第296話 狼煙の真相

「グエホッ、ゲホッ……うわぁ、ちょっと引くわぁぁ……」



 少年は涙目のまま、とにかく壁際かべぎわギリギリにまで後退あとずさって行く。



「これ以上たらマズいかなぁ。でも、狼煙のろしなんてやった事無いしなぁ……本当に見えてンのかなぁ……これ……」



 囲炉裏いろりの様な石枠の中では、やぐら状に組まれた木片が凄い勢いで燃え上がっており、しかも先にくべた針葉樹の葉からは、信じられない程の白煙がもうもうと立ち昇っているではないか。



「もう十分かなぁ……でも、ちゃんと出来て無かったらお師匠様に叱られそうだし……」



 年の頃は十代半ばと言う所か。


 鼻筋の通った精悍せいかんな顔立ちに、恵まれた体格。


 それなりの衣装……そう、例えば帝国兵士の甲冑を身に着けて、『自分は十人隊長デクリオンだ』……と言えば、みなみな、信じ込んでしまう事だろう。


 ただ、いま彼が身に着けているのは、黒くまだらに染めあげられた粗末な革の胸当てに革の籠手こて


 その不格好な造りを見る限り、彼のお手製に間違い無い。


 いやいや、防具職人の弟子ですら無い彼である。


 見よう見真似で自ら造り上げた防具であるとするならば、意外に手先が器用であるとも受け取れる。



「やっぱり、入れとくかぁ……」



 少年は少し嫌そうな表情を浮かべつつも、隣にある棚の中から大ぶりの葉束を二つ、三つと掴み出した。



「ほぉれ、燃えろ、燃えろぉっとぉ」



 彼は燃え盛る炎の中へ、次々と針葉樹の葉束を放り込んだのだ。



 ――ボォォォゥ!



