第3話 カラオケ帰り

 薄暗い店内。変に伸びる声が大きく響き、タンバリンの音がガチャガチ煽り立てている。私はイスに座って、目の前のサンドイッチに手を伸ばしていた。タマゴサンドはちょっとマヨネーズが勝ちすぎている。


 私は千春から預かったモコモコファーのついたコートを皴にならないように畳んでからイスに掛けておく。


「ふあっ」


 こっそり欠伸する。前々から言われていたカラオケなので来たには来たが、正直、眠い。

 久々に、優一に再会したせいか、夢で高校時代を追体験してしまった。もちろん現実そっくりとはいかないが、それでも起きた時にはじっとりと嫌な汗をかいていた。


 正面では千春が昔のアニソンを熱唱している。結構な有名どころでそこそこうまいのだが、照明に照らされてキラキラ輝く茶髪が、曲の持つ暗くとも崇高な雰囲気に全く合っていない。


「ねえ、時宮も何か歌ったら」


 こぶし一つ分くらいの距離に男の人が腰かけてきた。黒ぶち眼鏡をかけた、切れ長の目。ぎゅっと引き結んだ口。高い身長から、一見いかめしい印象を受ける彼こそが、三宅正司。うちの三回で、ほとんど部室に顔を出さない部長に変わってリーダーシップを発揮している。


「自信ないんなら、一緒に歌うけど。苦手なの?」

「あ、いや……」


 苦手かと言われれば、苦手だ。こういう場そのものが。私はもう少し穏やかにやりたい。少なくとも、知っている人だけで。実は、イベントにしか顔を出さない二回と一回の男子は会話すら全然ない。正直、付き合いできているが、それを言うわけにはいくまい。


「まあ、ちょっとくらい音外しても大丈夫。みんな気にしないって。楽しんだやつが勝ちなんだから!」


 そう言って、ワハハハと大声で笑いだした。千春の歌といい勝負だ。私にはそれが人間が出せる声量だと信じがたい。


 だが、これが三宅先輩と言っても良い。劇が好きで、よく真似をして、普段から喋り方を意識していたらこうなったらしい。身振りも大きく、シェークスピアの「人生はただの舞台」という言葉を本気で信じている人だ。


「そういえばさ、俺は詳しくないんだけど、音楽とか劇ってたいてい誰かと一緒になってやるものだろ。歌手は一人でもバックで演奏してる人がいて」

「そうですね」

「そうすると、普通に話している時よりももっと先というか、深いところまで見えてくるらしいんだ。相手の意図を常にくみ取ろうとするから」


 ふうん。今まで考えたことがなかったけど、確かにありそうな話だ。


「だからさ、歌ってみない? 一緒に」

「——え?」


 素直に驚いた。さっきの話に続けて提案してくるとは。けっこう露骨ではないか? 私は、信じられないという思いを込めて三宅先輩を見たが、彼は頬杖をついてこっちの目をのぞき込んでいる。


「どう?」


 どうと言われてもあいさつに困る。正直に言うと、押しが強いタイプは苦手だしかし、この人は親切で言っていることもわかる。断りたいけど、断る理由もない。


 悩んでいると、歓声が爆発した。千春が大げさにお辞儀をしている。曲が終わったらしい。


「まあ、気軽にして」


 そう言って、順番が来た先輩は、仕方ないという感じで息を吐いて千春とチェンジした。千春は座ると、メロンソーダを一気飲みした。


「はあ、歌うたうとのどが渇くなあ。そんで、何言われてたん?」

「何って。まあ、一緒に歌わないかって」

「ああ。歌ったらいいんちゃう?」


 千春は焼きおにぎりをもぐもぐやりながら、こともなげに答えた。まあ、確かに歌に誘われるくらいは普通にあることだ。なんだか、さっきの気持ちをどうして感じたのか、分からなくなる。


