第289話 捨て石の意地
「閣下、大変申し訳ございません。
目深に被られたフードにより、その表情は見る事が出来ない。
ただ、握りしめられたその
「気にするな、テオドラ。まだ太陽神殿と事を構える訳には行かぬ。もう少し。もう少しの辛抱だ。お前の
「はっ……」
部屋の入口近くで直立し、そのまま深々とこうべを垂れる彼女。
そんな彼女の正面では、ブロンドに輝く髪を持つ青年がいつもの様にテーブルの上で両手を組み、その手の上に自分の顔を乗せながら、優し気な笑顔を浮かべていた。
「しかし、ルーカスをはじめ、あの奴隷達までをも解放する必要があったのでしょうかな?」
部屋の最奥に座すアエティオス。
そんな彼のすぐ隣より、物静かで、かつ柔和な声が聞こえて来た。
ここは砦内にある会議室の一つ。
本来は主要士官が参集し、作戦会議を行うべき場所である。
しかし、今はそれぞれが作戦行動中であり、この部屋にいるのはわずか三名のみであった。
「うむ。心配するなクロノス。ルーカスには十分言い含めておいた。それにヤツは何故か大精霊との繋がりがある。今後何かの折りにその関係が役立つ事もあるだろう。今は自由に泳がせておくさ」
「なるほど、そう言う思惑でございましたか。それであれば異論はございませんなぁ」
老紳士然とした彼は、テーブルに置かれた陶器のカップを持ち上げると、自身の鼻先へゆっくりと近付けてみる。
将官用とは言え平服姿のアエティオスに対し、クロノスは未だ甲冑を身に着けたままの格好である。
まるで、最初からこの場所にいたかの様な落ち着きをみせてはいるものの、恐らく今しがた帰参したばかりなのだろう。
「よし、それではクロノス、状況を報告してくれ」
「はっ、閣下。リヴィディア伯の身柄は当方で確保致しました。現在リヴィディア城の中で軟禁状態に御座います。周辺豪族の粛清についても、セルジオス大尉、ベネディクト中尉、ヘリオス中尉、及びアトラス中尉とリヴィディア兵による掃討作戦が進行中。元々西リヴィディアは親帝国を表明する豪族が大多数でしたので、取りまとめにもさほど時間は掛からぬかと思われます」
「うむ。で、ベルガモン軍は?」
「はっ、交渉の結果、向こう十年間、東リヴィディアの租税から、およそ三割をベルガモンに支払う事で停戦合意致しました。また、昨日夜半にリヴィディア全軍が自国へ向けて撤退した事を確認しております」
「ほほぉ、結構
そう言いながらも、不敵な笑みを浮かべるアエティオス。
「やはりラタニア人の撤収が大きく影響したものと思われますなぁ。打って出ようにも、ラタニア人がおらんでは戦にもなりますまい。また、このままリヴィディア城に籠るにしても、ベルガモン本国からの援軍は望むべくもなく……。無駄に時間を浪費すれば、逆にいつ帝国からの新手が到着せぬとも限りませぬ。ここが潮時と言う事でしょうなぁ」
クロノスはしたり顔のまま、陶器のカップへと口を付けた。
「であるな。そこはテオドラの手柄と言う所か」
「いえ、そんな……」
急に話を向けられ、口ごもるテオドラ。
彼女はいまだ入り口近くで直立したままの格好だ。
実際問題クロノスは佐官であり、テオドラは士官とは言え中尉にすぎない。
士官全体の会議であればいざ知らず、この三人だけの状態で同じテーブルに着く事など出来ようはずも無い。
「よいよい。ベルガモンのエルヴァインとは今後も深く
アエティオスはおもむろに席から立ち上がると、その足で窓辺の方へと近づいて行く。
そして彼は、そっと窓の外へと視線を向けた
そこに見えるのは、地平線の彼方にまで延々と続く広大な麦畑。
「リヴィディアは豊かな土地だ。これで十年の間はベルガモンとの戦は無いだろう。しかも、リヴィディア領のおよそ九割の租税は、我ら
彼の言葉。
それは一体誰に向けられたものなのだろうか?
