3
◇◇◇
奈央を残し、屋上のドアを出てすぐ暗がりの中に細い人影を見つけた。
「…どこから聞いてた?」
「いつまで死んだ人間引きずってんだよ、から」
そう言って、小さく笑ってみせる。
「相変わらず美味しいトコ取りですな、悠介さん」
わざと軽い口調でエレベーターには乗らず階段へ向かう俺を、悠介は後からついてくる。
「無理してない?」
「めっちゃしてる。悔しいから奈央には絶対に言うなよ」
踊り場で足を止めると、斜め後ろから気遣わし気な視線を感じた。そんなにも自分は酷い顔をしているのかと、意地でも平気なフリをしたくなる。
「まぁ、ほらアレだ。奈央も大事だから」
「……」
窓から行き交う人波をぼんやりと眺めた。数えきれない程の人が、信号が切り替わると同時に一斉に歩き出す。
「幸せになってくれたらそれでいいんだよ」
あの日、奈央が穂花を助けなければ俺達は出会えなかった。これだけの人がいる中、出会えただけでも奇跡的だ。…欲を言うならば奈央よりも先に出会いたかったけれど。
「キャー。カッコイイー。さすが和泉義人ー」
棒読み感満載ではあるものの悠介なりの慰めに、まあまあと手を挙げて応える。
「俺も自分で惚れるわー。まあでも、まだ振られるって決まったわけじゃ」
その時、窓から少し先に見えた姿に目を疑った。
反射的に階段を駆け下り、非常口から飛び出し表通りを見渡す。まさか…そんなはずが――。
「義人、どうした? 急に」
突然走りだした俺を、後から追い駆けてきた悠介が尋ねる。
「……や、なんでもない」
その肩をポンと叩き、来た道を戻る。が、何かに後ろ髪を引かれるかのように再び路地を振り返った。雑多な人波に、その姿は無い。
「義人?」
「ん、今行く」
…俺の見間違いだよな?
誰に聞かせるでもなく心の中で呟くと、静かに扉を閉めた。
◇◇◇
穏やかな朝だった。
まだ眠り足りない目を擦りながら顔を上げると、見知らぬ部屋のベッドに私はいた。ふと思い立ちリビングのドアを開ける。ソファーから伸びた長い足が目に飛び込んだ。
「…やっぱり」
そこにはソファーで窮屈そうに眠る義人がいた。ソファーの前にしゃがみ、視線を落とす。
好きに使っていいと言われたものの、さすがにベッドで休むのは気が引けた。幸いソファーはしっかりとした作りだったので、掛布団だけ借りて昨夜はソファーで眠ったはずだ。それなのにベッドにいたってことは。
「…ん」
「あ、起きた? おはよう」
――義人は優しい。そして私は、狡いと知りつつその優しさに甘えてしまう。
「何か飲む? コーヒーでもいれようか?」
寝起きのせいか義人はまだぼんやりとしている。
勝手に探したら怒られちゃうかな…、と立ち上がった時だ。突然手首を引かれ、バランスを崩した体は義人の腕に抱きとめられた。
「ちょっと、危ないじゃな…」
上半身を起こすと、寝起きとは思えないほど真剣な目と合う。
「義…」
「好き」
「えっ」
事態を飲み込めず呆然とする私の頭に手を回すと、
「好きだよ、穂花」
一文字ごとに気持ちを込めて、ゆっくりと呟いた。
正直――義人から向けられる好意には気付いていた。
優しいその目に見つめられるのは、ただただ心地が良くて。けれど自分の気持ちに嘘は吐けなくて、応える気も無いクセに私は甘えていた。
「…困った顔してんなぁ」
「だ、だって…」
起き抜けで唐突に告白されて戸惑うなって方が無理だ。第一、義人だってどこまで本気なのか。案外まだ寝ぼけてるんじゃ…。
「言っとくけど目覚めは良い方だから」
「…っ」
頭の中を読まれ、それ以上何も言えないでいると、義人は大きく息を吐き寝ていた体を起こした。ポンポンと空いたスペースを叩いて隣へ座るように促す。
「奈央が好きか?」
驚く私の反応を見て苦笑する。
「お前は感情がダダ漏れだからなぁ。見ててすぐ分かる」
熱を帯びる頬を隠すように俯く。…待って、それじゃまさか。
「…奈央も気付いてるの?」
義人が気付くらいだ。普段あれだけ一緒にいる奈央が気付いてないとは思えなかった。
「いや、あいつ変なとこで鈍感だから。まぁ、元々俺らのファンだったし、好意には気付いてても、それがどの程度のものかは分かってないと思う」
「そっか…」
ホッと安堵の息を吐いてすぐ、小さく苦笑を浮かべた。
―――お前は俺の『睡眠薬』だ。忘れんな。
ひどく冷めた瞳。もう望みが無いと分かっているのなら、気持ちがバレたって構わないはずなのに傷付くことを恐れるなんて。結局、私はまだ期待を捨てきれていないのかもしれない。
「穂花」
顔を上げると私を見つめる義人がいた。どうしたのだろうと見つめ返していると、やがて唐突に彼は言った。
「抱いてもいい?」
「抱…?!」
目を丸くした私に気付き義人は慌てて続ける。
「あ、いや違う。そういう意味じゃなくて。抱き締めてもいいかってことを聞きたかったわけで」
何も言わずに引き寄せたかと思えば、今度は触れる前に確認してみたりする。
「…って、何言ってんだ俺は。変な方向に気合い入ってんな…」
「気合いって」
めずらしく照れた様子の義人に、思わずふっと目尻が下がる。
すると義人の顔から笑みが消え、真剣な眼差しで見つめられた。その目は、先程の言葉よりもまっすぐに彼の想いが込められていて。受け止めきれなくなった私は、ほんの少しだけ目を伏せた。次の瞬間、突然――ソファーに押し倒された。
重なった体から義人の心臓がドキドキしているのが伝わる。それに合わせて私の鼓動も早まっていくのが分かった。義人の息が首筋に触れる度に胸が苦しくなって、背中に添えていた手で義人の服をキュッと掴んだ。
「…ふっ」
「…?」
「…っあはは!」
不意に義人は爆笑しながら体を起こすと、ポカンとしたままの私の腕を引いて起こした。
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