そんな古書店、私は唾を飲む。

 春風が街を駆け巡り、木々をざわざわと揺らす。

 こんな待ち合わせをしたのはいつぶりだろう。普段なら友達の家に直接行ったり、駅の近くの喫茶店での待ち合わせばかりだから、なんだか新鮮。

 なぜ公園で待ち合わせなのかって?

 それは私も知らない。なにせこの場所を選んだのは、ほかでもない先輩のほうだから。



「ごめんなさーい!」

 遠くから先輩が走ってくるのが見えた。

 おもむろに腕時計を見るが、待ち合わせの10時にはまだ達していない。謝る必要なんてないと思うのにな。

「はぁ、はぁ……ごめんなさい。待たせてしまったかしら」

「私もついさっき来たばかりですから、気にしないでください」

 社交辞令のようなものだが、こういう時に相手を傷つけない言葉っていうのも便利なものだなぁ。そうしみじみと思う。

 それに嘘はついていない。遅刻だけはしないように早めに家を出た。到着したのはほんの数分前。お互いに何も悪いことなんてしてないんだから、これでおしまい。

「じゃあ早いとこ古書店とやらに行きましょう。お昼ご飯までに一通り見終わっておきたいですし」

「そうね、案内するわ」

 一応初デート、ってことになるのかな。あんまり緊張感はない。

 そのくらい気楽なほうが私にはピッタリか。どうせまだまだ、仮の彼女からは離れられそうにないし。



 並木道の石畳を歩くたびに、コツコツと音を鳴らすのが好きだ。今私は地面を踏みしめているんだっていう、生きている実感のようなものを感じられる。

 ……思ったけど、「実感を感じる」という表現は日本語的に正しいのだろうか。今まで何気なく使ってきたけれど、気が付いてしまうとどうにも違和感を感じてしまって仕方がない。

 とか何とか言ってるうちに、重複してるし。

「先輩って日本語は得意ですか?」

「日本語?まぁ人並みにはできると思うけれど」

 ここで自信満々に「得意よ!」なんて豪語する先輩が見られたら面白そうだったんだけど、少し残念だ。

「ふと気になったんですけど、実感を感じるとか、違和感を感じるって少し不自然な表現じゃないですか?」

「あぁ~……確かにそうね。私なら実感がわいてくる、違和感を覚える。そんな感じにするかしら」

「なるほど、納得しました」

 確かにそのほうがより自然な形に聞こえる。表現として何度か聞いたことがある気がしなくもないし。

 実際に小説を書いている人たちは、こんな些細なところにいつも目を向けているのかもしれない。なんていうか、お疲れ様です。

「突然どうしてそんなことを?」

「たまたま気になっただけです。特に理由は」

「あら、そう。なんだか突然そんな話題が出てくるなんて、『違和感を覚える』わね」

「あぁ、まったくですね」

 いいユーモアセンスなことで。素直に見習いたい。



「あぁ。ここ、ここ。いいお店でしょ」

 そうやって案内されたのは、古民家風のお店だった。住宅街の中でこの建物だけ木造というのは、はっきり言って浮いている感じがある。こういう独特の空気は私も好きだけど、ちょっと周囲に馴染めてなさすぎではないか。

 けど古書店と聞くと、そこそこ規模は大きいのかもしれない。普通の本屋より一回り小さいくらい?蔵書数には期待してもいいかな。

「確かに、いいお店に見えますね」

 いろいろと言いたいことはあるけど、入る前からべらべらと喋っても話が進まない。ここは省略させていただくとしよう。


 入口のドアを開けると、カランカランとベルが鳴る。古書店というよりも喫茶店っぽいな。でも最近は本屋カフェ?なるものがあると聞いたことがあるし、そのうちこんな形式が普通にみられる時代が来るのかもしれない。

