第293話 ベルヘルムの商人

「通行止めっ、通行止めだっ! 城内に入る事まかりならん!」



 エレトリア外壁にある門の一つ、フェレス大門。


 大小十数ケ所ある外壁門のうち、帝都との通商用に利用されるこの大門は、もっとも人馬の往来が多い門として知られている。


 その門前で商隊とおぼしき一団が、どうやら足止めを食らっている様だ。



「旦那ぁ、勘弁して下さいよぉ。夜明けまでにこの荷を店まで届けねぇと、こちとらおマンマの食い上げになっちまわぁ」



「知った事かっ。今日は通行禁止の通達が出ておる。何人たりとも通す事は出来ん。早々に立ち去れ」



 取りつく島も無い兵士達。


 相次いで懇願する商人たちを後目に、足早にその場を立ち去ろうとする始末。



「隊長様ぁ、荷馬車は日中大通りに入れないお取決めだぁ。今、荷馬車で入らねぇと、後から人足が担いで運ばなきゃならねぇ。そんな事になったら俺達ゃ目もあてられねぇよぉ。ここはどうか一つ穏便に……」



 商人は目ざとく見つけた隊長格の兵士に寄り添うと、そっとその手に銀貨を一枚握らせてみる。



「何だ、これは?」



「えへへへ、何だもなにも。いつもお役目大変でございやしょう。たまにはこれで、息抜きでも……うぐっ」



 まだ商人が話している途中にも関わらず、その口を大きな手で鷲掴わしづかみにする兵士。



「お前はまだ分っていない様だな。俺は“立ち去れ”と言ったんだ。どうしても立ち去らぬと言うのであれば、俺が強制的にプロピュライアまで送ってやっても良いのだぞ?」



「……ふぐっ、ふぐぐぐっ!」



 口元全体を押さえつけられ、商人は身動きひとつ取る事が出来ない。


 それでも彼は、必死に首を横に振って見せようとする。



 ――メキッ、メキメキッ。



 暫くすると、商人の顔面から気味の悪い軋み音が聞こえて来た。



「ふぐぅぅっ! ふぐっ! ふぐぅぅぅぅっ!」



 商人は何とか兵士の太い腕を振りほどこうとするのだが、まるで万力まんりきの様なその手は、一向にびくともしない。


 あまりの激痛に顔を歪める商人。その額からは玉の様な脂汗がしたたり始めた。



「たっ、隊長様。大変ご無礼を致しました。何卒ここは私の顔に免じてお許し頂けないでしょうか?」



「うん? お前は?」



 帝国内ではあまり見かけない、キツネの毛皮フォックスファーを左肩に背負った男。


 エレトリアの気候は温暖で、毛皮を着る様な機会は殆ど無い。


 もちろん、戦士用の防具として毛皮を取り入れている者もいるにはいるが、一般の人間が身に着ける事は非常にまれだ。



「はい、私めは商人のフィンツェンツと申します。ご縁がありまして、現在は御用商人としてマロネイア様の所へと出入りさせて頂いている身でございます」



「ほほぉ、名前や身なりからすると……ベルヘルムの者か」



 ベルヘルムは帝国の北東に位置する大国である。


 気候は比較的寒冷で、永遠に続くかとも思われる、深い森に覆われた謎の多い国と言われている。


 そんな彼らは温暖な沿海州への侵攻を常に企んでおり、未だに国境付近での小競り合いが後を絶たない。


 ただ、それはあくまでも国と国とのいさかいであり、平民……特に商人レベルでは他国同様、普段通りのあきないいが取り行われていた。



「はい、その通りでございます。遠くベルヘルムよりあきないに参りました。お持ちした積み荷の中には、マロネイア様へお収めするための品々も数多く……」



「そうか。しかし、今日の所は引き返せ。何人たりとも通す訳には行かん」



「承知致しました。それでは日を改めて出直してまいります。こちらは、私共の手代がご迷惑をお掛けしました事に対するの品でございます。どうかお収め下さいます様」



 商人は懐から小さく切り分けられた一欠片ひとかけらの石を取り出した。



「何だ、これは?」



「はい、これはベルヘルムで使われております、砥石でございます。ベルヘルムの戦斧バトルアックスは余りにも有名。その斧を研ぐ際に使われる、専用の砥石にございます。かならずや、隊長様のお眼鏡にかなう一品かと……」



