第5話 友チョコは失恋の味
私はスーパーのバックヤードにつながる通路を歩く。段ボール箱とか移動式のラックが置かれているせいで結構通り辛い。バイトに来るたびに思うのだが、ほかに置き場がないのが現状だ。
「こんにちは」
「あ、時ちゃん」
左手の扉から、髪の長い同年代の女性が出てきた。カッターシャツに膝より少し長い紺ののスカート。今はエプロンの紐を結ぶところらしい。口にはピンクのゴムをくわえている。
「国さん。今からですか」
「そ。今日は時ちゃんと同じシフトだ」
サバサバした話し方が心強い。優一のことで揺らいでいた気持ちがギュッと引き締まる。吊り上がった目に、真っ赤な唇。その端正な顔立ちと、他のバイトとは一線を画する有能さから、他の店員からは魔女の異名で呼ばれている。
国さんはゴムで手早く髪をまとめていく。職人の手さばきで一本の乱れもなく、整えられた髪が蛍光灯の下でツヤリと光る。
「時ちゃん、甘いものは好きかい」
「え、まあ。どちらかって言えば、好きですけど」
「そうか、ならば頼みやすい。一つ貰ってほしいものがあるんだが。構わないか」
「――はい」
私の返事に満足したのか、先に行く、とだけ言って表に出てしまった。一体、頼みとは何だったのか。少し気にはなったが、ハンバーガーショップで時間を食っていた私にはあまり考える余裕もなかった。白のカッターシャツ、紺のひざ丈スカートに変身して、レジへとダッシュ。聞き覚えがあるが、名前は分からない。そんなクラシックが鳴って、シフトがスタート。
レジ打ち二時間、この間は大変だ。何しろひっきりなしにお客さんが来るし、中にはまとめ買いをする客もいる。そう言う時は、ため息が出そうになる。もちろん、そんなことしたらクレーマーの餌食になりかねないから、こらえるのだが。隣のレジでは国さんが淡々とレジをこなしている。タッ、タッ、タッとリズミカルに。おばちゃんの世間話には嫣然と笑って答えている。う~ん、大人だ。こういう時、本当に憧れる。
その後、小太りの店長に指示されて、値札の入れ替えが一時間。あちこちの棚に移動しながらの作業だが、単純作業でもあるので意識が違うところに飛びやすい。
優一のバイトはどうなったんだろうな。もう終わったころだろうけど、無事に受かってるかな。あのやり取りを引きずらずにいたらいいけど。
私が潰してしまったのだけど、二人でお昼を食べていた時は本当に楽しかった。それは自信を持って言える。あの時、優一はどう思っていたんだろう。私と同じ気持ちだったんだろうか。それとも、何を恥知らずなことを、とでも思っていたのか。
そんなこんなで、シフトは普段以上のスピードで終わりを告げた。
「戻ろう、時ちゃん」
落ち着いた声で国さんに促され、連れ立ってバックヤードに戻る。国さんがゴムを掴んで一気に引き抜くとバサリと黒髪が舞う。
「忘れない内に渡しておこう」
国さんが赤いハンドバックから取り出したのは、透明な袋に入った黒いものだった。
「チョコレート、ですか」
「ああ。本当はバレンタイン向けに作ったんだが、時ちゃんには会わなかったからな。二日も経ってしまった。嫌ならもちろん、そう言ってくれ」
「これって……」
袋に入ったチョコは星や月の形をしているが、少し形が崩れている物もある。ただ、欠けた感じではない。元から歪んでいる感じ。これは。
「手作りですか!」
友チョコに対して、意識が高すぎる。そんなことするのは漫画の世界だけだと思っていた。
「ああ。見てくれが悪くなって悪いな。だが、味の方は色々なチョコを試行錯誤して混ぜたものだ。そちらに関しては保証する」
「ありがとうございます。頂きます。大丈夫ですよ。チョコはそう簡単に痛みなんかしません」
私は脱いだエプロンをハンガーにかけるとさっそく一つを口に運んだ。少し硬めのチョコをカリッと噛むと、強い甘さの後にほろ苦さが少しだけ下の先に残る。
「美味しいです。良いですね、こういうの。彼氏さんも絶対喜びますよ」
国さんの顔にピシッとき裂が入った。真っ赤な唇が微笑みのまま固まる。遅まきながら、私は理解してしまった。
「これって……」
「そうだ」
勢いよく国さんがカッターシャツを脱ぐ。キップの良い脱ぎ方だ。女同士とは言え、ほれぼれするぐらい堂々としていた。唇を噛んでさえいなければ。
「あの男に渡す予定だったチョコ。渡す前に別れて良かった。おかげで、食べるところを見てきちんと私が喜べる人の手に渡ったのだからな」
……重い。元カレをすでにあの男呼ばわりしているところが特に。本当に食べていいのかな、これ。まあ、もう食べちゃったんだけども。
