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「…やっぱ、困るよなぁ」
無言を否定と受けとめたのか、奈央は苦笑いを浮かべる。
「あ…違うんです。ビックリして…なんて答えたらいいのか。それに」
ずっと握り締めていたままのカップをテーブルに置く。
「本当に私なんですか? 奈央が眠れたのは」
「悠介の言葉じゃないけど、俺はそう思ってる」
「何で言い切れるんですか? たまたま偶然ってことも…」
「さっき言ったじゃん、全然寝られないって。この一週間、俺トータルしてたぶん三時間も寝てないよ?」
「えっ?!」
ありえない。一週間で三時間って…。
「それでも信じられないなら」
吸いかけの煙草を灰皿に押しつけ、その手を私に差し出す。
「…試してみる?」
「な、何を?」
「本当に俺が眠れるかどうか。今から、自分の目で確かめたらいいよ」
…本気なの?
「ていうか、ごめん。もう俺が限界」
「えっ、ちょっと待っ…」
手を取るのを躊躇っていた私に痺れを切らしたのか、奈央は私の手首を掴むとリビングを出た。連れて行かれた先は寝室。ベットに腰を下ろし、下から覗きこむように私を見つめる。
「ここから先、どうするかは穂花ちゃんの意志で決めて」
…ずるいなぁ、この人は。そんな目をして言われたら断れないって、知っててしてるんじゃないだろうか。
眠いのか奈央の目は微かに潤んでいる。静かに返事を待つその目を見つめ返す。
「…私は何をしたらいいですか?」
尋ねた私に奈央は、ただ一言。「俺の傍にいて欲しい」と言った。
背中から奈央の苦笑いが聞こえる。
「なんでそんな端っこなの?」
「…ここでも充分近いです」
「や、遠いでしょ。ほら」
背を向けたまま答える私に、奈央は不満を口にする。
「と、とにかくこれ以上は無理です」
「しょうがないなぁー…」
渋々と布団をかぶる音がする。けれどすぐに「ダメ。全っ然ダメ」と愚痴をこぼした。
「じゃあ、やっぱり私は関係無いんじゃないんですか?」
「穂花ちゃんのおかげだって!」
上半身を起こし強く否定する。
「でも、眠くならないならそういうことじゃないですか」
奈央が動く度にベッドが揺れる。つけている香水の匂いがする。早る鼓動を悟られまいとベッドから出ようとした時、後ろから伸びた腕に引き寄せられ、私は再びシーツの上に戻された。
「危ないじゃ…」
怒って顔を上げると、数センチも離れていない場所に奈央の顔が見えた。慌てて体を離そうにも、両腕に強く捉われビクともしない。
「あー…、眠れそう…」
「な、奈央…っ」
もがけばもがくほど、抱く力は更に増していく。
「…も、少しだけ…このまま…」
空ろになっていく奈央の声。やがて規則正しい呼吸が聞こえてきて、
「…うそ…。本当に寝ちゃった」
あっと言う間に深い眠りへと落ちてしまった。
――…俺が眠れるように、傍にいて欲しい。
あの言葉は本当なんだろうか。
無防備な寝顔とは裏腹に、私を抱く力は強い。まるで『何処にも行くな』と言わんばかりに。こんな風になるまで眠れなくなってしまった原因は、いったい何なんだろう。
「…ん」
身じろいだ奈央の顔に髪が零れる。それをそっと指ですくった。幸せそうな寝顔を眺めながら、あの夜と同じくゆっくりと髪を撫でる。
…私だけに出来る『何か』があるんだろうか。傍にいて、髪を撫でるくらいしか出来ないのに。それでも奈央は、私を必要だと言ってくれるんだろうか。
奈央が目を覚ましたのは、辺りに夕闇の気配が漂う頃だった。起きて早々、掠れた声で奈央は、
「信じてくれた…?」
特別な力なんて無い、何処にでもいる平凡な女。そんな私でも、あなたが必要だと言ってくれるのなら。
「…分かった。傍にいる」
瞬間、奈央の顔にゆっくりと笑顔が広がる。
「…ありがとう」
そう言って、優しく私を抱き寄せた。
――この時を境に、私は彼の『睡眠薬』になった。
これを知るのは奈央以外のメンバーの他に、西岡さんと数名のスタッフのみ。
私の役目は、奈央が眠りたい時に傍にいること。それは、たとえ明け方だろうが深夜だろうが、奈央が必要とするならば何をおいても駆け付けること。奈央がベストの状態で仕事に集中出来るか否かは、私の献身にかかっていた。
今の生活のままその条件をクリア出来るわけもなく、私は会社を辞め奈央と同じマンションに住むことになった。
この話が出た時、さすがに同じマンションは…と反対したものの、マスコミの目を誤魔化す為と説明されたのと、奈央の「嫌なら俺んちに住むことになるけどいい?」の一声に、大人しく事務所の指示に従った。
用意された部屋が奈央の隣だと知らされたのは、引っ越し当日の事だった。
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