 更に燃え盛る炎。



「グエホッ、ゲホッ! やっぱやめときゃ良かったかなぁ」



 本来煙は部屋の天井付近に設けられた大きなダクトを通じて、塔の外へと出て行くはずなのだが、流石にくべた葉束が多すぎたのだろう。


 気付けば部屋中に指先すら見えぬ程の煙が充満し始める。



「ヤバい、逃げよっ」



 少年は視界の利かなくなった部屋の中で、腰を屈めながらもようやく入り口の扉を発見。


 さぁ、扉を開けようとしたその矢先、なんと、扉の方が勝手に開くでは無いか。



「うぉっ、なんだこの煙は。だっ、誰だっ! 勝手に狼煙のろしを上げたヤツは。誰か居るのか? おい、返事をしろっ!」



 扉を開けるなり、怒鳴り声を上げる兵士。


 少年は咄嗟とっさに扉の陰へ身をひそめると、しゃがみ込んだまま彼らの様子を伺い始めた。



「チッ! おいっ、早く消せっ!」



「「はっ!」」



 兵士達は壁際に立てかけられていた鉄の棒を使いやぐらに組まれた木片を手際よく崩し終えると、更に銅製の大きなふた囲炉裏いろりの様な石枠自体を覆い隠してしまったのだ。



「あらぁ、消えちゃった……」



 火元を完全に抑えられ、部屋の中は徐々に視界が回復し始めた様だ。


 少年はここが潮時とばかり、兵士達の注意が囲炉裏いろりの方へ向いているのを良い事に、身を屈めたまま扉の外へ駆け出そうとする。


 しかし、扉を通り抜けた途端、彼の視界に飛び込んで来たのは、鈍色に輝く兵士用の脛当すねあて。



「だっ、誰だ、お前っ!」 



「あたぁ……もぉぉ。隊長様もみんなと一緒に火を消しに行ってくれないとぉダメですよぉ」



 残念ながら隊長格の兵士は部屋の中に入っておらず、外で中の様子を伺っていた様だ。



「お前かっ! この狼煙のろしに火をつけたのは!?」



「いえいえいえ、十人隊長様、めっそうも御座いません」



 少年は、膝に付いたホコリを払いながら、ゆっくりと立ち上がろうとする。


 その際、そっと兵士の胸当てに彫り込まれている紋章を確認。


 あれは、マロネイア家の紋章に違いない。



「私は決して怪しい者ではでありません。マロネイア様を支援する為、アレクシア神殿より遣わされました漆黒の騎士しっこく団でございます」



 自慢げに胸を張る少年。



「なに? 漆黒の騎士団とな? それにしては、武具があまりにもみすぼらしいでは無いか?」



 どうやら、兵士の方は全く少年の話を信用していない様子だ。


 それはそうだろう。


 少年の身に着けている防具はどう見ても彼のお手製。


 貧相……などと言うレベルを軽く凌駕りょうがしているのである。


 しかも腰にぶら下げているのは、木刀ならぬ粗末な木の棒。


 かなりの太さがあるにはあるが、これで騎士団とは聞いてあきれる。



「あぁ、いやいや、本当の事を言うと、私はまだ見習いでして。正式の団員にならないと武具は頂けないって言うかぁ……」



 見習いの身分にも関わらず、少し話を盛ってしまった事に恥ずかしさを覚える少年。


 気付けば、他二人の兵士が少年の逃げ道を塞ぐ形で身構え始めていた。



「何にせよ怪しいヤツだ。このまま返す訳には行かん。荒縄で縛り上げてしまえ」



「「はっ」」



 早速二人の兵士が少年に掴みかかろうとするのだが。



「いやぁ、ちょちょちょ、ちょっと待って下さいよぉ。本当に私は何も悪い事はしてないんですってぇ……」



 少年はそう言いながらも背後にいた兵士の右腕を掴むと、素早く体を入れ替える様にして相手の利き腕を後ろ手に捻り上げてしまう。



「くぅっ! 何だお前っ、抵抗するのか?」



 いきり立つ兵士たち。


 隊長に至っては、既にロングソードを抜き放っているでは無いか。



「おい、お前っ、今すぐソイツを放せ。さもなくば、ひどい目に遭うぞっ」



「いやいや、隊長様。私がこの人を放したら、即座に切り掛かって来る気でしょ? 嫌ですよぉ。そんなのはまっぴらゴメンだぁ」



 少年は相手の出方を伺いつつも、ジリジリと部屋の奥の方へと退しりぞいて行く。


 部屋の出入り口は狭い。


 元々、狼煙のろしを上げる為の塔だと言う事もあり、出入口は一か所のみ。


 しかも出入口からは狭い螺旋らせん階段が続いているだけである。


 あんな体のデカい兵士十人隊長に居座られたのでは、逃げようにも逃げられない。


 まずは出入口から引き離す必要があると言う所か。



「おっと、それ以上動くなよ。どうせ窓から逃げ出そうって魂胆なんだろ? おい、お前っ、窓の方へ行けっ」



「はっ」



 兵士達は素晴らしい連携で、出入口と窓を抑えにかかった。


 確かに部屋には明り取り用の窓が一か所あるにはある。


 ただ、ここは塔の上である。


 軽く見積もっても四階建て集合住宅インスラ程の高さがあるはずだ。


 そんな所から飛び降りたとしても、無事で済むとは考えにくい。



「十人隊長様、一つ提案があるんだけど」



「なっ、なんだ? 提案とは」



「私はこの通り、持っている武器は木の棒だけ。それに引き換え、皆さんはロングソードをたずさえていらっしゃる。これじゃあ、あまりにも理不尽な話だぁ。だぁ、かぁ、らぁ……私にハンデを下さい! 私は木の棒で頑張る。皆さんは、素手で頑張る。ねっ、良い話でしょ? だって皆さんはフル装備の防具に三人がかりですよ。結構有利な条件だと思うなぁ。もしこの条件を飲んでくれるのであれば、この兵士さんを直ぐにでも解放しますからぁ。ねっ、そうしましょうよ。ねっ、ねっ?」



