第297話 神と人間とエルフと

「ウォォォ! ヤァァァァ!」



 彼の背後から威勢の良い声が聞こえて来る。


 草原では兵士達が二人一組に分かれ、それぞれ木刀を手に戦闘訓練を行っている様である。


 ざっと見渡しても、その数およそ百五十組、三百名以上の兵士達。


 だいたい、これだけ平坦な大草原は、丘陵地ではめずらしい。


 その所為もあってか、太陽神殿からほど近いこの場所は、神殿騎士団格好の訓練場としていつも活用されているのである。


 特に本日は全能神様が降臨されるとの事。


 訓練をする騎士団員たちも、ここぞとばかりに気合が入ろうと言うものだ。


 そんな中、馬上から空を眺める一人の男。



「あれは……」



 南南西方向より立ち昇る白い煙。


 本来であればエレトリア市街を一望できる程の標高差があるこの場所。


 しかし、彼のいるこの草原からは、周囲の木々が邪魔をして確認する事が出来ない。



「テュデウス名誉団長殿、如何いかがなされましたか?」



 馬首を寄せ、そう話し掛けて来たのは、副団長の一人であるエウメネス。


 歳の頃で言えば二十代半ば程だろうか。


 神殿騎士団の甲冑を身に着け、栗毛の良馬にまたがるる彼の姿は、さながら軍神とみまごうばかりに見える。


 この年齢で副団長とは。


 つまりそれは、神殿騎士団の中でも、将来を嘱望しょくぼうされた一人と言う事なのだろう。



「いや、アレを見ろ」



 テュデウスが指さす方向。



「火事……でしょうか?」



 無理も無い。


 最後にエレトリアが戦禍に巻き込まれたのは、およそ七年前のエレトリア攻城戦の時。


 その頃まだ彼は故郷であるメリシアで暮らしていたはずだ。


 そう考えると、今の彼に欠けているもの、それは実戦経験であると言えるだろう。



「いや、火事では無いな。あれは狼煙のろしだ。方角、距離……エレトリア城に間違いない」



 テュデウスは急いで馬首を返すと、振り向きざまに叫んだ。



「エレトリア城で何かあったに違いないっ! 私はこれから大司教様の所へ報告に行く。エウメネス、お前は全団員を戦時武装の上、神殿前広場に集結させよ。これは訓練では無いっ、実戦だっ! 復唱ぉ!」



「はっ! 復唱しますっ! これより全神殿騎士団員、戦時武装の上、神殿前広場に集結させます」



「よしっ、行けっ!」



「はっ!」



 それだけを言い残すと、テュデウスは馬腹をいきなり蹴り上げる。



 ――ヒヒィィィン!



 テュデウスを乗せた馬は主人の意図を感じ取っていたとでも言うのか。


 突然全速力で走り出すと、風の様な速さで太陽神殿へと続く細道を駆け上がって行こうとする。


 背後からは。



「訓練中止! 訓練中止ッ! 全員戦時武装の上、神殿前広場に整列せよっ! これは訓練では無いっ! 繰り返す、全員戦時武装の上、神殿前広場に整列せよっ! これは訓練では無いぞっ! 急げっ! 行けっ! 行けっ! 行けっ!」 



 大声で団員に指示を出すエウメネスの声が聞こえる。


 後は彼が上手く取りまとめてくれるだろう。


 団の事は彼に任せておけば大丈夫だ。


 そんな事より、テュデウスにはやらなければならない事があった。


 それは、騎士団の運用に対し、いつも消極的な意見を述べる司教連中を説得する事。


 特に今日はダニエラ大司教が不在で、シルビア大司教代理がその任に就いている。



の対決再び……か」



 そう、一人つぶやくテュデウス。


 そう言う意味では、彼の上官である太陽神殿騎士団長のアルテミシアも不在だ。


 テュデウスは、もし団長アルテミシアが居たとしたら、彼女はどうしたであろうか? と考えて見る。



「結局、俺が司教連中の説得をする事になるんだろうな……」



 どちらにせよ、最年長である彼が交渉役として派遣されるであろう事は間違い無さそうだ。



「ただまぁ、仮に俺が司教連中の説得に失敗したとしても、団長アルテミシアだったら迷わず、これよりに行くぞぉ! 私に付いて来いっ! とか言って、出動する事になるだろうがな……」



