第298話 太陽神殿騎士団の決戦兵器

「ははぁ、良くその状況で出撃の許可が下りましたな」



 あまりの意外な展開に、エウメネスは驚きの色を隠せない。



 大理石で造られた広い回廊を足早に進む二人の騎士。


 大股で前を行くのは、太陽神殿名誉騎士団長のテュデウス。


 そして、彼の後を小走りに追いかけるのは副団長のエウメネスだ。



「やはり、シルビア大司教代理も人の子、いやいやエルフの子、でしょうか。所詮、家族の情には勝てないと言う事なのでしょうな……」



 エウメネスは全てを見通したとばかりに、話をまとめに掛かるのだが。



「いや、エウメネス。そうでは無い。そうでは無いのだ……」



 テュデウスは少し沈んだ声で、エウメネスの言葉をさえぎってみせる。



「彼女は……シルビア大司教代理は、最後まで神殿騎士団の派兵をお認めにはならなかったよ」



「え? それでは、どうして出撃の許可が?」



 予想外の言葉に、話の展開が見えない。



「うむ。話し合いは平行線のまま結論が出ず。結局、主だった司教を招集しての司教会議を開く事になったのだ」



「あぁ、なるほど。それで、多数決で出撃が決まったと?」



「そう言う事だ。先の大戦でのもあるからな。僅差ではあったが出陣すべきであるとの方針に傾いた訳だ」



 エウメネスは、それでも何やら腑に落ちない様子だが。



「しかし、大司教であれば、その決定すらもくつがえせるはずですが?」



「うむ。確かに大司教であれば、司教会議での決定を覆す権限を持っている。しかし、彼女は大司教だ。彼女にそんな権限は、無い」



 ようやく合点がいったエウメネス。


 彼はうなずきながらも腕を組み、なにやら思案顔で話を続けた。



「そうですか……。自身の家族が危険にさらされていたとしても、神殿の安全を最優先に考える。……大司教と言うのは、まったくもって因果な商売で御座いますな」



「ははっ、まぁな」



 そう笑顔で同意しつつも、テュデウスの顔色は今一つ冴えない。


 先程、シルビア大司教代理に投げかけた彼自身の言葉。


 それが、未だに尾を引いているのだ。


 片や家族が危険にさらされたとしても、神殿の守りをかたくなに優先するシルビア。


 一方、テュデウスはと言えばどうだ?