 何やら楽しそうに交換条件を説明する少年。



「お前は馬鹿か? 誰がそんな交渉に応じると思うんだ」



「えぇぇぇ。十人隊長様ったらケチくさいなぁ。それじゃあ、仕方が無いなぁ。私も木の棒は捨てますから、それならどうです? ねっ、ねっ? 流石にこれ以上やっちゃうと、逆に十人隊長様の方にハンデをあげてるみたいになっちゃうでしょ? 十人隊長様だって、ハンデを貰った上に負けるとかって、格好悪いでしょお?」



「……」



 暫く無言で思案する十人隊長。


 こんな鹿との交渉などどうでも良い。


 そんな事より、時間が惜しい。


 さっさとコイツを片付けなければ、百人隊長からどの様な叱責を受けるか分かったものでは無いのである。



「わかった。俺達は剣を捨てる。だからお前はソイツを放せ」



「よし、交渉成立っ! それじゃあ一緒にだよっ、一緒にだからねっ」


「……せーのぉ!」



 ――ガシャン!



 兵士達の剣が床に投げ捨てられると同時に、少年は捉えていた兵士を彼らの方へと送り出した。



「へへへ。それじゃあ早速……って、あぁぁあ! 十人隊長様ぁ、きったねぇ、汚ぇよぉ。どうしてまた剣を握ってるんだよぉ」



 気付けば、兵士達は床に捨てたばかりの剣を、既に拾い直しているでは無いか。



「お前は本当に馬鹿だなぁ。“捨てる”とは言ったが、“拾わねぇ”とは言ってねぇ。もうお前との無駄話はこりごりだ。さっさと始末して、お前を下手人って事にさせてもらうぜぇ」



「「うぉぉらぁ」」



 そう言うなり、ロングソードを振り上げ、少年へと切り掛かる兵士二人。



 ――ビシッ、ビシッ!

 


「「うぐぅぅっ!」」



 二太刀。


 いつの間に剣を……いや、木の棒を抜いたのだろうか。


 それにもまして、少年の左右から切り掛かったはずの兵士二人。


 その両者ともに、利き腕を抱えたままの格好でうずくまっているでは無いか。



「なっ、何だ、どうした? 何があった!?」



 一体何が起きたと言うのだろうか?


 十人隊長は剣を構えた姿のままで、二歩、三歩と後退りを始める。



「もぉぉ、嘘つきな上に、二人同時に来るなんてぇ。卑怯この上無いですよ? それじゃあ、勝負は私の勝ちってって事で、これでお暇させて頂きますね」



 そう言うなり、出口の方へ駆け出そうとする少年。



「あっ! 待てっ、勝負は終わって……」



 とそこで、突然十人隊長の声が途切れたのだ。



「あれ?」



 不審に思った少年が振り返ると、そこでは当の十人隊長だけでなく、先程まで腕を抱えてうずくまっていたはずの兵士たちまでもが、自分の首元くびもとを押さえながら既に事切れているでは無いか。



「あれ? えっ?」



 少年が兵士達の元へと駆け寄ろうとしたその時、彼の背後に違和感がっ。



 ――ビシッ!



