5
「離してよ!」
辺りに響く女の声に、俺を含め数人が声のした方へ視線を向ける。強引に女の腕を引く男の姿が見えた。
「ま、いーから。損はさせないし」
痴話ゲンカかと思ったが、どうやらナンパらしい。
周りが、我関せずと通り過ぎていく中、何故向かっていったのか分からない。強引な男の姿が、後先考えず
「ありがとうございました」
「ホント、そんな頭下げないで。それじゃあ、俺行くけど気を付けてね」
なんとも言えない後味の悪さが広がるのは、正義感から助けたわけじゃないから。――同族嫌悪。俺がしていることと、あの男の行動に大差は無い。
見送る視線を背中に感じながら、女に「ありがとう」と、お礼を言われたのはどれくらいぶりだろうと思う。サングラス越しにも伝わるほど、まっすぐに見つめる眼差しの強さが、やけに印象的だった。
「なぁ、賭けない?」
それまで、黙って俺の話を聞いていた義人が、得意気に片眉を持ち上げる。
「賭け?」
「あの子が俺らのこと知ってたら俺の勝ち。知らなかったら奈央の勝ち」
「そんなん、絶対俺負けるでしょ」
曲がりなりにも全国区。顔は知らないでも名前くらいなら、というヤツはそれなりにいる。
「じゃあいつもみたく俺らを知ってた場合、誰ファンか」
「俺が勝ったら?」
「口裏合わせに協力する。その代わり」
義人は座席に体を預けると、
「俺が勝ったら、もう逃げんな」
――その眼差しは、心の一番弱い箇所を突き刺した。
「いい加減、現実受けとめろ」
誰もが言えずにいた言葉。
「…分かった」
まさか本当にファンだとは思わなかった。俺らの広告を見る為に、ここに居ると知り、浮かびそうになる笑みを手で隠す。
「この子、ニーナのファンだって」
「えっ、ホントに? 誰ファン?」
勝算は五分の一。これで「悠ちゃん」なんて言われたら、どうするのかと思っていたけれど、
「な、奈央ですけど…」
はい、『睡眠薬』確保。
約束通り義人は一切口出ししなかった。口裏合わせも慣れたもので、彼女――穂花ちゃんは疑うこと無く手中へと落ちていった…と、思っていたのに。
「…ん」
翌朝、目覚めると腕の中に穂花ちゃんがいた。
頭の中は驚くほどすっきりしている。こんな気分で朝を迎えたのはどれくらいぶりだろう。
周りの状況からしてヤッた様子は無い。また普通に眠れるようになったんだろうか…。
「あ、」
しまった。ペコ迎えに行くのを忘れていた。
彼女を起こさないようにベッドから離れ、悠介に電話しようとスマホを開く。と、LINEが届いていた。これからペコを連れて家まで来てくれるらしい。
「…歌詞でも書くか」
締切は一週間後。言葉が見つからないままの白紙に嫌々向き合うと、人波の中まっすぐ一点を見つめていたあの瞳がふと心に浮かぶ。曇りの無い、綺麗な目。
するりと、浮かんだ言葉をメロディーに乗せてみる。
コーヒーに手をつけるのも忘れるくらい熱中している俺を見て、後から来た悠介が驚いていた。帰り際、「君が次の薬かぁ」なんて、うっかり言いかけたのは焦ったけれど。
治ったのかと思った。
けど、そう思えたのは僅かな間だった。
長い長い夜が始まり、耐えきれない俺は薬を求めて再び街を彷徨う。
――ある日のこと。
西岡さんに呼ばれ事務所に行くと、目の前に数枚の写真が広げられた。手に取るとそれは、女の腰に手を回しホテルへと入る俺の姿だった。
「何とか掲載しない方向に持っていけました」
この時の西岡さんの声は、怒ると言うよりも寧ろ悲しんでいるように聞こえた。
「前から話していたように、契約する子を探しておきますね」
「…隣に?」
「そうですね。マスコミの目も誤魔化せますし」
「あの部屋は…!」
何気なく言うものだから、思わず言葉も荒く椅子から立ち上がる。
「あそこに住んでいいのは…一人だけだ」
「もう決まったことなんです。約束しましたよね? 一度でもこういうことがあったら指示に従うって」
まとめた写真を手に続ける。
「今回で三度目です」
「は…?」
「少しは自覚しませんか? 自分の立場を」
悔しいくらい何も言えなくて、ドサリと椅子に腰を降ろした。
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