第294話 城内への侵入

開門かいもーん開門かいもーん!」



 開門を知らせる衛兵の声が響き渡る。


 そんな衛兵の掛け声に合わせ、エレトリア城南東にある通用門が、ゆっくりと押し開かれて行った。


 エレトリア本城は、エレトリア市街中央部より北寄りに位置し、その広さはおよそ日本の皇居の三分の一程度。


 アゲロスの住むマロネイア家の敷地面積が、エレトリア本城の約五倍以上もある事を考えると、少々狭い様にも感じられる。


 ただ、エレトリア本城自体はエレトリアがここまで巨大になる前に建てられたものであり、本城を拡張しようにも、市街地の過密化に伴い拡張できる余地がほとんどない事がその大きな理由である。


 その為か、エレトリア当主であるヴァシレイオス=クラウディウス=エレトリアは、その家族とともにエレトリア郊外にある東宮と呼ばれる別荘で暮らしている事が多い様だ。


 ちなみに、マロネイア家は本来、現在のデルフィ地区にその居を構えていたのだが、アゲロスが当主になって以降、その経営手腕により巨万の富を蓄財。


 エレトリアの外壁防御強化を理由として、エレトリア郊外に自身の巨大な住居を新たに建築したのである。


 ちなみに、当時は郊外であったが、エレトリアが拡大するにつれ、旧マロネイア屋敷跡はデルフィ地区として特区扱いとなり、かつデルフィ地区とマロネイア家を繋ぐエリアはエレトリアのダウンタウンとして、マロネイア家の被護者クリエンテス達が多く住まう住宅地として発展している。


 さて、エレトリア本城。


 押し開かれた通用門前にたむろする被護者クリエンテス達は、我先にと門の中へ吸い込まれて行く。



「おい、一列に並べえっ! 本日は侯爵様が本城にお越しである。お恵みのパンは十分に用意してある。慌てるんじゃない。十分に用意してあるからなっ!」



 衛兵はいつもの要領で常設の施し小屋へと人々を誘導して行くのだが、いつにも増して今日は被護者クリエンテスの人数が多い様だ。



「うぅぅん、今日は人出が多いなぁ。やっぱり侯爵様がお越しだと、こうも人数が多くなるものか? まぁ、そうは言っても、誰も侯爵様にお目通りなど出来る訳も無いのになぁ」



 通用門の方を見ると、更に人だかりが増えている様にも見える。



「しょうがねぇなぁ。俺達だけだと捌ききれんな。おいっ、正門の方へ行って応援を呼んで来い。この調子だと今日用意したパンも全て無くなるかもしれん」



「はい、承知しました」



 十人隊長からの指示に従い、若い兵士が走り出そうとした、その時である。



「隊長様、ご機嫌麗しゅう!」



「おぉ、テオドロスか。どうした? お前はマロネイア様の被護者クリエンテスだと思っていたが、最近よく見かけるなぁ。どうした、エレトリア侯爵様に鞍替えでもしたか?」



「へっへっへっ、そんな事ぁ、ありゃしませんよぉ。いやなに、エレトリア侯爵の所で配られるパンがどうしても食いたい、食いたいって、俺のイロが言うもんですからねぇ、へっへっへっ」



 十人隊長を凌駕する程の体格を持つ毛むくじゃらの男テオドロス


 そんな彼が腰を丸めて媚びへつらう姿は、少々哀愁を誘う。



「なんだテオドロス。お前も一端いっぱしの頭領なのだろう。もっとしゃんとしろっ!」



「いやいやぁ、一端いっぱしと言っても汚れ役専門ですからねぇ」



 “汚れ役専門”と言う言葉の響きに、少々眉根を寄せる十人隊長。



「まぁな。俺はお前の様な職業の心持は分らん。まぁ、せいぜい堅気かたぎの市民に迷惑を掛けぬ様、早々に立ち去れ」



「へいっ、そうでやすねぇ。アッシも、そんな“汚れ役専門”の男に叩きのめされる兵士の気持ちなんざ、さっぱり分かりやせんからねぇ……」



「ん? それはどういう意味……ぐえっ」



 突然、十人隊長の鳩尾みぞおちに、丸太の様な太い腕が食い込む。


 隊長はそのままテオドロスに抱き付く様な形で気を失ってしまった様だ。



 ――ボクッ、ドカッ!