「いいやん。これで距離が近づいてって0になったら万々歳」

「なにが」


 距離が0って、どういう意味だ。まあ、なんとなく分からないでもないが下手に踏み込みたくない。


 二個目のおにぎりに手を伸ばしながら千春が言った。


「いやあ。恋愛ってええもんやけどな。しーちゃんにも是非知ってほしいなあって」


 そう言って、肉感的な唇を歪める。いたずらっぽい、何か企んでいる時の目だ。


「どういうこと」

「いやあ、しーちゃんって全然そういうの興味持たへんから」


 ……言われていれば、その通りだ。優一の件があってから、私は自分が信じられなくなっている。恋人を見捨ててしまった人間。そのことは自覚しているし、忘れてはいけないことだと思っている。そんな自分が、また誰かと付き合ったところで、また冷たく見捨ててしまうのではないかと思う。


「恋人がいるってええもんやけどな。一緒にいたら、楽しいよ~。ただ家でゲームするのでも良いし、この前は水族館に行ってみたんやけどな。ペンギンが散歩してる前で写真撮ったりもしてんで。とにかく、恋愛しとるなあって気分は最っ高」


 暗い部屋でも頬が上気しているのが見て取れる。本当に、幸せなんだろうな。


「でもさ……」

「でもも、へったくれもあらへんよ。しーちゃんはいっつも難しいこと考えてるからあかんのや」


 千春は大げさに頬を膨らませて見せる。三宅先輩の低くて張りのある歌声が響いている。


「恋愛っていうのはな。あんまり考え込むようなもんやないで。とりあえず、突っ込んでいくもんや。恋に落ちるんやなくて、恋に飛び込んでいくような気でいかんと」


 飛び込んで、怪我をしたら? そんな思いは口には出せず、私は小さく頷くしかできなかった。


「ねえ、しーちゃん。順番まだみたいだから悪いけど、ドリンク取りに行ってきてくれる?」

「じゃあ、俺も行くよ。持てないだろ。これだけの数」


 部屋にいた全員がドリンクを注文してきたので、歌い終えた三宅先輩と一緒に行くことになった。たぶん、千春のもくろみ通りだ。


 ドリンクバーは店内の奥にある。ちらっとだけ見たモニターでは満室とのことだが、防音がしっかりされていて静かなものだ。二人で手分けしてドリンクをとっていく。


「そうだ、時宮に言っておきたいことがあったんだけど」

「なんです」


 コーラに氷を一つ投入しながら聞き返す。グラスの上の方が泡で真っ白になる。


「今週の日曜日、時間ある?」


 平然とした口調で言われた言葉に、おもわず振り向いてしまった。今まで色々とアプローチされていたが、休日に呼び出そうとするのは初めてだった。


 三宅先輩は私の反応に満足したらしく、してやったりという表情を浮かべていた。


「そろそろ、先輩たちの追いコンがあるだろ。そこで渡すプレゼントを選びに行くんだけど、手伝ってほしいんだ。どんなのにしたらいいのかって」

「ああ、そういうことですか。……なら、行きます」

「ありがとう。いやあ、時宮はやさしいな。ホント、助かる。よろしくう」


 私は、優しくなんか、ない。その時が来れば、大切だった人でも見捨てる人間なのに。自己嫌悪に陥った私に気づかず、先輩は満足げな表情で先に立って歩き始めた。


 戻ると結局私は一人で盛り上がりそうなボカロの曲を歌った。歌詞がうろ覚えだったが、やっぱりやる以上は良い点を出したかったので、音程とか強弱を意識し続けたら、87点も出た。


