第6話 プレゼント選び

 日曜日、昼過ぎの駅前は込み合っていた。小学生ぐらいの子を連れた家族連れが目の前を横切っていく。町のシンボルになっている花時計に近づくと、待ち合わせの相手がそれを眺めていた。


「遅くなって、すみません。先輩」

「ああ、いや。まだ五分以上あるんだから気にしないでくれ。俺のほうが気が急いて早めに出てしまっただけだ」


 ブリッジのところをつまんでメガネの位置を直す。どことなく気取ったしぐさだが、今日はどことなくあか抜けた服装に似合っていた。


「よし、行こうか」


 人の流れに乗るようにして、二人そろって近くのショッピングセンターに向かう。カラオケの時に約束していた、引退する先輩方のためのプレゼント選びだ。


「近場では、ここが一番大きな本屋なんだ」


 連れてこられたのは大型チェーン店の一つだった。私は近くの本屋で取り寄せてもらうことが多いので、ここに来たことはなかったのだが確かに広い。普段私が使っている店がすっぽり二軒は入りそうだった。入り口近くには私が見たこともないような雑誌がずらりと並んでいた。お客さんも多い。


 そんな中、三宅先輩に連れられてきた一角は人があまり居なかった。頭に白髪が混ざり始めたおじいさんがパラパラめくっては返しを繰り返しているだけだ。


「この辺から、選ぼうかと思うんだけど」

「え……」


 私は絶句した。目の前の棚にあったのは、シェークスピアの『リア王』、ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』、森鴎外の『高瀬舟』……。どれもこれもが、古典だった。


「——ここから選ぶんですか」

「そうだが」


 三宅先輩はあっさりと 言って、しゃがみ込んだ。棚の本をじっっくりと眺めている。


「せっかく、プレゼントで送るんだ。それにふさわしい質のものにしないとな。時宮も考えてくれよ。どれが良さそうか」

「はあ……」


 目の前の本を眺めてみる。『アラビアン・ナイト』『サロメ』『蜘蛛の糸』『アンナ・カレーニナ』重厚な雰囲気の作品が並ぶ。どれも読みごたえのある小説だ。じっくり味わいながら読むに足るだろう。でもなあ。


「ちょっと、荷が重くありませんか。うちの部活の人、こういうのに腰を据えて取り組む人いないと思うんですけど」

「いやいや、だからこそ。こう言う機会を使って広めないと」


 啓蒙活動か。熱意は尊重するが絶対ダメだ。一度として開かれることなく、本棚の肥やしになるのが関の山。


「それなら、読みやすい本から行かないと。皆ついて来てくれませんよ」


 私は少し戻って、平台に置かれた本を指さした。そこに陳列されていたのはライトノベルが中心だった。あとは、地元が舞台になった小説だ。途端に先輩が渋い顔つきになった。


「うーん、あれか……」

「まずは、本を読むという習慣をつけてもらうべきです。先輩が薦めるような本はおいおい手に取って貰えばいいんです」


 今一つ納得がいかなさそうな顔なので、妥協案ということで古典の中でも短いものを先輩が選んでライトノベルに混ぜることになった。


 渡し方は、一冊一冊袋に入れてもらって、先輩方に取ってもらうことにした。開けるまで何が出るかは分からないという趣向だ。こっちも私が提案した。


「いやあ、この渡し方は思いつかなかったけど、楽しそうだな。来てもらって正解だったよ」


 大柄な体を揺らして笑っている先輩に控えめに答えておく。カラオケ終わりに聞かされた時から、暴走の予感は感じ取って事前に考えてきたのだ。こっちの提案をはねのけて突っ走らないかが心配だったのだが、大丈夫そうだ。


 けれども、気分が変わらない内にサッサと引き上げた方が良いだろう。


「では、帰りましょうか」

「え、帰るの!?」


 先輩が素っ頓狂な声を出したので、思わず顔をしかめてしまった。私たちの間を高校生が二人通り過ぎる。先輩はうろたえたように視線を落としていた。


「あの、映画に……」

「映画!?」

「ああ。15時からなんだけど。梅本から聞いてないのか? カラオケにいたメンバーで見に行くことになってたんだが」

「いや、全く……」


 どういうことだ? いつ決まったんだ? 混乱する頭でここ数日の記憶を早送りでめくっていく。千春と一緒にいた時のこと……。そんな話はやっぱり出ていない。記憶の中の千春がハスキーな声でフフッといたずらっぽく笑っている。


「都合、悪かったか?」

「いえ。時間なら空いてますけど……」

「そうか。じゃあ、とりあえず上に上がろう。混み合うだろうからな」


 私が渋々ながらもOKを出すと先輩は途端に元気になった。足早にエスカレーターに向かっていくのを追いかける。大げさに、腕ごと振って手招きしている。もたもたしていたら腕を引っ張っていかれそうな気がする。


「先輩は、映画とか興味あるんですか」

「俺は結構好きだな。コメディ系が特に」


 大きな身振りで腕を組み、先輩がいくつか挙げたのはエンタメ系の映画だった。ふうん。意外だ。本ではどちらかというと芸術的なものを好むイメージなのに。


「時宮はどうなんだ」

「私はあまり。実を言うと、映画館に行くのも何年振りやら」


 たぶん、中学生以来。そんなことを言うと、先輩は盛大に息を吐いた。怪獣の息吹みたいな感じで、それがため息だと理解するのに数秒かかった。


 先輩はエスカレーターの上で体ごとこちらを向いた。


「それはダメだ。日本じゃマナー違反とか言われてるがな、映画の醍醐味は皆で一緒のものを見て泣いたり笑ったりすることだ。外国では歌ったりまですることがあるらしい。そうやって、見ず知らずに人とも想いを共有するのが本当に楽しいんだ」