「うむ。そうか。そうだな。謝罪の品と言う事であれば、受け取っておこう。それに、これによりあるじへの更なる奉公が出来ると言うものだ。これは良いものを貰った。礼を言うぞ」



「ははっ、私もマロネイア様を陰ながらにご支援させて頂く一人として、お役に立てて光栄に存じます。それでは、無事お役目全うされます様、心よりお祈り申し上げております」



「うむ、大儀であった」



 その兵士は踵を返し、門前にある詰め所の方へと立ち去ろうとする。



「あぁ、様……」



「ん? 何だ、まだ何か用があるのか?」



「いえいえ、大した事では御座いません。マロネイア様の方の首尾しゅびは如何なものでございましょう?」



 商人フィンツェンツからの問い掛けに対し、兵士百人隊長は不敵な笑みを浮かべるのみ。


 そんな兵士百人隊長に向かって、彼は更にもうひと声。



は、滞りなく進んでおられるのでしょうか?」



 その声を聞き、ピタリと足を止める兵士百人隊長


 彼は何か言い忘れた事がある様な雰囲気をかもしながら、商人フィンツェンツの耳元へと顔を寄せて来た。



「お前がどこまで知っているかは知らんが、の事は口にするな。それから、良い物を貰ったが故に一つだけ教えてやろう」



「はい、おありがとうございます」



「これまで以上に、マロネイア様へ忠誠を尽くす事だな。さすればお前は、エレトリアにて大商おおあきないができるだろうて。……ははっ、はははっ、あーっはっはっはっは」



 今度は大きく笑い声を上げ、一度も振り向く事無くその場を立ち去る兵士百人隊長


 商人フィンツェンツの方はと言うと、彼の姿が詰め所の中へと消えるまで、その場でお辞儀の姿勢を崩す事は無かった。


 やがて……。



「ベルツ、おいっ、起きろベルツ!」



 兵士百人隊長に顔面を掴まれていた男の名は、ベルツと言うのであろう。


 彼は拘束を解かれた後も、地面にへたり込んだまま放心状態だった様だ。



「あっ、あぁ……旦那様。私は、私は生きているのでしょうか?」



「当たり前だっ! こんな所でヘマしやがって。いくら日の出まえの暗がりだからって、相手の肩書ぐらい確認してから声を掛けろっ!」



「へっ、へぇ。と言うと、先程の兵士は隊長格では無いと?」



「いやいやいや、隊長格も隊長格。ありゃあ、マロネイア家の百人隊長。しかも野戦兵だ。そんじょそこらの衛兵とは訳が違う。野戦兵には迂闊うかつに近寄るな。今回みたいに酷い目に遭うぞっ」



「へっ、へぇ。すみませんでしたっ!」



「あぁ、わかりゃあ良いんだよ。そんな事より、コイツぁ一大事だ。大体、エリート集団の野戦兵が、こんな所で門番なんかしてる訳がねぇんだよ」



「旦那様、一大事と申しますと?」



「あぁ、こりゃあ、マロネイア家がとうとうって事だ」



「するってーと、何をですか?」



「馬鹿野郎っ! マロネイア様がって言ったら、いくさしかねぇじゃねぇか。しかもだ。未明に帝国側との街道を封鎖したってぇ事ぁ、既にエレトリア内は戒厳かいげん状態。情報統制が掛かっているに違いねぇ」



 そこまで説明した所で、急にに考え込み始めるフィンツェンツ。



「旦那様、いくさと言う事であれば、一刻も早くこの場を離れませんと。……旦那様、旦那様っ」



「えぇぇい、うるせぇ、ちっとは静かにしろっ!」



 自分が慌てていくさの話を持ち出したにも関わらず、今度はいきなり“静かにしろ!”ではベルツが少々可哀そうな気もする。



「ははぁぁん、なるほどぉ、そう言う事か、読めたぞ」



 突然、得心が行ったとばかりに、頷き始めるフィンツェンツ。



「マロネイア家にとって何の得にもならねぇリヴィディアに、あの強欲アゲロスが兵を出すって事自体オカシイと思ってたんだ。ようするに、この戦の布石だったって事だな。しかし、マロネイアは一体何処に戦を仕掛ける気なんだ?」


