2
少しでも温もりを求め、両手を重ね合わせる。
スマホで時間を確認する。あれからさらに一時間が過ぎていた。かじかむ指に息を吐きながら遠くの『彼ら』を見つめる。
――ごめん。本当にごめん。俺、こうして謝ることしか出来ない。
ふと頭を過る記憶。数時間前の出来事。最後の言葉。
飲み物でも買ってこよう。記憶を打ち消すように、私は勢いよく立ち上がった。いつかは向き合わなければいけないとしても、今はまだ考えられない。…考えたくない。
自販機を探して辺りを伺っていた時だ。背後からクラクションを鳴らされ思わず振り返る。そこには、いかにもといった様子の車が一台停まっていた。しまった、またか…と、相手が降りてくる前に立ち去ろうと背を向けた私の耳に、
「そんな風に無防備だからダメなんだって」
聞き覚えのある声が届き振り返る。車から出てきたのは、さっきナンパから助けてくれた男の人だった。もう一人別の男性が窓から身を乗り出してきたので思わず後ずさる。
「おい、脅かすなって」
「ごめんごめん。どんな子かなって」
嗜める彼に、車内の男性は笑って答える。この男性もサングラスをしている。
「連れはどうしたの? 車でも取ってきてるとか?」
「あー…、まぁ」
上手い言葉が見当たらず曖昧に答えると、
「えっ、まさかと思うけどまだ来ないとか? 連絡は?」
こちらが恐縮してしまうほど、本当に心配してくれているのが分かり胸が痛む。
「あの……」
小さ過ぎて聞こえなかったのか、彼は中の人に時間を聞いている。
「ってことは…えっ、じゃあ、あれから一時間もここに?」
「まぁ…そうなんですけど」
「は?! ありえないでしょ。相手何してるの?」
「あのっ、違うんです。……待ち合わせじゃないんです」
まるで自分の事のように怒ってくれる彼に申し訳無くて、私は思いきって切り出した。当然、彼はキョトンとした表情を浮かべている。
「待ち合わせじゃないって。じゃあ、何でずっとここに?」
「行くところ…無くなっちゃって」
努めて明るく言ったつもりだけれど上手く笑えなかった。渇いた笑い声だけが二人の間を気まずく通り過ぎていく。
「どういう意味?」
真剣な表情で尋ねる彼に、そこで初めて私は今自分が置かれている状況を話した。
私には同棲中の彼氏がいた。
忙しい人だった。一緒に暮らしているのに、ここ数週間、顔はおろか電話やメールすらままならないすれ違いの日々で。
それでも文句一つ言わずにいられたのは、「記念日は絶対に定時で帰るから。一緒にお祝いしよう」と、彼が今日の為に頑張ってくれていると知っていたからだ。
そして、待ちに待った記念日。彼はどうしても外せない会議が入ってしまった。
午後になってかかってきた電話で彼は、
『十八時には終わるから。その後に会おう』
そう言って、予約していたレストランには行けそうにないな、と残念そうにこぼす。だったら腕によりをかけてご馳走を作って彼を驚かそうと思った。
スーパーでたくさんの食材を買い込んで。彼が帰って来るまでに、彼の好きなものばかりを作って。
けれど、十八時が過ぎても彼は帰って来なかった。
トラブルでもあったのかと最初は思った。今までにもよくあったから。けれど二十時を過ぎ、二十一時を回っても帰らない彼に、だんだんと不安が心を満たす。テーブルに所狭しと並べられた料理の数々は冷めきってしまい、ひどく味気なく見えた。
何か事故にでも合ったのでは…と思い始めたその時、
「…ただいま」
――ようやく彼が帰ってきた。
「お帰り! 大変だったみたいだね」
「…あぁ」
よほど疲れたのか口数の少ない彼は、テーブルの料理を見てため息をついた。
「そうだ…記念日だったんだよな、今日」
力なく呟くとソファーに腰を沈める。
「ひどーい。何、もしかして今思い出したとか?」
冗談で言ったのに、
「……ごめん」
彼が小さく謝った。
「…
大きく息を吐き出す。それは、何か言いにくいことを話す前に出る彼の癖だ。
「…
「……なに言ってるの?」
彼の言った意味が飲み込めなくて、場違いな笑みが浮かぶ。すると彼は、突然ソファーから立ち上がると、
「ごめん! 本っ当にごめんっ!」
床に手をつき――土下座した。訳も分からずにいる私に、彼は更にこう続けた。
『上司の娘を妊娠させた』
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