 事もあろうに彼女のその裁定を不服とし、更には人間に対するエルフの差別意識であるとなじったのである。


 後悔先に立たず。


 よわい五十にして、その言葉の意味を再び重く感じる事になろうとは。


 依然、彼は沈痛な面持ちのまま。



「ふぅぅ……」



 いや、今は火急の時。


 この様な些事さじに、心を動かすべき時では無い。


 テュデウス自身も、そんな事は十分理解している。


 ……そう。


 全ての事が片付いた後、再び彼女に目通りを願い出て、彼自身の稚拙ちせつな言動について謝罪すれば済む話だ。


 そう考える事で、何とかこの話に区切りを付けようとするテュデウス。


 人はとしを重ねれば重ねる程かたくなとなり、他人に対して謝罪の言葉を口に出来なくなると言う。


 そう言う意味においては、彼自身、いまだ若者に負けない程の柔軟性を持っているとも言えるのだろう。


 彼は今にもあふれ出そうになる自責の念を、これまで積み上げて来た経験とプライドを総動員する事で、無理やり心の奥へとしまい込んだ。



「うむ。出撃する出ると決まれば、我々は最善を尽くさねばならん。騎士団の準備は整っているか?」



「はっ、滞りなく。戦時武装の状態で、神殿前広場に整列しております」



 意気揚々いきようようと返事をするエウメネス。


 彼にとっては今回が初めての実戦……初陣ういじんだ。


 おそらくいくさの恐ろしさの何たるかを知らぬ彼にとって、今回の出撃は彼自身の実力を試す大舞台である……と言う程度の認識なのだろう。



あやうい……」



 思わず口をついて出た言葉。


 いままで幾人もの騎士を育てて来たテュデウスである。


 その経験からすると、この手の若者は初陣で命を落とす事が多いのだ。



「テュデウス殿、何か?」



 そんなテュデウスの事をいぶかしそうに見つめるエウメネス。



「あぁ、いや。……なんでもない」



 ただ、その心配をする相手とは、この年齢で副団長にまで上り詰めたエウメネスである。


 技量も才能も折り紙付き。


 彼に限って油断をする事などあり得ぬ話だ。


 テュデウスは|れ《》もも、全て彼自身のとし所為せいだと思い定め、これ以上考えない事にした様だ。



 ――ジャリッ……。



 二人はようやく足を止め、彼らの革サンダルカリガが、大理石の床に散らばる砂を力強く踏みしめる。


 日頃はチリ一つ無く掃き清められている神殿前広場。


 ただ、今日ばかりは辺り一面に人馬の匂いと砂埃が濛々もうもうと立ち込めていた。


 初夏の陽光に燦然さんぜんと輝く長槍ハスタ


 揃いの鎖帷子ロリカ・ハマタは、神殿騎士団の団結を意味し。


 磨き抜かれた片手剣グラディウスは、彼らの誇りプライドでありそのあかしだ。


 テュデウスは神殿前広場に張り出したテラスの高みから、彼自らが手塩にかけて育て上げた騎士たちの姿をゆっくりと見渡した。


 恐怖きょうふおびえも、ましてや気負いすらも感じられない。


 確固たる信念と自信に満ち溢れた屈強の戦士達。



「間違い無く、今世最強の騎士団である……」



 テュデウスは背筋を駆けのぼる一種独特な快感に身を委ねながらも、全軍へと号令すべく、大きく息を吸い込んだのであった。



 ◆◇◆◇◆◇



「お師匠様、遅かったですね」



 少年は草むらの中に寝転んだ姿のまま、首だけで振り替えって見せる。


 鼻筋の通った精悍せいかんな顔立ちに、恵まれた体格。


 幼さの残る面影を除けば、彼がまだ十代半ばであると言う事が信じられないぐらいだ。


 そしてもう一人。


 深紅のローブに身を包む女性。


 おそらく彼女も少年と一緒に草むらの中に潜んでいたものと思われる。


 ただ、気付けば、いつの間にやら姿勢を正し、師匠と呼ばれた男に対してひざまずく形で臣下の礼を取っていた。



「何を言っておる。お前がのんびりしておるから、仕方なく予備の手を打って来たのでは無いか」



 そう言いながら、ヴァシリオスは女性を間に挟む様な形で、草むらの中へと身を横たえた。


 彼らの潜む小高い丘の上からは、丘陵地を縦断する石畳いしだたみの街道を一望に見下ろす事が出来る様だ。


 視線を街道沿いにふもとの方へと移せば、そこには美しいエレトリアの街並みが見て取れる。


 一方、山のいただきの方へと目を転じれば、そこには厳粛げんしゅくかつ荘厳そうごんな雰囲気を持つ巨大な神殿群が、広大な敷地の中に整然と建ち並んでいた。



「なんじゃエヴァ。お前の力をもってすれば、わざわざこの様な草むらに身を潜めずとも敵には気付かれる事などなかろうに」


 

 さも不思議そうに眉根を寄せるヴァシリオス。



「はい、剣聖様。私もその様に思うのですが、ストラトス殿がどうしてもこの方がが出る、と言う事で……」



 エヴァとしても少し迷惑そうな様子。



「なんじゃ、ストラトスの希望か。どうせ、若い女子おなごと添い寝がしてみたいと言う程度の考えじゃろうて。ほんに子供じゃのぉ」



「お、お、お、お師匠様っ! そんな、そんな事はございません。私はただ、見張りと言うものは、絶対に見つかってはならないと言う想いからですね。えぇぇっと、きっとエヴァさんの魔法も完全じゃ無いかもと……」



「えぇ?! なんですって? 私の魔法が完璧じゃ無いですって!」



 急に気色ばみ、大声を上げるエヴァ。



「あぁ、いや、エヴァさんの魔法が完璧じゃないって事では無くってですね。えぇっと、うぅぅんと、あぁ、そうそう! エヴァさんにあんまり魔法を使って頂くと言うのは申し訳無いなぁと言う気持ちなのでして、これ以上ご迷惑をお掛けするよりは、やはり草むらに寝そべって、こう、ぴっとりと寄り添っていた方がですね……」



 だんだん、何を言っているのか分からなくなるストラトス。


 そんな二人の会話に、ヴァシリオスが助け舟を出そうと割って入った。



「まぁ、まぁ。エヴァもそう怒ってやるな……」



「……剣聖様」



「思春期の少年とは、大概そう言うもんなんじゃ、分ってやれ……」



「あのぉ……ヴァシリオス……様」



「あんな幼い顔しておってものぉ、頭の中はエロエロな事しか考えておらんのじゃからのぉ……」



「おいっ……」



「ホンに、困った事じゃのぉ、困った、困った。……ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」



「おいっ!……じじぃ!」



「なっ、なんじゃエヴァ。藪から棒に大声を出して。しかもじじぃとは何じゃ、じじぃとは。ワシはこれでも剣聖じゃぞぉ」



 突然の反応に、困惑した表情でエヴァの事を見つめるヴァシリオス。



 ――ギュムッ!



「いてててっ!」



 エヴァは、ヴァシリオスの右手の甲の部分を、力いっぱいつねり上げた。



「人の尻を勝手に撫で回しておいて、何が剣聖ですか。単なるエロじじぃでは御座いませんかっ!」

 


「何じゃ、言うに事欠いてエロじじぃとはひどいのぉ。これだからエルフの娘はお高くとまっておると言われて、嫁の貰い手が無いのじゃ。それに、お前の姉はもっと優しかったぞ?」



「そんな訳ありませんっ! もし剣聖様が姉様ねーさまの尻を撫でたとしたら、今頃この世に剣聖様のチリ一つ残っておりませんから」



「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、そうじゃのぉ。ダニエラは昔から方面は堅い娘じゃったからのぉ」