 周辺からは、同様に兵士達を殴打する音が漏れ聞こえて来る。



頭領オヤジ、全て始末しやした」



 テオドロスの背後から声を掛けて来たのは、華奢きゃしゃな商人風の



「おぉ、そうかい。手際が良いな。それじゃあ、全員なわでふんじばってから、施し小屋の奥にでも放り込んでおけ。殺すなよ。一応全員同胞だからな」



「へいっ」



「マロネイア家の兵士を城内に呼び寄せたら、俺達は市中の衛兵駐屯所を個別に襲撃するぞ。できるだけ城の方へ衛兵が集まらない様に攪乱かくらんするんだ」



「へいっ、承知しやした」



 被護者クリエンテスとして城内に入り込んだ集団。


 なんとその殆ど全てが黒猫マヴリガータの一味か、もしくは息の掛かった連中達だったのである。


 いくら兵士とは言え、手練れを含む多くの人々に取り囲まれてしまってはどうしようもない。


 暫くすると、マロネイア家の紋章を象った兵装に身を包む兵達が、続々と城内へ駆けこんで行く。



「アゲロスは別に好きでも嫌いでもねぇし、バジル侯爵に恨みがある訳でもねぇが……。エレトリアの水で洗礼を受けた身とあっちゃあ、コルネリア様をお助けするのが筋ってもんだからなぁ」



 軽く周囲を見渡した後、大きな動作で市街地の方を指さすテオドロス。


 すると、周囲にたむろしていた人々を含め、全員が蜘蛛の子を散らす様にエレトリア市街地の方へと駆け出して行くのだった。



 ◆◇◆◇◆◇



「マーサ……マーサ!」



「はい、マーサめはこちらに……」



 マーサと呼ばれた痩せぎすの中年女性は、少女の前に現れると恭しくも臣下の礼を取る。



「見て、マーサ。あの森の方よ」



 少女の指さす方向。


 森の木々の間から時折見えるのは、日の出間もない太陽に照らされた兵装の輝きか。


 ここはエレトリア城内、庭園の外れにある東屋あずまや


 少し小高い丘の上に建てられた建物の為、ちょうど通用門あたりから城内へと続く道を見渡す事が出来る。



「そうですね、お嬢様。あれは兵士達の様でございますね。あの垢ぬけぬ田舎臭い色合いからしますと、マロネイア家の兵士達でしょうか」



 そう事も無げに返答するマーサ。


 既によわいは四十の半ばを過ぎ、姫様の乳母として、多種多様な経験を積み重ねて来た彼女である。その結果、大概の事では驚くことなど無くなってしまった。


 まぁ、持ち前の毒舌ぐあいはいつもの事だが。



「マーサ。どうしてマロネイア家の兵士がエレトリア城の中に居るの?」



「さぁ、どうしてでございましょう。マーサめにはとんと分かりかねますが……」



 そう返答しつつも、いつの間にか醜女しこめで構成された侍女連中を手招きすると、冷静な声でなにやら指示を始めた彼女。



「マーサ。私、この前から気になる事があるって言ってたわよね」



「えぇ、姫様。そのお話はうけたまわっております」



 マーサは相槌を打ちながらも、彼女の手前に置かれたカップの中へ、温かいハーブティを注ぎ入れた。



「もしかしたら、って、なんじゃないかしら?」



 朝の散歩は、クリスティアナの日課である。


 当初は朝帰りを繰り返すバジル侯爵をいち早く見つける為、通用門側が見通せるこの東屋あずまやまで来る事にしたのが本当の理由なのだが、最近ではバジル侯爵に関係なく、エレトリア城に逗留している間は、通用門に集まる被護者クリエンテス達の事を眺めながら朝食を取る事が習慣となっていた。


