第13話

 水平線が夕焼けに染まる中、僕らは浜辺に沿って並んで歩いていた。


今日一日はこれでもかと遊んだあと、海の家でお昼を食べて再び海に入った。徐々に風が吹き肌寒くなってきたころで設営されたシャワーを浴び塩水と砂まみれになった体を洗い流し、私服へと着替えた。


「たくさん遊んだね!久しぶりだったから思いっきり楽しんじゃったよ」

「僕も楽しかったです。たくさん写真も撮れたし、海だって本当に久しぶりで」

「私の水着姿ばっかり撮ってたもんね。エッチな紡君は」

「嫌なら着なきゃいいんですよ」

「こやつめ…… 」


「でも本当に楽しかったです。来れてよかった」

「うん」


会話の合間に静かに波打つ音が、今日の終わりを告げていく。

今日が終わっていくのが名残惜しい。帰りの電車に乗ってしまえば、華さんとはお別れ。すぐに明日になり受験生としての生活に戻ってしまう。

戻ってしまったら、次に華さんと会えるのはいつになるのだろう。来週、再来週、いや…… もしかするともっと先までまで会えないのかもしれない……


 僕の抱く不安は、徐々に体を重くしていき、次第に隣で歩く華さんと距離が離れていった。


「どうしたの?疲れちゃった?」

振り返った華さんは、潮風に長い髪の毛を靡かせ右手でかき分ける。


僕を見つめる彼女の美しさに思わず見惚れてしまう。


「口開けてどうしたの?私の顔に何かついてる?」

慌てて口元を隠し、咳払いをして意識を戻す。再び彼女に目をやると、顔中を触って不審な点を探そうとしていた。

「大丈夫です。何もついてなんかいませんよ。―――むしろすごくきれいです」

「え?あ、ありがとう」


僕は徐に首から下げているカメラを手に取り、両手で顔の位置までもっていき脇を軽く締めて構える。

左目でファインダーを覗き込み、そこに広がる自分だけの世界に入り込んだ。


 彼女の写真を撮り続け、一番幸せな瞬間を残す。これが僕に課せられた、自ら課した使命だ。彼女を写す時はいつもそのことを考えている。その瞬間を撮る時、それはどういう時なのだろう。結婚した時、子供が産まれた時、考えられる幸せは幾つもある。僕はその瞬間に居続けることはできるのだろうか。もし、彼女が僕でないほかの男性と恋に落ち、共に生きていくことを選んでしまったら?僕の居場所は完全になくなってしまう。そうすれば、僕は使命を果たすこともなく、彼女の元から去っていくことだろう。


 僕は知りたかった。ファインダーの中に映る彼女の心を――――

気づくとカメラを持つ手が震えている。動悸も激しい。


恐怖―――。


僕は恐れているのだ。これまでの短くとも濃い時間、そしてこれから来るであろう長い時間がすべて無いものになってしまうことが、僕は恐ろしくてたまらないのだ。


ファインダーを覗く左目の視界が溢れ出る涙でぼやける。息も荒く、カメラをじっと構えていられなくなっていた。

そして僕は、一度もシャッターを切らずにカメラの電源を落とした。


「華さん。ごめん」


彼女はまた、不思議そうな顔をする。

「どうして謝るの?」

「僕は怖いんだ。この写真を撮り終えたらそのあと僕の前から華さんがいなくなってしまうんじゃないかって。たくさん写真を撮って、お父さんとお母さんの写真に負けないような物を撮って、華さんが最高に幸せな時の写真を撮るって約束したのに…… 華さん」


「なあに」


「初めて華さんをこのカメラで撮影したあの時からずっと…… 最初はこんな気持ちだなんてわからなかった。でも華さんの隣にいるうちに、華さんの優しさに触れていくうちに、何よりこのカメラから華さんを見ているとき僕は……」


潮風に靡いた髪の毛が目元をはじいたとき、小さな無数の雫が華さんの目もとから飛び去った気がした。


「幸せな時ってどんな時だろうって考えたんです。華さんの隣には別の誰かがいる。僕はそんな二人をカメラに収めている。そんな光景が思い浮かんでしまったんです…… 僕はただカメラを手に取りシャッターを押すだけの脇役なんだって。勝手な妄想ですけど、どこかしっくりきてしまう部分があってそれがものすごく怖い。そんなことならもう僕は写真を撮ることはできない。自分の感情を抑え込んでシャッターなんか切れないんです。」


―――華さん、僕はあなたのことが……


その一言は、僕の嗚咽交じりの声にかき消され、彼女に伝わることは無いのだろう。自分がこれまでにどんなことを思っていたのか、華さんを好きという気持ちや不安。僕の独りよがりの告白を華さんは黙って聞いてくれていた。


 涙で溢れ、華さんを直視することは出来なかったが、所詮は口約束だったのだと、失望していることだろう。華さんのつらい境遇を知ってなお、こんな気持ちを包み隠さず話してしまったのだ。


もう僕にはどうすることもできない。彼女のための夢を自ら放棄してしまった。


僕は、全身の力が抜けていくように、その場に膝をついた。

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