7
傘を渡した後、信号を待つ俺の目に見えたのは、知らない男と話す穂花ちゃんの姿だった。
強張った彼女の表情に、ふと奈央がしつこいナンパから助けたという話を思い出す。急いで戻ろうとした矢先、傍にいた女が二人に話しかけた。そしてしばらく三人で話していたかと思うと、そのまま店の中へと入って行った。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
店員の案内を無視して三人からは死角の席に着くと、目についた物を適当に頼む。
傍から見たらかなり怪しい男だったろう。サングラスも外さず一人静かに耳を澄ませていたのだから。今思えば我ながらキモイ。けれど、その時は考えている余裕なんて無かった。
一人はしゃぐ女の話を、穂花ちゃんは張り付いた笑顔で聞いていた。男はずいぶんと居心地が悪そうだ。
「真也さんに聞いても、『お義父さんの言う事を聞いた方がいい』って言うし…」
聞き覚えのある名前に、ようやく三人の関係が見えた。
「言っとくけど余計なこと話すなよ。今が一番大事な時期なんだから」
その言葉に、気付けば考えるより先に体が動いていた。
「シャワー浴びて下さい。着替え出しておきますから」
部屋に着いてからも穂花ちゃんは俺のことを気にかけてばかりで、忙しなく動く姿に最初は何も聞かないでいるべきかと迷った。
でも、いざシャワーから出てみれば、沸騰するケトルを前にぼんやりと穂花ちゃんは立っていて、堪らず抱き寄せた体は小さく震えていた。
いつからか穂花ちゃんの姿を目で追うようになって。
いつの間にか穂花ちゃんが心の中を占めていた。
決定付けたのは仮眠室での、あの一瞬。眠る奈央を優しく愛でながら、髪を撫でる彼女を見てハッキリと浮かんだ感情。
奈央への嫉妬。と同時に、この目に見つめられる唯一の男で在りたい、と強く感じた。
煙草を買いに行くフリをして穂花ちゃんの後を追ったのは、少しでも二人で話したかったから。口実に買った傘を差し出すと、一瞬目を丸くした後、まるで花が咲くように笑うから。
あぁ、俺はこいつが好きなんだって自覚した。
眠る彼女の頬をもう一度撫でてから部屋を後にすると、さっきまでの大雨が嘘のように晴れていた。
ふと感じた右手の痛みに顔をしかめる。ずいぶんへなちょこな拳になったもんだ。
ポケットからスマホを取出し着信履歴からかけ直すと、
『ヨッシー?! お前、今どこよ』
耳を
「悪い。連絡遅くなって」
『や、てかどこまで買いに行ったの』
呆れる声。ここで今までの出来事を話したら、いったい奈央はどんな反応を見せるだろう。
「みんなまだスタジオにいる?」
『いますよー。ていうか義人さん待ちデス』
「あー…スミマセン」
奈央の声の後ろで悠介のギターを弾く音がする。スマホを耳から離し時間を確認すると、スタジオを出てから既に三時間も過ぎていた。
「今からすぐ向う」
『あ! 待って、ヨッシー』
切ろうとしたら奈央に引き止められた。心に
『途中で何か食いもん買ってきて』
予想外の言葉に肩透かしを食らう。
「腹減ってるとか?」
『俺じゃなくて。チカがマジ切れしかけてる』
「…買わせて頂きます」
腹を空かすとチカは不機嫌になる。声を潜めたところをみると、それなりの品物を手土産にしなければ命が危ういかもしれない。
『それとな』
「まだあるんかい」
『穂花に会ったか?』
――時間差で来た不意打ち。
「…穂花ちゃんがどうかした?」
『や、何も無いんだけど。ヨッシー出てく少し前に帰ったから、会わなかったかなぁって』
「いや、どうだろ。気付かなかったけど」
知らなかった。自分がこんなに平然と嘘つけるなんて。
『雨すごかったし、帰り平気だったか気になったんだけど…ま、いっか』
「なぁ、聞いてもいいか?」
ほいじゃあ、と切りかけた奈央を今度は俺が引き止める。
「奈央にとって穂花ちゃんて何?」
…返事が無い。
「もしもし? 聞こえてる?」
『…なに、急に』
明らかに奈央の口調が変わった。ただ、これだけじゃ分からない。
「いや。今日お前がラリホーマにかかってるとこ見て」
『はっ? 悪趣味ー』
「最近は少し離れても寝れるって聞いたから。良くなってんのかなぁって」
『さぁ…どうだろ』
遠回しに尋ねる俺の真意を知ってか知らずか、奈央は曖昧に返事する。
「治ったら穂花ちゃんはどうすんの?」
『義人』
奈央の声に厳しさが増す。
『なに言いたいのか分かんないけど、穂花のことはちゃんと大事だから』
もしかしたら――、
「その大事って、薬としてって意味で言ってる?」
『…そうだけど?』
俺達は近い未来、同じものを望むようになるのかもしれない。
『お前ホントに』
「俺な」
奈央の言葉を遮りその後に続く声は、自分が思う以上に強く確かなものに溢れていた。
「穂花ちゃん、好きなんだ」
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