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◇◇◇
手の中のスマホは着信を知らせていたけれど、取らずにポケットへ押し込んだ。
「いやー、でも本当大事に至らなくて良かったです」
昨日とはうって変わって穏やかな顔で、西岡さんはホッと息をつく。とあるスタジオの控え室に俺達はいた。あと数分もしたらゲストとしてスタジオに入る。
約束通り朝一で義人と西岡さんは病院に向かい、診断結果は軽度の裂傷。ただし化膿する恐れもある為、義人の右手は白い包帯で覆われていた。
「くれぐれも右手を振らないで下さいね」
公開放送なのでファンにはガラス越しに俺達の姿が見える。万が一、手に包帯をしているなんて見られたらちょっとした騒ぎだ。
「そう何度も念押さなくても、分かってるって」
度々繰り返される西岡さんの小言に眉をしかめる義人の首に、やはりいつものネックレスは見当たらない。
「そうは言っても…」
「あれ? ヨッシー。ここ、どうした?」
さっきから切り出すタイミングを計っていた俺は、西岡さんの小言を遮って自分の首元を指差す。
「ネックレス。いっつもつけてたじゃん」
「あぁ。なんか気付いたら無くなってて。どっかで落としたのかも」
胸元をさすりながら苦笑する。
「えー? あんなゴツいの落としたらいくらなんでも気付くでしょ。…どっかに置き忘れたとかじゃないの?」
「んー…、まぁそのうち出てくるだろ」
知ってる。どこにあるか。
そう言いかけた時、番組スタッフに準備を促された。
「本日のゲストはニーナの奈央さん、そして義人さんでーす!」
登場した瞬間、ガラス越しにも伝わる歓声に左手で答える義人。
大事な商売道具を傷つけてまで、お前は何を守りたかったんだ? 名誉の負傷? なんだ、それ。
穂花の家にネックレスがあったってことは、やっぱりあいつも関係あるのか? なにも話してくれないのは、なにか疾しいことでもあるからなのか?
胸の中を覆う霧は、晴れるどころか色濃くなる一方だった。
◇◇◇
洗濯をしようと洗面所へ向かった時、それに気付いた。
明らかに見慣れないネックレスが床に落ちている。値段を聞くのが引けてしまうくらい見るからに高そうで、誰のものかなんて考えるまでも無かった。
「…義人さんだ」
そうだ。きっとシャワーを浴びる時に外して、そのまま忘れてしまったんだろう。困っているかもしれない、と教えてもらったばかりの番号へ電話してみた。
かけた直後、さっき奈央が出なかったのを思い出した。義人さんも仕事中かもしれないと思った矢先、
『もしもし?』
「あっ…、えっと義人さん、ですか?」
まさか一コールもしないで出るとは思わず、間抜けな第一声を発してしまった私をクスクス笑う声が聞こえた。
『はいはい、そうですよ』
「今、大丈夫ですか?」
『うん。どうした?』
「昨日、ネックレス忘れていきませんでしたか?」
少しの間があって、
『…あぁ! そっか。そうだ。すっかり忘れてた』
と、早口に返ってきた。
「やっぱり。良かったら届けましょうか?」
『え? や、悪いからいいよ。次会った時、渡してくれれば』
「こんな高そうな物、手元に置いておくの恐いです」
本気で言ったのに義人さんは大笑いしていた。
結局、これから会って返すことにした。
スタジオ入り前ということもあり、スタジオの近くの駅で待ち合わせることになった。「来ればいいのに」と義人さんは言ってくれたけど、奈央に呼ばれてもいないのに仕事場に行くわけにはいかない。
それに何で義人さんに会っていたのかと聞かれたら、あのカフェでの――真也とのことも話さなきゃいけなくなる。もう終わったことなのに余計な心配はかけたくない。
「…心配、か」
メイクをする手が、ふと止まる。
心配して欲しいわけじゃない。けれど、まったく何も感じないと言われたら、それはそれで寂しいと思ってしまう。
奈央の反応を知りたい気持ちを振り払うようにメイクを続ける。少なくとも義人さんにこれ以上迷惑はかけられない。やっぱり、奈央には話さずにいよう。
この時、既に奈央がネックレスに気付いていたなんて思いもしなかった私は、黙っていることが裏目に出るなんて予想だにしなかった。
◇◇◇
「…わかりやす」
話し終わってからもスマホを見て嬉しそうにしている義人に呟くも、
「ん? なに?」
…聞こえてもないし。
「別に。どっか行くの?」
公開放送は無事に終了し、出待ちの子を撒く為に俺達は西岡さんとは別口で解散した。今は俺の車に乗り代えてスタジオへ向かっている。
「あ、悪いけど次の角で降ろして」
「近いんなら送ってくけど」
「平気。すぐそこだし」
車を止めると義人は、
「今日は絶対遅刻しないから。ありがとな」
そう言って、いつもと変わらない笑顔を見せた。歩きだす後ろ姿からは、そこはかとなく幸せオーラが漂っていて、その背をしばらく見送ってからゆっくりと車を発進させた。
「あれ、奈央だけ? ヨッシーは?」
スタジオにはまだチカしか来ていなかった。ギターを抱え短いフレーズを気のむくまま弾いている。
チカの言葉に返事もせず、ドカッとソファーに腰を下ろす。不機嫌な空気を察したのか、チカは黙ってギターへと向き直ったようだ。
別に義人が誰に会おうが、誰に惚れようがあいつの自由だ。今回はその相手がたまたま俺の身近にいる穂花だっただけのこと。なのに、どうしてこんなにも気になるんだろう。
理由の分からない苛立ちは増していく一方だった。
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