第288話 大精霊の名代

「最初っから私はイヤだったの。だいたいあの時貴女が、なんて言うからいけないのよっ」



 その少女は牛革で作られた手綱たづなに恐る恐る体重を預けると、背後に居る人物に向かっていきなり罵声を浴びせかけた。


 鞍のからは、何やらギシギシと言う怪しい軋み音が聞こえて来る始末。


 恐らく普通の馬具を元にして、急場拵えで準備したのだろう。


 サイズが合わない箇所については、荒縄などで無理やり固定してあるだけの様だ。



「えぇぇぇ、マジっスか先輩、それ今言います? それを言うんだったら、元々は先輩がヤッちまった所為せいでこんな事になったんでしょぉ。アタシはアタシなりに先輩のためを思って志願したんじゃ無いっスかぁ」



 多少遠慮がちにも、語気を荒げて反論するもう一人の少女。


 彼女は意外とこのが気に入っているのだろう。


 そんな言葉尻とは裏腹に、得意満面の笑顔で意気揚々と馬具にまたがっていた。



「うっ……そ、それは仕方が無いでしょ。だって、神族の方々に対しては、司教様だって意見すら出来ないのよ。神官見習いの私にいったいどうしろって言うのよぉ」



「って言うかマリレナ先輩ったら、ミーちゃんまで通しちゃったらしいじゃないっスか? 本当はもうプロピュライア通っちゃったのに、先輩が勝手に生き返らせちゃったって事でしょ?」



 この後輩は非常に痛い所を突いて来る。


 確かに、プロピュライアの門を開いたのは彼女であった。


 日頃、司教以外の者がプロピュライアに近付く事は許されていない。


 しかし、当日は自分の主たるリーティア司教が神界に赴いており、彼女たちはプロピュライア近くの控室で待機していた所だったのである。


 そんな折、プロピュライアの奥から何やら声が聞こえて来るではないか。


 不審に思った彼女マリレナは、思わず扉を開けてしまったという訳だ。


 ちなみにその時、後輩のミルカは控室で絶賛爆睡中であった。



「そっ、それはミサ様が大丈夫だって言うからぁ……。神族の方が言われたのですから、私がどうこうできる問題では無いわっ」



「へぇぇ、そうですかねぇ。でもそのおかげで、私まで司教様からメッタくそ怒られましたけどねぇ」



「そそそ、そんな事言うなら、私なんて、その三倍ぐらい叱られたのよ」



「えぇぇ、だったらアタシは、その四倍ぐらい怒られたんじゃ無いかなぁ」



「何言ってるのよ。私なんて、私なんて、その更に五倍ぐらい……!」



「えぇぇい、五月蠅うるさい! 俺の耳元でギャーギャーと騒ぐな」



「ひぃ!」



 突然の恫喝どうかつめいたに、思わず小さく悲鳴を上げてしまうマリレナ。


 と言うよりも、心に直接響くと言った方が正解なのかもしれない。


 なにしろ、その声のは城門の方へと顔を向けたまま、依然微動だにしていないのである。



「いやいやぁ、魔獣さん、魔獣さん。スミマセンねぇ、本当に先輩は聞き分けが無いものでぇ」



 先輩のマリレナと一緒に叱られたはずなのに、全くそんな事は気にも留めないミルカ。


 彼女は手綱から片手を離すと、そっと足元にあるグレーの毛をやさしく撫で始める。


 そう……二人が乗っている場所。


 それは、世の人々から天災級と恐れられている魔獣、グレーハウンドの背中の上なのであった。


 その体高は優に三メートルはあろうか。


 なんだったら砦の塀の上に立つ兵士達とも、視線の高さはさほど変わらない。


 そんな二人の事を、極度に不安そうな面持ちで見つめる兵士たち。


 そんな彼らからの視線が、妙に痛々しく感じられて仕方が無い。


 それはそうだろう。


 ひとたび暴れ始めれば、都市一つを壊滅させると噂される狂暴な魔獣である。


 いくら一個大隊が常駐している砦とは言え、相応の被害は免れまい。



「ふぅ……お前達は昨日から相も変わらず喧嘩ばかり。それに、その『魔獣さん』と言うのもいい加減ヤメロ。俺にも『名前』があるのだ」



「あぁ、そうでしたねぇ。確か女神様アプロディタ様に名付けて頂いたのですよねぇ。すごいですねぇ。羨ましいなぁ。でも、アタシなんかが名前をお呼びしても良いものなんスかねぇ?」



「うむ。奉迎の為、共に大精霊より指名を受けた者達ではある。特別に許してやろう」



「ははぁぁ! ありがたき幸せっス!」



 このグレーハウンド。一昨日の夜にマロネイア家の中庭で大立ち回りを演じた張本であり、その際、危ない所を大精霊に救ってもらったと言う恩義があった。


 事は急を要すると言う事で、この神族の奉迎に抜擢されたのであろう。


 確かに馬車や人の足では、どんなに急いでも片道一週間は掛かる道のりである。


 彼の体力と速度をもってすれば、僅か一日での踏破が可能だ。



「それじゃあ、早速。えぇぇっとぉ、ケラヴノス……メガロスぅ……ゼノアぁ……えぇっと、何だっけ……うぅぅんとぉ……あぁそうそう、カーティオス……じゃなくってぇ、ノーティオスぅ?」



 なぜに最後は疑問形?