「行くとすれば、東か西か。どっち? どっちなんだ?」



 フィンツェンツはいきなり両腕を組んだかと思うと、今度は利き手で自慢のヒゲをもてあそび始めた。


 どうやらこれが、彼の熟考時の仕草らしい。



「東かぁ? リヴィディアに再侵攻? いや、あの土地ぁ既にマロネイア家が影響下に置いてるはずだ。今更派兵する意味がねぇ。それじゃあ更にその東、ベルガモンか? いやいや、ベルガモンとは相互不可侵の約束をしたばかりだ。今この約束を反故にする意味がねぇ」


「となると、西か? エレトリア、メリシア、リヴィディアの三ケ国連合で、帝国に反旗をひるがえすってか? うぅぅん、アゲロスならやりかねんがなぁ、今はその時じゃねぇ。確かにエレトリアとメリシアが力を合わせれば、帝国経済の三分の一を超える大国だ。それにリヴィディアの穀倉地帯が加われば……うぅぅむ、あながち無い話じゃねぇな」


「しかしなぁ、エレトリア侯爵とメリシア伯爵は、元はと言えば“クラウディウス氏族”の流れだ。そんな二人が、ディオン侯を裏切るとは考えにくい」



「あのぉ、旦那様……」



「何だようるせぇなぁ。俺ぁ今、考え事してんだよぉ」



 考え事をしていると言う割には、考えている事全部がダダ洩れと言うのも、如何なものだろう?



「あのぉ、その“クラウディウス氏族”って言うのは、何なんですかねぇ」



「何だよお前、手代になって何年経つんだよ。そんな事も知らねぇのか?」



「へぇ、すみません」



 いやいや、良いぞベルツくん。作者もそこの所を聞きたかったんだ。



「ちっ、仕方がねぇなぁ。氏族って言うのはなぁ、血筋や血統の事をさすんだよ。ほら、貴族連中には名前が三つあんだろ?」



「あぁ、そうですね。三つありますね」



「だぁろぉ。その真ん中の名前を氏族名って言うんだよ。コイツを見れば、おおよそ貴族がどこの出身かが分るってもんよ。ちなみに、今のエレトリア侯爵の名前は、ヴァシレイオス=クラウディウス=エレトリア。要するに、エレトリア侯爵はクラウディウス氏族の末裔ってこった。ちなみに、このクラウディウス氏族の本流は、ディオン侯爵の家なんだよなぁ。つまり、ディオン侯爵とエレトリア侯爵は、血で繋がってるってこったな」



「はぁぁ、なるほどぉ」



「まぁ、そうは言っても、上流貴族社会なんて狭いからよぉ。何代かさかのぼりゃ、全員が全員親戚って事になってるんだろうけどもな」


「って、そんな事ぁ、どうでも良いんだよ。それよりもこの後どうするかだ。間違いなく帝国内では内紛が起きる。そのいくさで飛ぶ鳥を落とす勢いの帝国も、マロネイア家が暴れたとなっちゃあ、ただでは済まねぇはずだ……」


「おい、ベルツ。急ぎ本国へ早馬を飛ばせっ、国王にこの事を知らせるんだ。あわよくば、ディオン領の背後を突く良い機会になるかもしれねぇ。とにかく、国境沿いに兵力を集めてもらうんだ。良いなっ!」



「へいっ、承知しやした」



 半ばころがるように、その場から駆け出して行くベルツ。



「へへへっ、面白くなって来やがったぜぇ」



 彼の推論には大きなかたよりがあり、その予想はアゲロスの思惑のごく一部しか言い当ててはいない。


 しかし、今回の動乱にもっとも早く気付いた人間は、どうやら彼と言うことで間違いは無い様だ。

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