 少年の持つ木の棒が悲鳴の様な唸り声を上げて、彼の右後方へと突き出された。



「あら、あら。随分と手荒な挨拶ね」



 聞こえて来たのは流麗な女性の声。



「あぁ、エヴァさんですかぁ。大変失礼致しました。でも、ビックリしましたよぉ」



 少年が振り返ると、そこには真紅しんくのローブをまとった妙齢の女性が。



「エヴァさんの方はもう済んだのですか?」



「えぇ、割と早めに片付いたから、こちらの様子を見に来たの」



 綺麗に切りそろえられたストレートの髪は白銀に輝き、身の丈も少年と殆ど変わらない。


 そんな彼女の右手に握られた短刀には、生々しい鮮血のあとが……。


 んん? 血のあとが……消えて行く。



「流石ですねぇ。でも、よく侯爵様のお部屋に入る事が出来ましたねぇ」



「まぁね。私の手に掛かれば、大した問題では無いわ。それに、あの、とっても素直な良い子なの。今では私の言いなりよ」



 彼女はすっかり綺麗になったナイフを、そっとローブの内側へしまい込もうとするのだが、その際、微かに見え隠れする彼女の脚線美がなんとも……。


 少年も、そのなまめかしい仕草にクギ付けの様だ。



「うへぇ、エヴァさんのは、相手の心まで操っちゃうんですか?」



「いいえ、そんな事は無いわよ。私の祝福はアンブロシオス神様の系統だからね。あぁ、言っておくけど、私のはでは無く、だからね。間違えないで欲しいわ」



「あぁ、すみません。それじゃあ、どうやって侯爵様を?」



「うふふっ。そこは女の魅力ってヤツよ。まぁ、最後は彼の耳元で色々とささやいてあげたけどねぇ……」



 どことなくエキゾチックな雰囲気をまとう彼女。


 そっと浮かべる妖し気な笑みすら、彼女の魅力を引き立てるスパイスとなる様だ。



「でもエヴァさん、皆さん殺しちゃっても良かったんですか? マロネイアの兵士さん達ですよ?」



「あぁ、その人達の事? うぅぅん……だって貴方あなた、自分の事しゃべっちゃったでしょ。後から色々と揉めるのって面倒じゃない?」



 そう、事も無げに言う彼女。



「まぁそうですけどぉ。私の話なんて、彼らは全然信じてませんでしたしぃ……」



 自分の所為で殺されたとなると、なんだか後味が悪い。


 ただ、そんな少年の気持ちすら彼女には気にならない様で。



「まぁ、そんな事はどうだって良いじゃない。それより早く帰りましょストラトス。帰る時も私から離れないでね」



「はい。分かりましたっ!」



 そう、元気よく返事をする少年ストラトス


 すでに殺した兵士達の事など、すっかり忘れてしまったかの様だ。



 と言うより、彼女と一緒に帰れる。


 その事の方が、少年ストラトスにとっては重要な事なのだろう。



 まずは、彼女の特殊能力。


 それが、一体どういう仕組みなのかは分からない。


 ただ彼女の傍にいるだけで、誰にもとがめられる事も無く、何処にでも入って行けるのである。


 まるで彼自身が透明にでもなったかの様に振る舞う事ができるのだ。


 彼自身、初めてこの能力を実感した時は、あまりの驚きに体が震えたものだ。



 もちろん、彼のお気に入りは、それだけじゃない。


 彼の最大にして最高の楽しみ。


 それは……。


 美しい彼女から漂ってくる、とっても良い香り。


 なにしろ、彼女と一緒に行動する間、その良い香りを好きなだけ嗅ぐ事が出来るのである。


 もちろん、そんな事は彼女には言わないし、言う必要も無い。


 彼いわく。


 この香りを嗅ぐだけで、こう……胸の方が“ぎゅー”っとなるだけじゃなくって、股間の方も“ぎゅー”っとなってくる。


 ……らしい。


 そう言えば、彼のお師匠様が言っていた。それこそが『惚れた』と言う事だと。


 ただ、彼の場合は、一度姉弟子に同じ様な気持ちとなり、その気持ちを伝えた際に、人生の中でもトラウマになるぐらいのを受けた事があった。


 そんなこんなもあってか、未だその気持ちを彼女には伝えていない彼である。


 まぁ、当面はこの良い香りを嗅ぐだけでも、十分満足なのだが。



「あぁ、一つ言っておくわね」



「へぁ? あぁ、はい。何でしょう?」



 すっかり彼女のかおりを嗅ぐ事に意識を集中していた少年。


 意識は半分上の空だ。



「嗅ぐのはあなたの勝手だけれど、あんまり“ブヒブヒ”言うのはヤメてよね。その音で見つかっちゃうから」



「あっ……はい。……すんません」



 すっかりバレてら。

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