彼の部下へか? それとも……彼自身なのか。
外光に照らされ、細めた彼の瞳が何故か妖し気に光り輝く。
「
「「はっ!」」
上官より発せられた確固たる決意。
二人は己が役目を全うすべく、急ぎその部屋を後にして行く。
そして、一人部屋に残された彼は、窓枠に軽く頬杖をついた。
「そう簡単に、思い通りにはならんのだよ。思い通りには……」
そう言いながら不適な笑みを浮かべるアエティオス准将。
◆◇◆◇◆◇
「アゲロス様……アゲロス様……」
まどろみの中で、彼を呼ぶ声が聞こえる。
「……うぅぅむ。なんだ……サロスか。どうした? こんな夜半に」
以前の彼であればいくら眠っていようとも、この様に起こされる事は無かったはずだ。
歳の所為か、それとも昨夜の
薄っすらと蝋燭の火に照らされた室内。
彼の手の届く範囲では、いくつかの若い双丘が静かに上下している様だ。
しかも、彼の頬の上には柔らかな毛に包まれた
発情期の獣人と言うのは確かに御し難い。
流石の彼にしてみても、昨夜は少々羽目を外しすぎたと言う事だろう。
「お休み中の所、大変申し訳ございません。ただ今、リヴィディアより早馬が到着致しました」
「何? リヴィディアだと? 状況は?」
「……」
その国名を聞いただけで、意識が一気に覚醒するのを実感するアゲロス。
ただ、彼の問い掛けに対し、サロスは無言を貫いたままだ。
「あぁ、女の事か。この女達は気にするな。 状況を疾く申せ」
「はっ」
アゲロスからの許可を得て、ようやく話し始めるサロス。
「早馬の知らせによりますと、ベルガモンとは無事和睦した由に御座います」
「なんと、もう和睦したか。して? 賠償金はどうした? 領土はどの程度取られたのじゃ」
彼の元へはリヴィディアにおける戦況が逐次届けられていた。
これらの情報を合算してみても、帝国領からベルガモン軍を追い出す為には、ある程度の賠償金の支払いと領土の割譲、それは致し方の無い所だろうと思い定めていた彼である。
「どうやら東リヴィディアの租税三割を十年間支払うと言う事で合意したとの事」
「なんだ? たったそれっぽっちか? そんなはずはあるまい。領土は、領土はどうなったのだ? それであれば、領土の割譲条項の一つも付帯しておるはずじゃ」
「いいえ、領土の割譲は含まれていないとの事でございます」
「うっ、うぅぅむ。そうか。領土の割譲は無しか……」
余りにも意外な結末に、ただ
最初から必要経費であると割り切っていた賠償金や領土の割譲である。
それが安く上がるに越した事は無いのだが……。
「それで、リヴィディア伯はどうした? これではヤツを
「はい、既にリヴィディア城内に軟禁中との事。表向きは此度の戦役において負傷されたリヴィディア伯に代わり、アエティオス准将が代官として指名された由にございます」
「アエティオスが代官とな……」
「はい。表向きは帝国軍第二次増援部隊長の肩書を持っておりますので、リヴィディア戦役が
「……」
無言のまま思案を続けるアゲロス。
そんな彼の様子を探りながらも、サロスは更に話を続ける。
「そう考えますと、賠償金支払い期限を十年と定めた事も腑に落ちますな。しかも、彼の肩書を維持する
「なんじゃ、サロス。ワシに何か言いたい事があるのか?」
薄暗い室内にも関わらず、非常に分かりやすい笑みを浮かべるサロスに対し、思わず苛立ちをぶつけるアゲロス。
「思惑が……外れましたな?」
「うっ、うぅぅむ。“捨て石”が、よもや“生き石”になるとはのぉ……ベルガモンも、いやメリシアも含めて、案外不甲斐ないのぉ」
「そうでございますなぁ。そうなりますと、アエティオス将軍を遣わした事も少々……」
「えぇい、お前は最初からヤツを征かせる事に反対であったと言いたいのであろう?」
「はい。私もここまでとは流石に思い至りませんでしたが、その可能性については……」
「あぁ、分かった分かった。ソチの言う事が正しかったと言う事じゃ。ワシも反省しておる。しかし、こうなってしまっては、もう致し方あるまい。アエティオスに語り聞かせた事が、
「はっ。そのヴァシリオス様でございますが、どこで情報を仕入れられたのか? つい先程北門前にふらりとお越しになり、現在北離宮の方でお休み頂いております」
「なんと、妾専用館の方でか? あの爺ぃめ、まだ現役か?」
「はい。
「チッ、仕方あるまい。ヴァシリオスに伝えよ。近日中に決行するので、何処へも行くで無いとな。それから、間者にも急ぎ情報を探らせよ。日取りはその情報を待ってからじゃ」
「はっ、畏まりましてございます」
そう告げるなり、静かに退出しようとするサロス。
「あぁ、待てサロス。後で構わんが、イリニに申し伝えよ」
「はっ」
「全て
「御意」
後退る様にして闇の中へと溶け込んで行くサロス。
気付ば、既に彼の気配は部屋の中から忽然と消え去っていた。
「アゲロス様……」
しなやかな指先が、彼の股間をまさぐり始める。
「うむ、起こしてしもうたかのぉ。悪かった、悪かった。ヌシには関係の無い話じゃ。もう休むが良いぞ」
「はい、先程より既に沢山のお情けを頂きましたが、ただ……アゲロス様がお望みとあれば、如何様にも受け止めますれば……」
そう言いながらも、女の指先は妖しく蠢き続ける。
「ほぅ、そうかそうか。
「はい、昨夜よりもう何度も訪れておりますが、今一度
「よしよし。
彼は下卑た笑いを浮かべながら彼女の股間へとその手を伸ばし始める。
「ひぐっ!」
そんな女の喘ぎ声を聞きながらも、ひとたび覚醒した彼の頭脳は限りなく冷静さを増して行く。
(決行が近いともなれば、この女の利用価値も
「はうっ、あぁぁぁ……」
そんなアゲロスの心境とは裏腹に、更に激しさを増して行く彼の指先。
気付けば今度は柴色の尾が彼の首筋へと纏わり付き、その持ち主は潤ませた瞳のままで彼の股間へと顔を埋めているでは無いか。
隣でこれだけ大きな声で喘がれていては、流石に寝ていろと言われたとしても、そうも行くまい。
(さて、獣人の方も最後にもう一度ぐらいは楽しんでおくか……)
彼は軽く頷きながら、もう一方の手で獣人娘の小さな胸を鷲掴みにし始めたのだった。
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