チョコの袋を閉じてカバンにつめ、ぎこちなく着替えに戻る。となりの国さんは相変わらずの手際の良さだった。
気まずい。澱んだ空気に耐え切れずに地雷覚悟で聞いてみた。
「あの、どういう訳で」
「デートをすっぽかそうとしたんだ、あの男」
「え」
「元々、デートを予定していた日にシフトを代わってほしいと頼まれたらしくてな。断り切れなかったそうだ」
う~ん。確かにそれはちょっとな。もちろん、ほかの人との付き合いは大事だが、彼女をあまり大切にしていないように感じてしまう。やっぱりそこは、交際相手を優先してほしい。
しかし、疑問もある。普段さばさばしている国さんがそれだけを理由に別れようとするように思えない。他人に望むものと恋人に望むものが異なるのは分かるが、それにしてもイメージが湧かない。
「もちろん、それだけでは別れ話など言わない。私だって子供じゃないんだ」
その後も色々言われた。一緒に行こうとチケットを彼が用意したライブは国さんがあまり好きでないバンドだった。(一応、有名どころで世間一般では人気の高いバンド)デートの時に珍しく小物を工夫してみたのに全然気づかなかった。電車に遅れそうになって走ったら置いていかれた。(その時、国さんはヒールだった)
ほとんど表情を変えない、自然体で語られたことは一つ一つはちょっと気を悪くする程度のものだった。ただ、それが積み重なったことが悪かった。例えて言うなら、火山だ。爆発する前から毎日少しずつマグマは溜まっている。
話の間に二人ともすっかり着替え終わったが、この場を離れられず話し続けた。時間的に上がりは私たちだけなので、誰も来ない。店の方では卵のタイムセールをやっている。
「一応のフォローだが、あの男は悪い人ではなかったよ。色んなことに積極的に参加するフットワークの軽い男だった。ちょくちょくボランティアに参加したりしていたのは、素直に尊敬したりもしてるんだ」
少しばかり、温かみのある声だった。口元にも、ほほえみと呼べそうな形を描いている。古いアルバムをめくる時の表情。
「それでも、なんですね」
「ああ。昔はそのフットワークに惹かれたりしたんだが、今では無鉄砲というか拙速に思えてきてしまったんだ。元は一緒なんだろうがね。こっちの見方の違いだよ。分かってはいるが、変えられなかった」
見方の違いか。……心当たりはある。優一の微笑みを、昔は素直に彼の優しさが現れていると思ったが、今では黒い本心を隠す仮面と疑ってしまう時がある。三宅先輩にだって。だらけた部を引っ張るリーダーシップとして尊敬するときもあれば、強引すぎると捉えてしまうこともある。全て私の見方の違いのせいと言えるのかもしれない。
すうっと辺りが暗くなる。周囲にある机の、ロッカーの影が一歩こちらに近づく。
「でも、私は別に無理に変わるつもりもないがね」
凛とした声が周囲を浄化する。神前に立つ敬虔な気持ちが内から湧き上がる。
「無理に自分を捻じ曲げたら、疲れるだけだ。正しいことをしていたとしても、それは変わらない。人を愛するのは、一生がかかってる。そんなことで見栄を張ったって良いことなどない」
1足す1は2である。そんな当たり前のことと同じように国さんは言ってのけた。堂々とした物言いだ。あやうく惚れそうになるくらい。
「じゃあ、国さん。誰かを愛するときには、どうするんですか。全てを好きにいることができる人なんて、現れないと思いますけど」
「それは、そうだが。自分が許せるかどうかだろう。嫌なことまで受け入れられるか。できたら何の支障もないし、無理なら縁がなかったというだけだ」
嫌なことまで受け入れられるか。その言葉が鐘の音のように胸にこだまする。そんな発想はなかった。
「なんだか、相談しているつもりがされているようだ。良かったら、話でも聞こうか」
髪の毛をいじりながら国さんが尋ねてくれた。敏感な人だ。本物の魔女みたいに心の内が見えるのだろうか。
ふと、打ち明けたい気分になる。けれど。
「いえ、大丈夫です。チョコ、ありがとうございます」
私の気持ちは私が決めたい。100%全部。そこで誰かを頼れば、自分に言い訳を残してしまいそうな気がする。ヒントはもらった。それで十分。
「そうか。私も話してみて自分の中で整理がついた気がする」
国さんの言葉を合図に、二人そろってバックヤードを出る。いつの間にか雨でも降っていたのか、濡れた道路は夕日に照らされてキラキラ輝いていた。
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