4




 ――奈央。

 あなたが抱えていた不安の根は、傍から見ても分からないくらい、深く強くあなたの心の奥底に根付いていたね。

 私は、誰よりもそれを分かってあげられる立場にいたはずなのに。

 最後の最後で信じきれなかった――私を、許して。



 ◇◇◇


 閉じた瞼の裏に強い光を感じる。開けた視界に広がるのはライトグレーのシーツ。…真也いつの間にシーツ変えたんだろう…。

「…っ!」

 勢い良く起き上がる。強い光の正体は、カーテンの隙間から差し込む日差しで、外はもう充分すぎるくらい明るかった。隣に奈央はいない。始発で帰るつもりが、このザマだ。情けなさにため息が出た。

「おはよ。よく寝れた?」

 リビングに行くと、私に気付いて奈央はニッコリ笑う。

「なんか飲む?」

 テーブルに広げた紙を片付けキッチンへと向かう。寝癖がついてないか気にしつつ、ソファーに腰を下ろすと、

「きゃっ!」

 突然、足元を柔らかい何かが撫でる。

「こらー。イタズラしない」

 苦笑しながらカップを手に戻る奈央。足元を覗き込むとそこには、一匹の可愛らしいトイプードルが黒目がちな瞳でこちらを見上げていた。

「ペコ! あの…撫でても良いですか?」

 奈央の了解を得てから、手を伸ばし膝の上に抱える。くりくりの毛を撫でると、気持ち良いのか元気よく尻尾を振って応える。

「めずらしい」

 テーブルにカップを置き、奈央が向かいに座る。

「何が?」

 危ないから、とペコを床に降ろしてからカップに手を伸ばす。昨日と同じ赤のペアカップだ。一瞬、浮かび上がるモヤっとした感情と共にコーヒーを一口飲み込む。

「初めての人にはあまり懐かないんだけどな。…って、どした?」

 瞬間、手の中のカップを凝視したまま私は固まる。待って。ペコがいるってことは…彼女、ここに来たってこと?

 一気に顔が青冷める。どうしよう。靴は玄関に置いたままだし、私がいるから中には上げられなかっただろうし。オマケにペアカップ使ってる私ってデリカシーゼロじゃ……。

「おーい」

 放心状態の私に、奈央は手をヒラヒラさせていたが、

「ご、ごめんなさいっ!」

「へ?」

 立ち上がり、突然九十度に頭を下げる私に今度は目を丸くする。

「だっ、だって来たんじゃないんですか?」

「誰が?」

「…彼女」

 キョトンとする奈央に再び頭を下げる。

「ごめんなさいっ。昨日の電話、聞いちゃって…」

 様子を伺うと、奈央は相変わらず目をパチクリさせていた。

「あの、だから…変な誤解させてたら嫌だから、彼女呼んであげて下さい。私、今すぐ帰り…」

 混乱する中、必死に頭を働かせて伝える言葉を奈央の手のひらが制す。

「だって。分かった?」

 そう言って、私の背後に向かって苦笑するので慌てて振り返った。まさか、まだここに?!

「了解」

 そう言って、やはり苦笑を浮かべているその人はキッチンの奥から申し訳なさげに顔を覗かせた。サラサラの長い前髪、体つきは細く、眼鏡の奥に優しげな瞳が見えた。

「…ゆう、さん?」

「初めましてー」

 呆然とする私にニッコリ笑いかける彼――ニーナのギタリストの一人、悠さんがそこには立っていた。そのほんわかとした雰囲気から、ファンの間では『悠ちゃん』と親しまれている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る