「えっ? あのぉ、お師匠様! エヴァさんには、お姉さまがいらっしゃるのですか?」



 本来の揉め事の内容はすっかり忘れ、ストラトスは姉様ねーさまと言う言葉に思わず食いついて来る。



「おぉ、そうじゃ。エヴァには姉がおる。まぁ、姉と言っても双子じゃからのぉ。歳が同じなのはもちろんの事、背格好までうり二つじゃ」



「うへぇぇ、こんなに美しい人が、世の中にはもう一人居るのですねぇ。世間は広いなぁ。それにきっと、お姉様も良い香りがするんでしょうねぇ……」



 どうでも良い所で感動に浸るストラトス。

 

 まぁ、結局は臭いフェチなだけなのだが。



「おっ! くだらん事を言っておる内に、ようやく主役の登場じゃぞ」



 ヴァシリオスからのその一言で、他の二人も再び神殿の方へと目を凝らした。


 やがて、いつも開け放たれている正門の奥から、濛々もうもうとした土煙が立ち昇り始めたのである。



 ――ドドドドッ



 最初は小さな振動であった。



 ――ドドドドッ、ドドドドッ!



 それはやがて大きな地鳴りへと変貌し、やがては地面だけでは無く、大気を含む全ての空間自体を大きく揺さぶり始める。



 ――ドドドドッ、ドドドドッ! バリバリバリッ、バリバリバリッ!



 大気をつんざく様な爆音を背に、正門より飛び出して来たもの。



「おっ、お師匠様っ……あれはっ!」



「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。凄いものじゃろう。あれが、太陽神殿騎士団の決戦兵器、戦車チャリオットじゃ」



 戦車チャリオット


 それは二頭立ての馬車であり、戦車本体の部分には御者ぎょしゃ一名の他に、戦闘員となる重装歩兵一名が乗車する。 


 通常、御者は戦闘員の抱える従者や奴隷等がその任を務めるものなのだが、太陽神殿騎士団では、比較的若い騎士団員がベテランの騎士団員とともにペアを組んで乗車する事が多い。


 その為、戦車を乗り捨てたとしても御者自体が高度な戦闘員となる事から、その可用性及び戦術的価値は他国の戦車隊とは一線を画すと言っても良いだろう。


 また戦車には、その豊富な積載量を活かして予備の弓や大量の矢が積み込まれている他、持ち運びに不便な大型のバリスタまでが装備されている等、その戦闘能力は計り知れない。


 そんな戦車がおよそ二百両。爆音をとどろかせて正門から飛び出して来たのである。



「凄い……スゴイ……」



 気付けば草むらの中で半立ちとなり、その統制された車列を見送るストラトス。


 彼自身、大軍を見た事が無いと言う訳では無い。


 つい先程も、マロネイヤ家の屋敷において、連隊単位の兵士達を目撃したばかりである。


 しかし、戦車軍団と言うのは、単に兵士の数……と言うのとはまた違う。


 言葉では上手く言い表せない、独特の迫力と言うものが間違いなく、ある。



 大地を揺らす振動。


 耳をつんざくく爆音。


 美しくいろどられた戦車に、初夏の陽光を受けキラキラと輝く兵器。


 もしこれほどの軍隊が自身の正面に現れたとしたら。


 そして、自身に向かって爆音を轟かせ、迫り来るとしたら。


 そう考えただけでも、身の毛のよだつ思いがする。



「お師匠様……」



「ん? なんじゃ?」



「お師匠様……これが、この騎士団が……最強なのでしょうか?」



 そう、独り言の様につぶやくストラトス。


 彼の視線は未だ戦車軍団にクギ付けのままだ。



「そうだな……最強……だなぁ」



「やはり……」



 少年の発する言葉には、どうにも割り切れない物が僅かながらも含まれている様に感じられる。


 ただ、彼自身の目で見て、彼自身の体で実感してしまったのだ。



 ストラトスは自問自答する。


 間違い無い。


 この軍団を相手にしてはいけないのだ。


 この軍団に敵として遭遇したとするならば、まず第一に逃げる方法を考えねばならない。


 そうなのか?


 本当にそうなのだろうか?



 幾度となく自問自答を繰り返してみても、その答えは見つからない。


 ただ……ただ、何となく彼には腑に落ちない点が。


 そんな少年の気持ちを、彼の師匠はたった一言で解決してくれたのだ。



「まぁな。最強は最強だが……ならばな」



「え? それってどう言う……」



「どう言うも、こう言うも無かろう。あんな骨董品こっとうひん、今世最強の訳があるまい。確かに強いと言えば強いがのぉ……」



 そう言うヴァシリオスは、いつの間にやら草むらの上で胡坐あぐらをかき、大きく伸びた顎髭あごひげをゆっくりと撫でつけている。



「そっ、それでは、今世最強とは……?」



 少年がたたみかける。



「ふふっ、それは愚問でございましょう」



 今度は二人の間に挟まれていたエヴァが会話に入って来た。



「今世最強の騎士団とは、むろん剣聖様率いる漆黒の騎士団にございます」



 そんなエヴァの自信に満ちた答えが、なぜか心地よく少年の心に届いたのは、彼女に対する恋心故……と言うだけでは無さそうであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る