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「離してよ!」

 辺りに響く女の声に、俺を含め数人が声のした方へ視線を向ける。強引に女の腕を引く男の姿が見えた。

「ま、いーから。損はさせないし」

 痴話ゲンカかと思ったが、どうやらナンパらしい。

 周りが、我関せずと通り過ぎていく中、何故向かっていったのか分からない。強引な男の姿が、後先考えず欲望のまま眠るために女を抱く自分の姿に重なって見えたのかもしれない。

「ありがとうございました」

「ホント、そんな頭下げないで。それじゃあ、俺行くけど気を付けてね」

 なんとも言えない後味の悪さが広がるのは、正義感から助けたわけじゃないから。――同族嫌悪。俺がしていることと、あの男の行動に大差は無い。

 見送る視線を背中に感じながら、女に「ありがとう」と、お礼を言われたのはどれくらいぶりだろうと思う。サングラス越しにも伝わるほど、まっすぐに見つめる眼差しの強さが、やけに印象的だった。

「なぁ、賭けない?」

 それまで、黙って俺の話を聞いていた義人が、得意気に片眉を持ち上げる。

「賭け?」

「あの子が俺らのこと知ってたら俺の勝ち。知らなかったら奈央の勝ち」

「そんなん、絶対俺負けるでしょ」

 曲がりなりにも全国区。顔は知らないでも名前くらいなら、というヤツはそれなりにいる。

「じゃあいつもみたく俺らを知ってた場合、誰ファンか」

「俺が勝ったら?」

「口裏合わせに協力する。その代わり」

 義人は座席に体を預けると、

「俺が勝ったら、もう逃げんな」

 ――その眼差しは、心の一番弱い箇所を突き刺した。

「いい加減、現実受けとめろ」

 誰もが言えずにいた言葉。

「…分かった」


 まさか本当にファンだとは思わなかった。俺らの広告を見る為に、ここに居ると知り、浮かびそうになる笑みを手で隠す。

「この子、ニーナのファンだって」

「えっ、ホントに? 誰ファン?」

 勝算は五分の一。これで「悠ちゃん」なんて言われたら、どうするのかと思っていたけれど、

「な、奈央ですけど…」

 はい、『睡眠薬』確保。

 約束通り義人は一切口出ししなかった。口裏合わせも慣れたもので、彼女――穂花ちゃんは疑うこと無く手中へと落ちていった…と、思っていたのに。

「…ん」

 翌朝、目覚めると腕の中に穂花ちゃんがいた。

 頭の中は驚くほどすっきりしている。こんな気分で朝を迎えたのはどれくらいぶりだろう。

 周りの状況からしてヤッた様子は無い。また普通に眠れるようになったんだろうか…。

「あ、」

 しまった。ペコ迎えに行くのを忘れていた。

 彼女を起こさないようにベッドから離れ、悠介に電話しようとスマホを開く。と、LINEが届いていた。これからペコを連れて家まで来てくれるらしい。

「…歌詞でも書くか」

 締切は一週間後。言葉が見つからないままの白紙に嫌々向き合うと、人波の中まっすぐ一点を見つめていたあの瞳がふと心に浮かぶ。曇りの無い、綺麗な目。

 するりと、浮かんだ言葉をメロディーに乗せてみる。

 コーヒーに手をつけるのも忘れるくらい熱中している俺を見て、後から来た悠介が驚いていた。帰り際、「君が次の薬かぁ」なんて、うっかり言いかけたのは焦ったけれど。

 治ったのかと思った。

 けど、そう思えたのは僅かな間だった。

 長い長い夜が始まり、耐えきれない俺は薬を求めて再び街を彷徨う。


 ――ある日のこと。

 西岡さんに呼ばれ事務所に行くと、目の前に数枚の写真が広げられた。手に取るとそれは、女の腰に手を回しホテルへと入る俺の姿だった。

「何とか掲載しない方向に持っていけました」

 この時の西岡さんの声は、怒ると言うよりも寧ろ悲しんでいるように聞こえた。

「前から話していたように、契約する子を探しておきますね」

「…隣に?」

「そうですね。マスコミの目も誤魔化せますし」

「あの部屋は…!」

 何気なく言うものだから、思わず言葉も荒く椅子から立ち上がる。

「あそこに住んでいいのは…一人だけだ」

「もう決まったことなんです。約束しましたよね? 一度でもこういうことがあったら指示に従うって」

 まとめた写真を手に続ける。

「今回で三度目です」

「は…?」

「少しは自覚しませんか? 自分の立場を」

 悔しいくらい何も言えなくて、ドサリと椅子に腰を降ろした。

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