「はぁ……もう、良い。ケラヴノスで構わん」



 少々、うんざりとした口調のケラヴノス


 この娘には何を言っても効果は無さそうだ。


 確かに、魔獣グレーハウンドに乗って神族をお迎えするとの話になった際、多くの司祭が尻込みする中、彼女だけは喜々として参加を申し出たのである。


 元々、恐怖心よりも好奇心が勝ってしまう性格なのだろう。



「あぁ、それは良かったっス。貴族の名前って、覚えるのが難しいんスよねぇ。それじゃあ、ケラちゃんって事で」



「くっ! 名前ファーストネームで呼んでも構わんとは言ったが、勝手に縮めても良いとは言っておらんぞっ!」



「まぁまぁ、良いじゃないっスか。もう、した仲なんだし。しかも、こんな美少女二人のやらやら十分堪能できた訳っしょ? もう、ケラちゃんどころか、ケーちゃんで良いぐらいっスよ。えぇ、それでもおつりが……」



 ――ボクッ



「ぐふっ!」



 突然ミルカの鳩尾みぞおちに、鈍い痛みが走る。



「ミルカ、いい加減にしなさい! ケラヴノス様は魔獣のお姿をしておられるけれども、ゼノン神様のご血縁なのよ。私達が乗せて頂いていると言う事だけでも、不遜な事なのっ!」



 鞍の前に座る先輩のマリレナが、神官の証となる杖で、おもいきり彼女の鳩尾みぞおちを突いたのだ。



「へぇぇぇい、すんませんしたぁ……」



 手加減してくれてはいたのだろう。しかし、杖の先は結構尖っていたので、意外と痛い。


 ミルカは薄っすらと涙目になりながらも、謝罪の言葉を口にする。


 ただ、恨めしそうな彼女の表情には、全く反省の色は見えないのだが。



「それにしても遅いっスねぇ。いつまで門の前で待たせれば気が済むんスかねぇ。ルーカスったら、腹でも下してるんじゃないでしょうねぇ」



「ミルカ。貴女やけにルーカスさんに馴れ馴れしいけど」



「えぇ、ルーカスとは神官学校で同級生だったんスけど、結構仲も良かったんスよぉ」



「あら、そう? 同級生とは聞いていたけれど、友達だったのね。と言うか、もう一つ聞きたいのだけど、良いかしら?」



「えぇ、何なりとお聞き下さい!」



 先程小突かれた事などすっかり忘れ、元気よく返事をするミルカ。



「貴女、最近私に対しても馴れ馴れしいわねっ」



「えぇ? ソコ?」



「そうよ。私は貴方の先輩なのよ? 何よ、その『同級生だったんけど……』って。貴方いつからそんな言葉使いになったのよ」



「いやぁ、マリレナ先輩。そうは言いますけど、最近じゃあ、ダニエラ大司教様の侍女軍団も含めて、先輩方のボケが激しすぎるんスよ。いえね。ボケの回数もさることながら、そのボケ方が狂暴化の一途を辿ってるっス。いい加減、を出して行かないと、もうツッコミが持たないっス。って事で、このスタイルで行く事にしました。あはははは……」