 彼の脳裏には、そんな彼女の凛々しい姿がありありと浮かんでくる。



「はぁ……歳は取りたくないもんだな……」



 彼は、この後、神殿で繰り広げられるであろう困難かつ無益な交渉に眉根を寄せつつも、新たな若い力の台頭に思わず自身の頬が緩むのを感じ取っていた。



 ◆◇◆◇◆◇



「……入りなさい」



「失礼致します」



 彼は重厚な大司教執務室のドアを開けた。


 部屋の奥には、年の頃で言えば二十代後半ぐらいにしか見えない女性の姿が。


 その女性はウォールナットで作られた大きな机の向こう側に腰掛け、天使の様な優しい微笑みを彼に投げかけている。


 この重厚な机には、不釣り合いな程の若さと美貌だ。



「つっ……これだからエルフは……」



「ん? エルフがどうかしましたか?」



 彼女エルフ達が人間の事をどう思っているかは分からない。


 しかし、人間の中には、エルフの事を良く思わない人々は、一定数居る事は事実だ。


 その理由は様々だが、少なくとも彼らエルフたちが人間に対して、何か悪意を持った行動を取った……と言う話は聞いた事が無い。


 多分に、人間側の“やっかみ”が、その理由なのだろう。


 何しろ彼らエルフたちは、人の数倍の寿命を持つと言う。


 いや中には、もともと彼らエルフたちには寿命など無く、神から永遠のいのちを約束された者達である……と言う者まで居る。


 しかし、彼は知っている。生きとし生けるもの、全てがこの“寿命”と言う因果から逃れるすべなど無い事を。


 実際彼自身、何度もエルフの死去に立ち会っているのだ。


 しかも揃いもそろって、美男美女ばかり。


 人にしてみれば、“やっかみ”たくなるのも当然だ。


 更にくちさがない人々は言う。


 彼らエルフたちは、人間から富を搾取さくしゅしている……と。


 人から見れば永遠に近い寿命を持つ彼らエルフたちは、その膨大な時間を活用する事で、様々な分野におけるリーダ的存在に成り得た。


 実際、魔法や魔道に長けた者たちも多く輩出される事から、太陽神殿における司教連中の殆どが彼らエルフたちで構成されていると言っても過言では無い。


 つまり、彼らエルフたちは神に準じて人間を支配する側で、その殆どが私腹を肥やしていると言うのである。


 しかし、あえて付け加えておこう。


 実際彼らエルフたちの生活は慎ましやかなもので、確かに村では複数の奴隷を抱えてはいるものの、人間の暮らしを凌駕するものでは決してない。


 自給自足を基本とし、多くを望まず、人間に寄り添い、静かに暮らしている。


 それこそが、テュデウスの知るエルフたちであった。


 世間一般の人々は、その事実を知らないのだ。


 まぁ、そう言う意味では、これまでエルフの実態について周知して来なかった彼らエルフたちにも一定の責任がある……と言えなくも無いが、それは人間側のエゴなのだろうか。



「あっ……あぁ、耳は良い様だな……」



「おかげ様でね」



 思わず片手で口を押えるテュデウス。


 どうやら口から出た言葉は、全て彼女に聞こえている様である。



「で? 用件は?」



 知らないはずは無い。恐らく情報はもう上がっている事だろう。



狼煙のろしの件です」



「えぇ、知っているわ。そうでは無く、が聞きたいの」



 やはり彼女エルフとは話しにくい。



「エレトリア城で何かがあった事は間違いありません。太陽神殿騎士団は即時救援に向かうべきかと」



「団長は何と?」



 団長が不在な事も知っているはずなのに。



「いえ、団長は……」



「つまり、あなたの独断と言う事ね」



 有無を言わさず、たたみかけて来る。



「いいえ、団長不在の際は、私が騎士団の統率を任されております。故に、私の意見は騎士団の総意であります」



 両者とも視線を合わせたまま、身動ぎ一つしない。


 険悪な空気が二人の間にのっそりと横たわる。



「……詭弁きべんね」



 その重い空気を一刀両断したのは彼女の方であった。



「太陽神殿騎士団の本来の目的は?」



 何気ない雰囲気で質問を投げかけて来る彼女。



「はっ、太陽神様をはじめとする神々、及び太陽神を崇拝する市民を守り、擁護する事です」



 何を今さら当然の事を。



「それで?……あなたはエレトリア城へ行くと言うの?」



「はっ、エレトリアに住む信徒を守る為には、当然の行為であると判断します。それに……」



「却下します」



 彼女の声には、反論を一切受け付けないと言う強い意思が感じられる。



 ――ギリッ……。



 テュデウスの奥歯が音を立ててきしむ。


 そして、彼がようやく絞り出した言葉とは。



「……なっ、何故なぜ……ですか?」



 彼女の方はと言うと、何やら不思議そうに彼を見つめているだけ。


 彼女には、彼の言っている言葉の意味が通じていないとでも言うのか?