 ちょっとコーヒーが飲みたくなってきた。

「いらっしゃい」

 初老の男性が入り口付近で新聞をを片手に挨拶してくる。レジの前には飲みかけのコーヒーが置かれていた。

 やばい、コーヒー飲みたい。昼食は喫茶店を希望しておこうかな……。


 しかし外見からは予想がつかないほど、中身は完璧なほど古書店だ。

 自分の身長の二倍近くありそうな本棚がいくつも並べられていて、その中には隙間が見当たらないほどの本が詰められている。

「これはなかなか、すごいところですね」

「でしょう?」

「えぇ。今まで知らなかったのが不思議なくらいです」

 この辺りに足を運ぶことがそもそも少なかったのだけれど、それでも今までなぜ来なかったのかという、強い後悔の念がこみあげてくる。なんというか、もったいない。

「見て回ってきてもいいですか?」

「今回の目的は参考書でしょ?先にそっちから行きましょう」

「そういえばそうでした」

 本好きとしての血が騒いでしまっていた。本来の目的を忘れてしまうとは。

 しかしこのお店には、そうなってしまうほどの魅力というか、魔力みたいなものを感じる。おっと、こいつは重複してないね。


 古書店で参考書を買うメリットはいくつかある。

 すでに交流した人がメモをしていたり、要点にペンが加えられたりしていて非常に使いやすいのだ。それにすでに使い込まれているということは、その分信頼性が高いことも表している。

 もちろんメモばっかりでみにくかったり、そもそも数年前のものしか置いてないので、現在の試験対策にならなかったり。そういうデメリットもあるので、選ぶ際には注意が必要だ。

 それを考慮してでもいい参考書がある、とまで言い切った先輩のお目当てとはいったいどのようなものなのだろう。


 区画ごとに本の種類は区切られているが、天井にぶら下げられているカテゴリ名が正しいのかどうかはっきりしない。さっきは文学作品のコーナーにエッセイらしいものが置かれていたし。

 とかなんとかどうでもいいことを考えていると、前方に「参考書・学術書」と書かれた看板が見えてきた。すでに本棚から大量の赤本がはみ出しているのが見える。

「このお店って、うちの学生がたくさん使ってるのよ。だから優秀な先輩方のお古とかが手に入りやすいの」

「なるほど。それなら学校の勉強内容にも近いですし、いい利点ですね」

 私の家とは方向が違うが、学校からはさほど遠くない。そりゃ近場にこんないいところがあるのを知っていたら、通うよ。

 あぁ……やっぱり今までここに来なかったことの後悔がががが。


「っていうか全体的に安いですね」

 こっちは定価2400円に対して400円。あっちは定価1200円に対して250円。確かに使い込まれているのは中身を見ずとも伝わってくるけど、ここまでの安価でお店の利益につながるのだろうか。

 せっかくいいところを教えてもらったのに、通う間もなく閉店なんて未来は想像したくないな。できれば私が就職するまで元気にやっていてほしい。

「詳しい仕組みはわからないけれど、うまく経営されているみたいよ?」

「そうなんですね」

 なんだかはっきりしないのが不安だ……。いや、悪いことばかり考えても私にはどうしようもないのだし、もっとポジティブに考えていこう。


 しかしこの圧倒的な蔵書量。見ていて惚れ惚れしてしまう。

 本当なら全部見たいところだけど、さすがに何時間かかるかもわからない状態で先輩を放置するわけにはいかない。いくつかスペースを見るだけで今日は我慢しておこう。残りはまた今度。



「そういえばお昼ご飯って決まってるんですか?」

「前みたいな喫茶店も考えたのだけれど、春先で少し肌寒いでしょう?できれば暖かいものをがっつり食べたいのよね。何かいいお店があるといいのだけれど」

「がっつり、ですか」

 私は喫茶店でしっかりとしたコーヒーが飲みたいのだけれど……。こちらも我慢だな、先輩にばかりいい顔をさせてはいられない。

 しかしがっつり食べたい、か。この辺りだと思い当たるのは――。

「あぁ、ちょうどいい場所がありました」

「本当!?」

「中華料理屋さんなんですけど、大丈夫ですか?」

「中華なら構わないわ」

 あそこならボリュームもかなりあるし、先輩を満足させられるだろう。電車で一駅くらいの距離だし、なにより馴染みの店ということで信頼できる。


 ……そういえば先輩にも、そろそろ学校での振る舞いを考えてもらわねば。午後はその話で終わってしまいそうだなぁ。

「なんだか叶さんのお店を紹介してもらえるって、不思議とわくわくするわね!」

「普通のお店ですよ?いいお店なのは保証しますけど」

 こんな風に私の前で浮かれまくる先輩を、どうにかして制御しないと。なんだか気持ちが重いが、先輩が楽しそうなら何よりです、えぇ。

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そんな先輩、私は彼女。 曼珠沙華 @manjyusyage

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