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つきあたりの角を曲がると広くは無いが仮眠室がある。中に入るとさっきまでの騒がしさが嘘のように、しんと静まりかえっていた。
「なに笑ってんの」
無意識に思い出し笑いをしてしまっていた私に、奈央がしかめっ面をする。
「ん? 確かに見事な爆睡っぷりだったなぁって」
実際、本当に見事だった。
念願の武道館でのライブ終了後、メンバーのテンションはありえないくらい高かったらしい。中でも奈央は人一倍はしゃいでいたらしく、中打ちで普段飲まないお酒にも手を出し、ホテルに着く頃には完全に出来上がっていた。
西岡さんの指示で先に部屋で待っていた私はドアを開けた瞬間、
「ほぉのっかちゃ~んっ」
真っ赤な顔をした奈央に抱きつかれたかと思うと、ものの十秒もしないで眠ってしまったのだ。部屋まで連れてきてくれたチカさんと義人さんも呆れるくらいの早業に、三人で顔を見合わせて笑った。
「あれはホラ、酒飲んでたし。それに俺めっちゃ疲れてて」
「うんうん。そういうことにしておこうね」
「え、何その言い方。ムカツクーっ」
いつ頃からだろう。こんな風に意識しないで奈央と話せるようになったのは。
「こら、穂花! いつまで笑ってんの」
名前を呼び捨てられることにも馴染んで。
「あーもう。いいからおいで」
広げられた腕の中に、躊躇うこと無く身を預けて。
「もう少しこっち寄らないと落ちる」
それでも抱き寄せられる瞬間は、未だにドキリとしてしまう。
一定のリズムを刻む奈央の心音を耳にしながらいつも思う。いったい、いつまで私は『ここ』にいられるんだろう。契約期間は特に決められていない。奈央が一人でも眠れるようになるまでは、傍にいられるんだろうか。
…治らなければいいのに。
たとえ気持ちを打ち明けられないとしても、『睡眠薬』以上の関係を望めないとしても、ずっとこの腕に抱かれていたい。
温かな腕の中、そっと奈央の寝顔を見つめた。
◇◇◇
廊下を走る音が近付いてきたかと思うと、スタジオのドアが勢いよく開いた。
「奈央いるっ?!」
険しい形相の智に、一同は目を丸くする。
「今、仮眠室に穂花ちゃんといるけど…」
「そうか…良かった」
「どうした? なんかあった?」
ホッと息をつく智に義人が尋ねる。普段は割合おっとりしている智がこれだけ慌てるのだから、何かトラブルでも起きたのかと思ったのだ。
「うん…ちょっとな」
「幽霊でも見たような顔したけど」
冗談で言った悠介の言葉に、智は過剰なまでの反応を示した。
「えっ、まじか。そういや、このスタジオ出るって前に聞いたなあ」
話に身を乗り出す義人。しかし当の本人は近くの椅子に腰を降ろすと、深くため息をついた。
「…まゆちゃん、見かけたんだ」
その一言にスタジオの空気が張り詰める。一番最初に口を開いたのは義人だった。
「智、悪い冗談やめろ」
「義人の言う通りだよ。見間違いじゃない?」
「他人の空似ってヤツだろ。ていうかどこで見たの?」
「非常口んとこ。あそこ歩道見えるじゃん。外歩いてて」
「それだけじゃ分かんないだろ」
と、呆れる義人に智は続ける。
「だから追いかけたんだよ。ちょうど信号が赤になって追いついたんだけど…」
いったん口を閉じると、額へ手をあて二度目のため息をつく。
「…あれが他人の空似なら、いっそ本人って言われた方が納得いく。怖いくらい似てて…声、かけらんなかった」
◇◇◇
小さく聞こえたノックの音に返事をする。静かに開いたドアから顔を覗かせたのは、義人さんだった。
「奈央、寝てる?」
「ラリホーマにかかってますよ」
「そっか」
さっきの会話を思い出したのか、笑いながら近くのパイプ椅子に座る。奈央を起こさないようそっと起き上がると、私はベッドの端に座り直した。
「起き上がって平気?」
「少しなら離れても大丈夫みたいです」
最初の頃は、ほんの少しでも離れると目を覚ましてしまって困ったものだ。
「良くなってきてるのかな」
「…だといいですね」
心にも無いセリフ。本当は回復なんて望んでもいないくせに。
何も知らずに眠る奈央の前髪を、そっと後ろへ流す。ふと視線を感じて振り返ると、何か言いたげな義人さんの瞳とぶつかった。
「どうかしましたか?」
ハッと我に返ったように瞬きを繰り返すと、
「え? あぁ、ホントよく寝てるなって。ほら、寝らんなかった頃知ってるから。嘘みたい」
「…そんなに酷かったんですか?」
「そうだなー…。うん、酷かったな」
義人さんが顔を歪ませたから、それ以上詳しくは聞けなかった。
「……穂花」
「奈央?」
起きたのかと思ったがどうやら寝言だったらしく、シーツを撫でるように奈央の手が
「隣、戻った方がいいみたいだな」
「え?」
義人さんは奈央の手を指差すと、
「穂花ちゃんのこと探してる」
と、優しく笑った。
「あと十分したら始めるから。そしたら奈央起こしてやって」
そう言って部屋を後にした。
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