5
傘を忘れたことに気が付いたのは、お店を出た後だった。
「…取ってきましょうか?」
「いいよ。入店拒否されそう」
雨は相変わらず雨足を弱める事を知らず、私達はお店から少し先のCDショップに入っていた。
「あの…」
「何?」
「さっきから視線を感じる気がするんですけど」
「…するなぁ」
カフェで浴びせられた迷惑じみたものではなく、むしろ羨望と憧れに満ちた眼差し。
「入る場所間違えたな」
義人さんは苦笑すると、
「タクシー捉まえてくる。ちょっと待ってて」
止める間も無く再び激しい雨の中に出て行ってしまった。考えることはみんな同じなのか、苦戦しているのを窓ガラス越しに見ていると、
「あのぉ…」
高校生くらいの女の子二人組に話かけられた。
「一緒にいる人って、ニーナの義人さんですか?」
「えっ…」
不意の質問に言葉を詰まらせていると、もう一人の子は、
「止めなって。こんなとこいるわけないじゃん」
質問した子を止めるが彼女は聞かなかった。
「ううん、絶対ヨッシーだよ。あの服着てるの見たことあるもん」
そう言って私に向き直る。
「義人の彼女なんですか?」
(…何やってるんだろう、私)
敵意と嫉妬に満ちた視線を、見ず知らずの自分よりはるかに年下の子に向けられ、怒りや呆れよりも虚しさの方が大きかった。
真也とのことで疲れきった心を、彼女の視線は鋭利な刃物のように容赦なく刺していく。…もう、何も聞きたくない。
「!」
突然、手首を引かれ顔を上げると、ずぶ濡れの義人さんが立っていた。
「お待たせ」
「…っ、義人!」
自分達を見向きもせず立ち去ろうとする彼を、堪らず呼び止めた彼女の目が悲しげに歪む。
「ごめん、車待たせてるから」
自動ドアが閉まる直前に聞こえてきたすすり泣く声に、胸が痛んだ。
「…あんな態度取って良かったんですか?」
「失礼なのは向こう。わざわざ俺が行ってから確認するとか」
「でも、あの子きっと義人さんのこと」
「俺のファンだからって何しても良いわけじゃない」
義人さんはそれ以上何も言わず、じっと窓の外を眺めていた。
確かにあの子達の態度は失礼だろう。けれどそんなことをさせてしまったのは、義人さんを巻き込んでいる私にも原因があるんじゃないだろうか。
それに、私だってほんの少し前まではあの子と同じ立場だった。憧れの人が女の人を連れている場面を見たら…やっぱりショックは隠せないだろう。
最後に見た悲痛に歪んだ顔。突き刺さるような視線が、頭から離れなかった。
マンションに着いてすぐバスタオルを渡した。
「シャワー浴びて下さい。着替え出しておきますから」
確かこの前、奈央に借りたスウェットがあったはずだ。
「穂花ちゃん、いいから」
「駄目ですよっ。…あった! はいこれ。お風呂場は…って分かりますよね」
リビングの入り口に立ったままの義人さんに差し出すが、受け取らず私を見ていた。
「どうしました?」
「あ…っと、うん。じゃあ、使わせてもらおかな」
気のせいだろうか、表情が雲って見えた。
濡れた髪を拭きながらシューズボックスに備え付けの全身ミラーを覗くと、化粧の崩れた悲惨な女が映る。…これじゃあ顔も曇らせるわけだ。
下瞼に滲んだマスカラをタオルで拭い、ケトルをコンロにかける。そのままお湯が沸くのをぼんやり眺めていると、今日の出来事が頭の中をグルグルと駆け巡った。
想いを言葉にするってなんて難しいんだろう。
少なくとも今日、真也に会わなければ私の中で彼と過ごした時間は、心の奥に閉まっておくことが出来た。傷ついた事実は変えられないけれど、二人で重ねてきた時間の全てまでを否定する必要は無いと思っていたから。
あの子達にしてみてもそうだ。
自分達の感情を最優先に考え、見ず知らずの人に対し非難を露にすることに何のためらいも無い。どちらも言い方をほんの少し気を付ければ、お互い嫌な思いをすることは避けられたのかもしれないのに。
そして…何よりも一番悔やまれるのは、私個人の問題に義人さんを巻き込んでしまったことだ。
あの時、何故あの場にいたのかは分からないけれど、義人さんがいてくれてどれだけ救われたか。感謝のしようも無い。
カフェはともかくCDショップでは名前を呼ばれている。変な噂をたてられて迷惑がかからなければいいけれど…。
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