 熱く語り始めた。この姿を見て、やはり先輩は先輩だと思った。


 先輩は後ろ向きのまま、お気に入りのシーンについて話していた。三階でいったん降りて乗りなおすときに、他のお客さんにぶつかりそうだったが、気づいた様子はなかった。注意しようかと迷ったが、無事ではあったから口をつぐむことにした。


 四階に到着すると目の前の広い空間が広がっていた。そこが映画館だ。左手に場内へのコースがあり、正面にはチケット売り場にポップコーンやドリンクのお店。コースの反対側にはグッズ売り場が置かれている。


「よし、じゃあ、先にパンフレットを買ってしまおうか」

「先に買うんですか?」

「終わった後だと混むだろう」


 まあ、先輩の言う通りではあるが。でも、私は映画は事前情報なしで楽しみたい。それでも、我を通すのは野暮か、と思って後を追った。


 先輩が買ったのは有名な監督さんが撮ったものだった。昨今、マンガやアニメの実写化が多い中で珍しくオリジナル脚本。ジャンルはさっきも本人が言ったようにコメディだ。


 その後、先輩がチケットを五人分買って、後からみんなが渡していくことになった。考えてみれば、特に見たいと思ってなかった映画にお金を払うんだな。今ごろになってブルーになる。ただ、座っているだけじゃないんだ。こうなったら、予想外に面白いということに期待するしかない。


「他の人は、いつ来るんですか」

「さあ。10分前までにここで集合ということにはなってるよ」


 みんな当然知ってたんだよなあ。どうして私だけ蚊帳の外なんだろう。千春はそういうことするタイプじゃないんだけど。どちらかと言うと、世話好きなタイプで、抜かりはないはず。仲だって悪くないのに。


「そう言えば、この前カラオケでかなり高得点出してたが、よく行くのか?」

「いえ、付き合いで行く程度ですね」


 他人から誘われれば断らないが、自分から行くことはない。ふと、視線を上げると先輩と目があった。


「カラオケはあんまり。映画は行かない。だからって、ゲームに没頭っていうイメージもない。時宮って休日に何してるんだ?」

「下宿なんで、色々と追われてますよ。そこそこ、料理もするんで。暇な時には何か読んでますね。本もそうですけど、マンガも」

「へえ、マンガもか。どんなのを読んでるんだ?」


 先輩は前のめりになって聞いてきたが、タイトルを挙げてみると全く聞き覚えがないのか、目が点になった。まあ、有名どころのマンガと言えば、古いものか、子供向けか、バトルもの。このどれかだ。私みたいなタイプが読む物は知る人ぞ知る名作なのだ。


「先輩は、どうなんですか」

「そうだな。俺も小説を読むか、あとはレンタルで映画を見てることも多いな。でも、バイトに割いてる時間が結構長い」

「バイト、してるんですか」


 意外だった。普段、本の話ばっかりなので全然仕事をするイメージが湧かない。良く言って明治の高等遊民とでもいうか、悪く言って現代のニートとでも呼べばいいのか。「人は趣味に生きるべし、働いたら負け」みたいなことを言うタイプだと思っていた。


 そんな内心を感じ取ったのか、先輩は心なしむきになって言った。


「してるぞ。塾の講師だ。国語のな」


 そこからは授業の話を聞くことになった。国語では記述問題がかなり厄介らしい。解答のポイントを含んでいるかどうかで採点をしなければならないが、人によって感じ方がバラバラなので説明しづらいこと。しかも、先輩自身が解答に納得できないことがあるので、説明しづらいことが多々あること。


「それでもって、『分かりにくい』とか言ってる奴が一番寝てるんだよな」


 色々と聞いていくとげんなりしてきた。もちろん、同情もあるのだが大部分は違う。みぞおちのところにおもりでも埋め込まれた気分。それが強まっていく。


 あまり聞いていたくない。そう思った。けれど、先輩は滔々と話し続けた。「本当に、どうしようもないんだ」と笑いながら。身振り手振りを交えながら。


 人に愚痴を聞いてもらえるとスッキリする。のしかかる重荷は話せば、分かち合える。それで話した側はその分、楽になる。それは分かる。


 なら、聞いた側は? 聞いた分、重荷が増えるのだ。


「まさに、嫌なことは重なる。『不幸は耐える力が弱いところに重くのしかかる』だよ」


 自慢げなセリフでやっと終わった。確か最後のフレーズはシェークスピアの中の名言だ。


 やれやれ、ようやくだ。人が多くなってきた中、私を呼ぶハスキーな声。茶髪のウェーブをなびかせるのは千春だった。先輩に挨拶すると、私に抱きついて先輩の側から引きはがす。


「どうやった。デートは?」

「別にデートじゃないよ」

「二人で買いものなんやから、デートやで。そんで、どうやった? もしかして、ついに告られたとか。」


 緩んだ口元から、からかうような言葉が流れ出てくる。私が否定しても全くめげない。


「先輩の声、ええよねえ。クラッときた? ずっと聞いていたいって思わへんかったん」


 そうは思わなかった。むしろ、頭の中で別人のセリフが頭の中で再生されていた。


『あの男は悪い人ではなかったよ』

『嫌なことまで受け入れられるか。できたら何の支障もないし、無理なら縁がなかったというだけだ』


 国さんのセリフ。


 私も三宅先輩を、悪い人とは思わない。なら、丸ごと受け入れられるだろうか……。

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