 ――ボクッ



「ぐふっ!」



 再びミルカの鳩尾みぞおちに、鈍い痛みが走る。



「何が『あはははは』よっ。貴方がそんな態度では、先輩の私の威厳に傷が付くのよ。後輩は後輩らしく、丁寧な言葉遣いをしなさい」



「えぇぇ、でもアドナ様には、この言い方の方がツッコミとして面白いって言って頂けたんですよぉ?」



「他所はよそ。ウチはウチよ。ちゃんとTPOに合わせて、言葉遣いを正しくなさいっ!」



 言いたい事だけを伝えると、さっさと前を向いてしまうマリレナ先輩。



「ちぇっ、先輩だってアドナ様には頭が上がらないくせにぃ……」



「はぁっ? 何か言った?」



 前の鞍に座るマリレナが、後ろを振り向きもせず、無造作に杖を突きかけて来る。


 当てずっぽうで突き出される杖は、危ないったらありゃしない。


 ここは早々に謝罪するのが『吉』だろう。



「いいえ、なんでも御座いませんっ! 以後気を付けます!」



 そんな、どうでも良いやり取りをしていた頃、ようやく門の内側より兵士達のざわめきが聞こえて来た。



開門かいもん開門かいもーん!」



 その声に合わせ、重厚な正門が押し開かれて行く。



「あぁ、開いた、開いた。ようやくですよ先輩」



「その様ね。それでは参りましょうか。ケラヴノス様、よろしくお願い致します」



「うむ。承知した」



 一行は大きく開かれた門をくぐると、砦の中へとゆっくり入って行く。



「ミルカ! キョロキョロしないっ!」



「はっ、はいっ!」



 この先輩は背中に目でも付いているのだろうか。


 確かに門をくぐるなり、辺りをキョロキョロと見回していたミルカであった。


 しかも、マリレナ先輩は背筋を伸ばしたままの姿勢で、全く振り返ってはいないのである。


 いつも不本意な事ばかり言う駄目ダメな先輩ではあるけれど、少しだけ見直さねばなるまい。


 ただ、そんな気持ちを持っていられたのも束の間。


 砦の中はかなり殺伐とした雰囲気となっていた。


 城壁の上には弓兵が隊列を組み、クロスボウの照準を彼女たちに合わせているし、広場の両脇には、帝国の誇る重装歩兵が十重二十重とえはたえと取り囲んでいるのである。


 最初の内こそ興味本位で辺りを見回していたミルカではあったが、その放たれる殺気により、冗談の一つも言えぬ程に委縮してしまう。


 もしこの場に一人で立っていたのであれば、間違いなく失禁してしまった事だろう。



「うわぁぁ、怖ぇぇぇ……」



 なるべく兵士達と目を合わさぬ様、思わず下を向いてしまうミルカ。


 そんな中、広場正面より凛とした女性の声が聞こえて来た。



「そなたたちは太陽神殿からの使いの者であると聞いた。使者ならば使者らしく、門内ではされるのがよろしかろう」



 丁寧に下馬を促す言い回し。


 しかし、その言葉には否応いやおうなく相手を従わせようと言う強い意志が感じられる。


 半ば震えながらも、グレーハウンドの背中から降りようとするミルカ。


 ただ、グレーハウンドの体高は三メートル程もある。


 先にグレーハウンドに伏せてもらうか、もしくは梯子でも用意してもらわない限り、とても降りられたものでは無い。


 そんな途方に暮れているミルカの目前で、先輩のマリレナはうやうやしい仕草で神官の杖を掲げて見せたのであった。



「我は太陽神殿のマリレナである」



 彼女の威厳ある声が砦の中に響き渡る。



「我は太陽神殿のみならず、大精霊様の使いとしてこの場を訪れた。つまり、我は大精霊様の名代である。そんな我に対して指図するとは何たる不遜。まずはそなた達がその場に平伏するのが順序と言うものであろう」



 マリレナの凍てつく様な視線の先には、限りなく黒に近いグレーのフードを目深に被った人物が、同じく魔導士の持つ杖を大きく掲げて正対していた。


 暫く睨み合う二人。


 ただ、その睨み合いは長くは続かなかった。



「うっ……」



 やがて、グレーのフードを被る魔導士の方が、突然小刻みに震えだしたのである。


 それはまるで、目に見えぬ強大な何かに押しつぶされそうになるのを、必死で耐えている様にすら見える。



「くっ……くぅぅ……」



 なおも杖を支えに、に耐えようとする魔導士。


 しかし、ここでマリレナが大音声で叫んだ。



「不遜なる者よっ、屈せよっ!」



 ――ドサッ!



 その声を切っ掛けに魔導士はその場へと倒れ込んでしまう。


 ただ、実際にはその魔導士が地面へとひれ伏す寸前、駆け付けた一人の男がの事を抱きかかえていた。



「大精霊様の名代であるマリレナ様。我が部下が大変失礼を致しました。遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます。何分にもここは戦地。礼儀、作法においては、至らぬ点も数多くあるかと存じますが、何卒ご容赦賜りたく、お願い申し上げます」



 彼は広場の中央で最敬礼の姿勢を取ると、うやうやしくも、その頭を垂れたのである。



 ――ザザッ、ザザザザッ



 それに合わせ、辺りを取り囲む全ての兵士が一斉に兵装を解き、その場で最敬礼の姿勢を取り始めた。


 一瞬の内に静寂に包まれる砦内の広場。


 その中央で魔獣の上に平然と座し、一人その光景を睥睨へいげいするマリレナ。



「あがっ……先輩っ……」



 それ以降ミルカは公式の場面において、マリレナに対し常に敬語を使う様になるのである。


 ただまぁ、どれだけ公式の場面があるのかと問われれば、数える程しか無いのが実情ではあるのだが。

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