…試してみる?
1
一生手が届かないまま憧れ続けるのと、一瞬限られた時だけ触れ合えるのと。
どちらが幸せなんだろう。
◇◇◇
「松島さん?」
名前を呼ばれて我に返ると、隣に座る同僚がパソコン画面を指差す。
「あっ」
無意識の内に押し続けていたエンターキーのせいで、エラー表示が出ていた。
「大丈夫ですか? なんか今日、元気無いみたいですけど」
慌てて作業をやり直し、気分転換してくると席を立つ。紙コップのコーヒー片手に誰もいない休憩室の椅子に腰を下ろした。
あれから一週間。
ドラマにありがちな、別れた二人が再会し、そこから恋が始まる――なんて展開が起きるわけも無く。何事も無かったかのように『いつもの日常』が戻ってきた。
あの日、奈央と別れた後、家に戻ると真也の姿は無かった。一瞬、私を探しに出ているんじゃないかなんて考えが頭を過るも、着信履歴の無いスマホを見つけ浅はかな自分に苦笑した。
住み慣れたはずの部屋を見渡していると、不意に昨日真也が着ていたスーツが目に入る。――何も感じなかった。
「ほーのか」
「美樹」
元気のいい声に振り返ると、親友の美樹が財布片手にやって来た。
「夕飯は何にする?」
「んー…カレーとか?」
「あ、いいかも。辛めでヨロシク」
今、私は美樹の家に住まわせてもらっている。
真也との話をした時、真顔で「…コロス」と言った美樹を必死に止めたものだ。もちろん、奈央との事は美樹にすら話してはいない。
一服してから戻るという美樹を置いて先に机に戻ると、スマホにメールが届いていた。中身を確認しようと思った矢先、課長に呼び出されてしまう。その後も細々とした仕事に追われ、そのことを思い出したのは夕食もとっくに終わった夜になってからだった。
家主の居ないキッチンで洗い物をしていると、スマホが着信を告げる。
『ごめんっ』
出て早々、美樹が謝る。どうやら彼氏が風邪をひいてしまい、看病しているうちに連絡が遅くなってしまったそうだ。
「カレー作ったのになぁ。美樹の好きな辛口で」
『穂花の好きなケーキ買って帰るから。HARBSの』
「ホント? じゃあ、チョコとイチゴのとー…ってウソウソ。冗談。ケン君、大丈夫?」
『熱はそんなに高くないんだけど辛いみたい。心配だから今夜は様子見ておきたくて』
「うん、分かった。お大事にね」
小さなため息と共に切ると、ホーム画面に表示されたメールマークに赤く①の印。そういえば会社で…すっかり忘れてた。メールタイトルは無く、差出人の欄はメアドが直接表示されていた。誰かアド変したのかと中身を開くと、
「何、これ…」
――内容に目を疑った。
初めまして。
ニーナのマネージャーをしております西岡と申します。
突然ですが、松島さんにお話したい事がありますので下記、もしくは『shooting game』までご連絡をお待ちしています。
090-XXXX-XXXX
「……西岡、さん?」
何これ。イタズラ? よく聞く『なりすましメール』ってヤツ?
確かに西岡さんはニーナのマネージャーの名前だし、『shooting game』はニーナのファンクラブの名称だ。けれど、こんなメールを貰う心当たりなんて。
「……あった」
まさか奈央の家に泊まったのがバレたとか? でもあれは人命救助というかなんというか。第一、奈央とは何も無かった。こんな直々に連絡取る必要なんて無いはずだ。
「!」
手の中のスマホが突然震えだす。画面に表示される十一桁の数字は、先程メールに書いてあった番号と同じだった。
「…もしもし」
発した声が震えていた。
『あ、夜分に申し訳ありません。松島穂花さんの番号でしょうか?』
丁寧な口調がかえって不安を煽る。
『ニーナのマネージャーをしてます西岡といいます』
「はぁ…」
『メールを送っていたんですけれど、連絡を頂けなかったもので…。今、大丈夫ですか?』
「は…はい。いや、ちょっと待って下さい」
『都合悪いですか? でしたら後日…』
「あ、違うんです。そうじゃなくて…」
心を落ち着かせる為に、小さく深呼吸をする。
「メール、ついさっき見ました。すみません、遅くなってしまって。それで申し訳ないんですけど…これ、本物なんですか?」
向こう側から苦笑が聞こえてくる。
『突然こんな電話がきたら、疑いたくもなりますよね。一応本物ですよ…って言われても、そう簡単には信用出来ないですよね』
しばらく西岡さんは唸っていたが、
『そうだ。松島さん、ニーナのモバイルクラブの会員ですよね?』
「あ、はい」
何で知っているんだろうという疑問は、ひとまず横に置いておく。
『良かった! そしたらこうしましょう。今から丁度、今週の分のブログを更新しようと思っていたんです。良かったら松島さんのご希望するメンバーの画像を載せますよ』
「…いいんですか?」
『はい。全裸とかじゃなければ』
と、再び苦笑する。
『ちなみに今近くにいるメンバーは悠さん、チカ君。あと奈央…』
「奈央さんがいいです」
西岡さんが言い終わるより早く口にしていた。
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