 これで盛り上がり、気がつけば終了時刻になっていた。


「あたしらは、自宅生なんで、ここで失礼します」


 手近な交差点で千春たちと別れる。下宿生は私と三宅先輩だけだ。自然と一緒になる。夜道は人通りも少なく、不気味なくらいに静かだった。


 黙って歩いていたが、気まずい。何か話さなければと思うが、さりとて話題がない。


「ふと思ったんだが、時宮は存外本音が読めないタイプだな」


 いきなりそんなことを言われた。本音が読めないとはまた、らしからぬ発言としか思えない。一見、ネガティブな発言だ。けれど、両手を広げた仕草はいつも通り、明るい。


「例えばだが、俺の方はどう見える?」

「どう、とは?」

「裏がありそうか?」

「いえ」


 これは即答できる。裏がありそうかというよりも、真意が筒抜けすぎて裏にもならない。そんな感じの人だ。先輩は大きく頷く。


「そうだな。自分でもそう思う。俺は自分の感情は大げさなぐらい表現して、良いことは大きく、嫌なことも吹き飛ばして生きていこうと思ってるからな」


 笑って過ごしていれば人生オールOK。そんなことを言って笑う。ガハハ、という低くて張りのある声が寒さまで吹き飛ばしていく。


「でもなあ。気を悪くしないでほしいが、どうにも時宮は違う気がするんだ。いっつも丁寧だし、気は良いし、笑っている所だってよく見るんだ。さっき、梅本と喋ってるときとかな。だが、どうにも、そう。影があるんだな。お前には。前々から気にはなってたんだ」


 聞かせてくれないか。大げさに距離を詰めて私の顔を覗きこんできた。普段いかめしく見える顔が得意げに口元を歪めている。


「重荷は分かち合え、さすれば絆に変わる。どうだ。格言っぽいだろ」


 俺はお前の負担なら喜んで背負ってやるぞ。いや、お前ごと背負っても良い。ドン、と三宅先輩は胸を叩く。劇が好きな先輩らしい。芝居がかった動きだ。


「そうですね」


 私は小さく息を吐く。そう言えば、昔優一にも似たことを言われたことがある。


『時宮さんって、細かいことにも気がついて一緒にいたら、日向みたいに穏やかな気持ちになれる。だから、僕も、時宮さんの側で同じことができるようにさせてくれないかな。時宮さんのためだったら、何でもするつもりだよ』


 ……告白された時の言葉だ。何で。視界がぼやけて揺らぐ。思わず俯いて顔を隠す。街頭の光から外れ、周囲が一気に暗くなる。


「でも、私は別に他人に背負ってもらうようなことはないですよ」


 先輩は、良い人だ。自分に酔っているところはあったかもしれないが、それでもセリフにこもっている感情は本物だ。


 けれど、彼のことは私がずっと抱えていく。そう決めている。


「そうか、そうか。俺の考えすぎか。なら、良いんだ。いやあ、俺も酔ってるのかな。悪いことじゃないぞ。人間、笑って過ごせるように努力せんとな」


 カラオケでチューハイを飲んでいた先輩は、また笑いだした。笑って過ごしていれば人生オールOK。そんなセリフを夜空のもとで叫んだ。セリフを見事に体現していた。近所迷惑な気もするが。


 よく見れば、わずかに蛇行しながら歩く先輩の後を軽く笑って、軽く呆れながら歩いた。


 学校近くまで来た。ここからは別方向だ。


「じゃあな、時宮。日曜日だ、本選び手伝ってくれよ」

「本選び、ですか?」


 先輩に渡すプレゼントじゃなくて? 唖然とする私にみぞれが降ってきた。


「文芸部なんだから、やっぱり贈り物は本だろ。そう思うよな。じゃあ、場所は追って連絡するから」


 言うだけ言うと、こっちに背を向けながら気どった仕草で手を振り立ち去った。私はその姿が消えるのを呆然と見送ると、寒風に押されて家へと向かう。


「人生は笑って過ごせるように」か。今の私は、痛みを抱えるだけで思えば人生をどうしようとか、考えていなかった。でも、今のままで居続けるわけにはいくまい。


 千春は「恋は飛び込むもの」と言った。アプローチしてきてくれる三宅先輩は良い人だ。なら、先輩と私は付き合えるだろうか。

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