「何故って?」



「いや、何故なんですか? なぜ太陽神殿は信徒を見殺しにするのですか? 答えて下さい。どうしてなんです? 我々の存在意義は? 我々の“力”は何のためにあるのですか? お答えくださいっ! シルビアっ!」



 半ば激高し、叫ぶかの様に訴えかけるテュデウス。


 ……しかし。



「テュデウス、落ち着きなさい。本来の目的を見誤ってはいけないわ。信徒は大切よ。ただ、我々が第一に守らなくてはならないのは……」



 いま一度、テュデウスの事を凝視するシルビア。



「……神々よ」



 彼女の言葉には、一点の迷いも感じられない。



「貴方達は太陽神殿の守護者。まずは太陽神様、そして神々、更には太陽神殿に住まう人々の保護を最優先に考えなくてはならない……違うかしら?」



「……」



 その通りである。


 太陽神殿騎士団の目的。それは、太陽神様をはじめとする神々、及び太陽神を崇拝する市民を守り、擁護する事。


 それは太陽神殿騎士団のおきてにも記載されている一文だ。


 ……そう。


 あくまでも太陽神様をはじめとする、神々を守る事こそが騎士団の第一義なのである。



「しっ……しかし」



「しかし……何?」



 この期に及んでも優し気な笑顔を絶やさず、彼の事を静かに見つめるシルビア。


 ただ、後から思えば、なぜ彼がこんな事を言ってしまったのか。


 彼女があまりにも優し気であったが為に、思わず彼の中に甘えが生じてしまったのであろうか?


 それとも……それこそが彼の本心……だったのだろうか。



「シルビア様」



「はい、何ですか?」



「それは……」



「それは?」



「エレトリアに住むのが……人間……だから……ですか?」



「……」



 ほんの一瞬ではあるが、シルビアの表情に動きが。



「シルビア様、お答えください。それは、エレトリアに住まう民が人間だから……と言う事でしょうか? 人間は……もちろんエルフとは違います。当然、恐れ多い事ですが、神々とはもっと違う。それは、人間は救う必要が無いとおっしゃっているのですか? 太陽神様には人間を助けると言う気持ちは無いのでしょうか? 人間は傲慢で、嘘つきで、欲張りで、どうしようも無い。本当にどうしようもない生き物です。ですが、ですが、彼らも生きています。そして、太陽神様にお布施をし、救いを求めているのです。そんな人々を……そんな人々を見捨てる事が……太陽神殿の……いや、太陽神様の御心みこころなのでしょうか? 答えて下さい。シルビア様。我々は、我々の武力とは、我々の存在とはっ、全く無意味……そう、まったく意味を成さないのでしょうか?」



「テュデウスよ。落ち着きなさい……」



「いいえ、言い訳は結構です。私が望むのは、そう、私が聞きたいのは、シルビア大司教様、そして、太陽神様の御心なのです」


「……そう、あの時もそうだった」


「忘れもしない七年前。エレトリア攻城戦の際、あなたは私に全く同じ事を言われた。当時騎士団長であった私は、あれほどエレトリアの救援に向かうべきであると進言したにも関わらず、貴女からの回答は全て“否”。ようやく斥候を出してはみたものの時既ときすでに遅く、エレトリア市街は火の海になっていたのです。その所為せいで……その、貴女の判断の所為で、いったどれ程のエレトリアの民が戦火に焼かれ命を落としたのか……貴女は本当にご存じなのですかっ?」



 とめどなく、とめどな溢れ出る言葉。


 既によわい五十を過ぎたテュデウスであったが、涙ながらにそう訴えかける姿は、はたして見る者の心を動かすのか、それとも……憐憫れんびんの情すら伝える事が出来ないのか。


 ……その時。



 ――コンコン



 大司教執務室に響くノックの音。


 暫くすると、部屋の中から返事が無い事をいぶかしむ様に、一人の老人がドアを開けて入って来た。


 二人の視線が、その老人へと向けられる。


 ここはあくまでも大司教専用の執務室であり、私室では無い。


 そのため、鍵が掛けられていないのであれば、入室したとしても特段とがめられる事は無い。


 本来であれば、ダニエラの侍女たちが取次を行うべき所なのだが、今日は全員が出払っている所であった。



「あぁ、在席で御座いましたか。それは良かった。お取込み中、失礼致します大司教代理」



 そう言いながら入って来た老人は、太陽神殿司教の一人であった。


 彼はシルビアからの許可を待つ事も無く、いきなり話しを始めてしまう。



「いやいや、先程早馬が到着致しましてな。その者が言うには、近隣のエルフの村が何者かに襲われたとの事。急ぎ神殿騎士団に救援して欲しいとの知らせでございました。大司教代理、如何致しましょう。あの村は……確か、大司教代理のご自宅もあるとか……。ここはひとつ、早めの対応を……」



「ええいっ、大司教代理っ! ご決断をっ!」



 突然の来訪者に、多少なりとも冷静さを取り戻したはずのテュデウスであった。


 しかし、更なる気の高ぶりに、思わずそう叫んでしまったのである。


 そして、彼が勢いよく振り向くとそこには、先程までの優し気な笑顔も全て消え失せ、冷徹非情な瞳を僅かに光らせた女がただ一人。


 かすかに震えながらも、茫然と立ち尽くしているだけであった。

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