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(ダメだ…。眠くて頭が回らない)


 この二週間、毎日奈央に抱き締められて寝ていたけれど、昨日はそれが気になって眠れなかった。

 寝室に向かい自分のベッドに横たわるも、いつも背中にある温もりが無い。右端に小さく丸まって頭から布団を被る。ギュッと閉じた瞼の裏に映る奈央の笑顔。

 自分のベッドに違和感を覚えるくらい傍に居て、奈央の腕の中で眠るのが当たり前になって。そして何より、奈央自身が私を必要としてくれている。

 …期待してしまう。

 今はまだ『睡眠薬』でしかないとしても、こんな毎日を過ごしていく内に、いつか奈央の心が動く日が来るんじゃないかって。

 彼の寝顔を見れるのは私だけだ。

 そんな不確かな慢心が、言葉に出来ない想いに拍車をかけた。



◇◇◇


「この部分、もう少しテンポ上げない?」

 手元のギターで試演するチカに、他のメンバーが耳を澄ます。

「だったらサビ前のフレーズも…」

 スタジオでは、次に発売されるシングルのレコーディング作業が行なわれていた。それと平行してアルバム曲の打ち合せも進む。

「奈央ー」

 休憩時間に喫煙所で煙草を吸っていると、悠介がやって来た。

「あれさ、結局タイトルは変えないの?」

「まだ迷い中」

「あのまんまでも良いと思うけどな。曲の雰囲気にも合ってるし」

「それ、智にも言われた」

 いくつかあるタイトル候補を頭の中に思い浮かべながら、とりあえず付けている今の仮タイトルと比べてみる。どれもいまひとつピンと来ない。

「まぁ、ひとまず安心した」

「へ? 何が?」

 そう答えた俺に悠介は、

「は? 気付いてなかったの?」

 と、驚いて目を丸くした後、少し声のトーンを落として続けた。

に眠れたの、穂花ちゃんが初めてなんじゃないの?」

「あ…」

 言われて初めて気が付いた。

 その時、パタパタと廊下を駆ける音がして、呼びに来たスタッフに悠介は片手を上げて応える。

「良い傾向だし少し考えてみたら?」

「考えてみたらって、何を」

「だから穂花ちゃんのこと。奈央はどう思ってるの?」

「どうって…」

 その先に続く言葉が見つからずにいると、

「今答え出さなくても、ゆっくり考えなよ。なにかあれば話聞くし」

 そう言って、眼鏡の奥の目が優しく微笑んだ。


 確かに悠介の言う通り、体の関係無しに眠れたのは穂花ちゃんが初めてだ。

 は、俺を知るにしろ知らないにしろ出会ったその日に体を許すヤツばかりで。俺は睡眠を得る為に、女は俺を手に入れる為に。それぞれの思惑で成り立つ関係は、大抵二、三度で終わりを迎える。

 俺にその気は無いと知り、捨て台詞を吐いていく奴もいれば、泣きながら想いを訴える者もいた。


 不眠――。それは、ある日突然襲い掛かってきた。

 どれだけ心身共に疲れ果てていても、体が眠ることを拒否しているかの様で。そんな俺の異変に、事務所やメンバーは気付いた。

 あらゆる方法を試したものの一向に効き目は表れず、半ば自棄になり街を彷徨っていた時だ。

 人波の中に見付けた、よく似た後ろ姿。

「…ねえ、今って暇?」

 気付いたら声をかけていた。

 あの時の子…もう、顔も名前も思い出せない。ただ、後ろから見た姿がよく似ていたことだけは覚えている。ニーナを知っていると言うので、車の中で軽く歌ってやったら喜んでいた。

 話もそこそこに向かった先はホテル。飲み慣れない酒を飲み、勢いで抱いた後、本能的な眠気に襲われ、気付けば二時間ほど眠っていた。

 猛烈な後悔に襲われながらも、どこか心の隅で安堵する自分がいた。

 なんだ、こんな方法で眠れるんじゃないか、と。

 それからだ。眠る為に女を抱くようになったのは。

 そんな時――穂花ちゃんに出会った。それは、最後の『睡眠薬』に捨て台詞を吐かれ、今夜からどうしようかと思っていた時だった。


「あー、もう最悪。今晩どうしよ」

 仕事を終え、帰り道の車内。ストックゼロのスマホ片手にぼやく俺へ、

「自業自得」

 と、義人の冷静なツッコみが入る。

「ヨッシー、そこらで二、三人適当に見繕ってきてー」

「アホ、自分で探せ」

 呆れたようにため息をついているけれど、心配させているのは分かっている。

「冷たーい。じゃあ今夜はヨッシーが付き合ってくれる?」

 けれど素直に受け入れられず軽口を叩く俺に、

「俺でいいなら」

 思いのほか真剣な口調が返ってきた。スマホから顔を上げる。正面を向く義人の表情は、ひどく辛そうだった。

「だから、自分の身すり減らすだけの関係は止めろ。寝れないってなら俺らを頼れ」

「義人…」

「お前一人の体じゃないんだから」

「って、俺は妊婦か」

 何を言っても仕方がないことを、義人も他のメンバーも分かっている。の名を口にしないと暗黙の了解になっているのがなによりの証拠だ。

 『missing』のヒットで幅広い年代に顔が知られるようになった今、女を抱いて睡眠を得るなんてマイナス以外のなにものでも無い。自分だけならともかく、メンバーや事務所にまで迷惑を及ぼすのだけは避けたいが…。

「あ、義人止めて」

 首を傾げつつ、車は車道沿いに静かに止まった。

「あそこ」

 指差す方向には、周りの人波など目に入らないかのように、遠くの空をじっと見上げている影。ナンパから助けた女だとすぐに気付いた。

「お前なぁ…さっきの話聞いてた?」

「違う違う。今日、仕事の前にさ」


 ――それは、一言で言ってしまえばただの気紛れでしかなかった。


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