第11話

 目覚めたのは、目覚まし時計のアラームが鳴る1時間も前だった。

寝汗でパジャマがぴたりと張り付き何とも言えない気持ち悪さが全身を包んでいた。

布団から起き上がり、カーテンを開けると、空に輝く太陽が嫌というほど照り付け、僕の視界を遮ってくる。


もう夏だ――――


 窓を開けると、至る所からセミの合唱が聞こえてくる。夏を感じさせるその音色は、寝起きに聞くには堪えがたいほどの不快感を僕に与えている。

べたついた体をシャワーで洗い流した後は、パンとコーヒーと簡単な朝食を済ませて、参考書の入ったカバンを肩にかけ、出掛ける準備をした。


「今日は予備校だったかしら?」

既に朝食を終え、一息ついている母親が僕に問いかける。


「予備校は4時からだよ。それまでは図書館に行ってくる。お昼は適当に済ませるから大丈夫。行ってきます」

そう言って、自宅を後にした。


外に出ると、照り付ける日差しが両腕と顔面に容赦なく降り注ぐ。

高校球児がこんな猛暑の中、何時間も外で練習を続けているなんて、なんて頑丈な人間なのだろうと尊敬してしまう。

夏の甲子園に出場し、毎日のようにテレビ画面の向こう側で試合をしている人たちが僕と同じ高校生とはとてもじゃないけど思えなかった。


 暑さを拭いながら駆け足で図書館まで急ぐと、自動ドアの向こうには空調の利いた楽園が待っていた。

自習スペースの開いている席に座ると、鞄から参考書と筆記用具、ペットボトルを取り出した。


勉強をしている最中は、雑念が取り払われて、自分の世界に入れる。勉強が嫌いじゃないのはそういった時間が好きだからなのかもしれない。

あまり人と接してこなかった僕にとって周囲の会話や雑音を意識から阻害する行為は、余計に僕を一人にさせる要因でもあった。


 カメラかまえている瞬間からシャッターを押すまでのわずかな時間は、勉強をしているときの感覚に近いのかもしれない。被写体があり、よりよい写真を撮ろうと奮闘する瞬間は、僕にとって貴重な時間だ。


 勉強がひと段落した後、近くのファストフード店で昼食をとり、再び図書館へ戻る。夕方まで勉強をした後は、駅前にある予備校へ行く。

明彦が実力テスト前に誘ってきた予備校に僕も通うことになったのだ。


 実力テストの結果は、決して悪い結果ではなかったが、僕の目指す国立大学へ進むためにはもう少し成績を上げる必要があると言われた。

三者面談では、主にテストの成績と学校での素行についての話となった。

素行に関しては、大して表立ったことはしていなかった僕なもんで、非常にまじめな生徒としての評価を得られていた。

成績に関しても申し分ない程だと、担任の先生から話はあったが、母親の意向としては、というより我が家の経済状況からみて成績上位者の特権として学費を少しでも免除してくれる国立大学には必ず入っておきたかった。

明彦の母親とうちの母親は僕らが産まれる前からの知り合いらしく、コネクションはかなり強固だ。明彦が予備校に通う話も、僕を通さずに知っていたようで、自然な流れで予備校に通う手続きが進んでいった。


 いざ予備校に通ってみると、中でも様々なクラスに分かれており、明彦は中間のクラスにいた。

僕は成績上位者のクラスに入ることになり、そこは受験戦争真っ只中の焦りと苛立ちの雰囲気が漂う空間だった。今まで追い込まれて勉強をしてこなかった分、そういった空気には堪えがたいものがあった。

なるべくその空気に飲まれないように予備校の自習室の使用を控え、授業のぎりぎりまでは近くの図書館で自分のペースに持ち込んで勉強をすることにした。


今思ってみると、予備校に通う必要が本当にあるのかどうかも怪しいほどに図書館と予備校で勉強をする時間に違いが出ていた。

予備校での勉強時間が少ないにしても参考書や過去問集を多く取り揃えているところだったのが幸いしてめげずに1か月以上も続けられているのだ。


 現状に1つ不満があるとすれば、めっきりカメラに触らなくなってしまったという事だ。

朝起きて勉強、夜予備校から帰ったら今日やったところの復習と宿題を終わらせる。その繰り返しだ。


華さんとは、たまに連絡を取っているが、彼女の方も今度大きな仕事を任せられるとのことで毎日遅くまで働いているらしい。

そうしたすれ違いが徐々に広がりつつあるのが、心苦しかった。


 夏休みに入ると、受験戦争はさらに激化し、お盆休み以外の休日は、ほとんどに図書館と予備校を行き来するだけのものとなった。

お盆休みには、何とか華さんと一度だけ会うことが叶い、久しぶりの撮影旅行へ行くことになった。

僕が翌日に予備校の授業があるということもあり、今回は日帰り旅行という形になった。

受験生であるこの一年の中で、夏休みの勉強時間というのはどれだけ貴重なものなのかと、予備校の講師や学校の担任から幾度となく念を押されてきた。けれど、たまにはこういう日もあっていいと思う。それに僕とにはやらなければいけないことがある。あの日、彼女のお父さんの部屋で誓った、夢を叶えるために。


―――何よりも大切な、彼女の幸せのために。

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