってましたね」


「私もビックリしちゃった。って、高校で一番になるって言えば部活ってイメージだけど、確か、それ以外の事でもいいのよね? 全国模試やコンテストなんかの一等賞でも」


「ええ、はい」


「それじゃあ、彰君は、何で一番になったのかな?」


「そ、それは……」


 言いよどんでいると、


「あっ、ゴメン。今のナシ! 会社の規定で一位入試の内容は聞いちゃいけない事になってたんだった。本当にゴメン!」


「い、いえ。大丈夫です」


 苦笑しつつ、ホッと胸をなで下ろす。


 彰も、とあるコンテストの中学生以下の部で一位になった実績で入学を許可されたわけだが、そのイベントは地元の商工会主催で、少子化もあって、わずか数名しか参加者がいなかった。


 他の輝かしい実績を持つ生徒と比べると明らかに見劣りする。


 そんな風に彰は思っていたので、この件に関してはあまり人と話したくなかった。


 話題が変わる。


「舞扇高校は、学費や生活費も一切かからないのよね?」


「そうですね」


 今回の引越しの費用も舞扇財閥がすべて持ってくれていた。


「すごいわよねぇ。高校の運営だけでも多大な費用がかかりそうなのに、一体、どういう理念で経営をしているのかな?」


「山下さんも知らないんですか?」


「ええ、親会社の事なのに、なーんにも知らないの。ていうか、知る事すら禁止されちゃってるわ。秘密を漏らした方はもちろん、知ってしまった方にも罰が課されるみたいだから、彰君、くれぐれも注意してね」


 少しシリアスな顔になって、山下が釘をさす。


 舞扇高校の秘密主義は徹底していた。


 学園生活の内情はもちろん、所在地がどこにあるのかすら伏せられている。

 在校生にも、かん口令を敷いているようだ。


 たとえ家族であっても決して舞扇高校での日々を語ってはならない。


 その強硬な態度は問題視されそうなものだが、多大な影響力を持つ舞扇財閥に忖度しているのか、メディアも舞扇高校については批判的な報道はほとんど無かった。


 そんな得体のしれない場所に進学するのだから少なからず不安や心配もあったが、それでも彰が舞扇高校を選んだのには大きな理由がある。


 そこに大切な人がいるからだ。

 二つ年上の姉、皆口瑞穂みなぐち みずほ


 小さい頃、彰は重い病気を患った瑞穂の事をずっと守ると約束した。


 ただの口約束である。


 けれど、彰にとっては契約書を交わす以上に重要な契りだった。


 そんな瑞穂は二年前から舞扇高校に通っている。


 しかし、学校内での事は一切教えてくれない。


 もしかしたら、野蛮な生徒達の中で苦労してるんじゃないか?


 それを誰にも言い出せず、一人で悩みを抱え込んでいるのではないか……

 そんな風に考えると夜も眠れなくなる。


 姉が舞扇高校に入ってからの二年間――彰にとってはもどかしい時間だった。


 けれど、それもようやく終わる。


(待っていてね、姉さん!)


 しばらく無言になった後、再び山下が口を開いた。


「私、舞扇高校の生徒の引越しを担当するのは今回が初めてなんだけど、あと、どのくらいで目的地に到着するのかも分からないのよね。手掛かりは、会社から支給された専用カーナビからの指示のみ」


「ゴールが見えないのは、大変ですね……」


「まあね。っと、ほらあれ、海が見えてきたわ!」


 いつの間にかトンネルは抜けていた。


 サイドガラスの向こうには大海原が広がっている。


「見て。道の前にも後ろにも、ウチの会社の引越しトラックがいっぱいね。きっと、彰君と同じ舞扇高校の入学生だわ。という事は、ゴールが近いのかも!」


 山下の予想通り、およそ三十分後にカーナビの音声が目的地への到着を告げる。


 その瞬間、車内の二人は目を丸くしながらフロントガラスの向こうを見ていた。


 本土から数百メートル離れた沖合――

 そこに、とてつもなく巨大な建造物がまるで魔法のように浮かんでいる。


 カーナビの画面を見ると、今まで何も表示されていなかったはずの海の上に、建物のグラフィックと『舞扇高校』という文字が浮かび上がった。


「ま、舞扇高校って、海の上にあるの!?」


 彰と山下のビックリ声が重なった。

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