 そんな彼女は、数日前からある事を言い出し始めていたのである。


 被護者クリエンテスに見掛けない人達が増えた……と。


 確かに多少の入れ替わりはあれど、被護者クリエンテスと呼ばれる人たちが大きく変動する事は無い。


 ただ、エレトリア侯爵家は、エレトリアでも最大の貴族である。


 新たな被護者クリエンテスが増えたとしても、何ら不思議な事では無いのだ。


 筆頭侍女であるマーサは、まだ十三歳の娘であるクリスティアナ姫の見間違いだろうと、正直たかくくっていたのも事実。



「姫様、どうやら、姫様の目はであった……と言う事で御座いましょうね」



「でしょぉ、マーサ。私が言った通りだったでしょ? うふふふ」



 自分の予想が的中し、思わず笑みがこぼれる少女。


 その笑顔を見る限り、どうみても十三歳の子供である。


 そんな少女が、数日前より謀反の可能性について示唆していたのだ。


 マーサは決しておもてには出さないまでも、そんな少女の事を末恐ろしく思わずにはいられない。



「でも、マーサ。この後、どうしようかしら?」



 あごに人差し指を立て、小首をかしげる少女。


 その愛くるしい姿は、まさに天使の様である。



「ご心配には及びません。のちの事は、全てこのマーサにお任せ下さい」



「えぇ、マーサ。後はお任せするわ」



 少女は笑顔を浮かべたままで、テーブルの上に置かれたハーブディを美味しそうに飲み始めた。


 やはり、そうは言っても十三歳の少女である。


 大人顔負けの洞察力により、その陰謀を言い当てたとしても、どう対処すべきかまでは考えが及ばない。


 もちろん、それをおぎない、姫に最善の策をご提供する事こそが、マーサの仕事であり、責務なのである。



「マーサ様、準備が整いました」



 先程指示を出した侍女の一人が、彼女に向かって一着の服を差し出した。



「姫様、お手数ではございますが、こちらのお洋服へとお召し替え頂きますが、よろしいでしょうか?」



 広げられた洋服を一瞥いちべつし、少々不満顔の姫様。



「ご不満かとは存じますが、ここはマーサを信じて……」



「いいえ、良いのよ。身の危険が迫っているのでしょ? 私はマーサを信頼するわ。ささ、時間が無いわ。早く着替えましょう」



 そう言うなり、侍女の手すら借りず、みずからの手で、美しい若草色のドレスを脱ぎ始めるクリスティアナ。


 まだ十三歳。


 ようやく膨らみ始めた乳房が愛らしくもその主張を始めてはいるものの、殿方の好みとなるには今しばらく時間が必要なようだ。


 そして、粗末な麻のストラに着替えた少女は、マーサに導かれるまま東屋あずまやの外へとその姿を現した。


 そこには、臣下の礼を取る数人の侍女達に加え、先程まで自分が着ていた絹のドレスを纏う少女が一人。


 目鼻立ちは全く違う。


 一般的に見て、醜女しこめと言うにふさわしい顔立ちである。


 しかし、その背格好や髪の色は、クリスティアナとうり二つ。


 クリスティアナは静かに、その少女の方へと近づいて行く。



「あなたが私の身代わりになってくれるのね」



「……はいっ」



 強い決意は感じられるものの、その声は震えていた。


 間違いない。


 ……怖いのだ。


 それはそうであろう。顔は違えど背格好が同じと言う事は、年端も行かぬ娘である。


 そんな少女が、誰かの身代わりになれと言われている。


 しかも、その身代わりの女性は、今まさに、その命を狙われているのである。


 上手く敵を騙しきり、殺害される事こそが、彼女に課せられた使命なのだ。


 それを、恐ろしくない……などと言える人が、世の中にいったいどれほどいるのだろうか。



「ありがとう。貴女あなたの事は忘れないわ。そして、危なくなったら逃げてね」



「しかし、姫様……」



「良いの。私の事は大丈夫。えぇ、一時いっときもあれば私は逃げおおせるわ。だから、貴女も無理しないで。危なくなったら逃げるのよ」



 そっと彼女の手を握るクリスティアナ。



「はい、姫様……」



 少女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。



「本当よ。約束……約束よ」



 少女はクリスティアナに両手を取られ、むせび泣きながら何度も何度も頷く事しか出来ない。


 クリスティアナは自分の指にはめていた黄金の指輪を外すと、少女の指へとはめてあげる。



「これはね。母様からもらった指輪なの。きっと貴女の事を守ってくれるわ」



 そう言いながら、少女に向かってにっこりと微笑むクリスティアナ。



「姫様、そろそろ」



 クリスティアナの後方より声が掛かる。



「えぇ、分ったわ。それでは行くわね」



 マーサに促されるまま、森の奥へと駆けて行くクリスティアナ。


 残るは、若草色のドレスを着た少女と、三名の侍女たち。


 姫様は“先に行く”と言い残してはくれたものの、彼女達はクリスティアナ達が何処へ行くかなど聞かされてはいない。


 それはそうである。


 もし彼女達が捕らえられ、拷問される事にでもなった場合、余計な事は知らない方が彼女達のためでもあるのだ。


 そして、残された四人は何事も無かったかの様に、高台にある東屋あずまやにて、朝食の続きを取り始めたのである。。



 ◇◆◇◆◇◆



 その後暫くして、その東屋あずまやはマロネイアの兵士達に取り囲まれる事となる。


 当時、兵を指揮していた百人隊長が必死に説得を試みるも、彼女は頑として投降を拒否。


 もし兵が東屋あずまやに近付けば、自分はこの高台から飛び降りる……と逆に脅し返す始末。


 やがて、痺れを切らした百人隊長が突入を指示しようとした矢先。


 少女は三人の侍女とともに、相次いで高台より飛び降りてしまったのだ。


 高台の下は深い森となっており、その死体を探すには、かなりの時間を要する。


 しかも、少女は高台から飛び降りる際、自らの両腕を縛りつけ、頭から飛び込む様にして投身したが為に、頭蓋の損傷が激しく、とても人相を確認する事ができなかった。


 兵士達はその着衣ドレスと、右手にはめられた指輪を確認する事で、少女がクリスティアナ妃であると断定するに至ったのである。


 結局、その指輪は身代わりとなった少女を守る事は無かった。


 しかし、その指輪は身代わりの少女をクリスティアナ本人であると兵士達に誤認識させる事に成功し、その結果、クリスティアナ自身を逃がす為の十分な時間を稼ぐ事が出来たのである。


 母の一途な想いはに通じた……と言う事にしておこう。

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