第260話 抜け駆けの釈明

『いやぁ、まさに慶事とはこの事よ。この様な遠征先で、エレトリア宮中に負けず劣らずの料理を堪能できるとは……』



 歳の頃は二十代半ば……と言う所か。


 壮年と言うには少しおさなさの残る顔立ち。


 しかも、気品あるたたずまいに、淀みなく流れる所作。


 どれ一つ取っても、彼が高貴な血筋である事は、疑い様もない。


 ただ、あまり所為なのか。


 時折、身に着けたの端に目をやり、乱れが無いかを確認する様は、どことなく微笑ましくも見える。



『過分なお言葉を頂き、痛み入ります。前哨基地この様な場所へオデッセアス卿の様な高貴な方をお招きする事自体、不敬極まりなき事。明日には私の方から、さんじましたものを……』



 ワイングラスを片手に困惑の表情を浮かべるアエティオス。


 ここは、前哨基地内にある士官専用の食堂。


 兵士達が利用する大食堂とは異なり、かなり手狭で、十名程度が同時に座れる長テーブルが一つあるだけ。


 しかし、流石に士官専用と言う事で、簡単なタペストリーに花瓶など、最低限程度の装飾が施されている。


 ここはあくまでも前線前哨基地である、と言う事を考えれば、これでも贅沢な方であると言えるだろう。


 今日の昼頃、この前哨基地に到着したばかりの、アエティオス准将率いる第十一独立大隊コホルス


 彼がこの部屋に主要士官を集め、作戦の最終確認を行っていた矢先。


 二十名程の騎馬兵のみを引き連れ、突然この前哨基地を訪れたこの男。


 アエティオスは丁重にオデッセアスを前哨基地内へと招き入れると、そのまま、他の主要士官共々、簡単な夜食ウェスベルナを振る舞う事にしたのだ。



『いやなに。敵方も、我らの軍勢を見て怖気づいたのだろう。全く動こうとせぬでなぁ。丁度、睨み合いに飽いていた所よ。まぁ、我らが早馬しらせを出してから、まだ十日も経たぬ内に援軍が来た、と言う事にも驚かされたが、更に驚いたのは、その神速の軍勢を率いるのが、帝国士官学校の同期であるアエティオス、君だと言う事だ。それを聞いて、居ても立っても居られず、ここまで来てしまったと言う訳だ』



 そう話しながら、残り少なくなったワイングラスを、それとなく揺らしてみせるオデッセアス。


 すると、それに気づいた奴隷給仕の一人が、慌てた様に彼のグラスへとワインを注ぎ始めた。


 ワインを注ぐ奴隷給仕の腕は小刻みに震え、既に顔面蒼白の様子。


 それもそのはず。


 この様な奴隷の不手際、招待する側となる主人にしてみれば、自身の面目を潰す行為に他ならない。


 もし、この一件でオデッセアスの機嫌を損ねる事にでもなろうものなら、この奴隷は良くて解雇、悪くすれば、ひど折檻せっかんを受ける事になるのである。


 しかし、そんな奴隷給仕の不安を他所に、オデッセアスは上機嫌でワインを楽しんでいる様だ。


 貴人にしては、大らかな一面を持ち合わせた人物なのだろう。



『ところで、オデッセアス卿……』



 突然のの来訪に、驚きを隠せないアエティオス。


 彼の訪問目的は一体何なのか? それとなく話を向け様とするのだが。



『アエティオス! 昔の様にオデッセアスで構わん。呼び捨てにしてくれ』



『流石にそれは……』



『いやいや、そうでなければ、は相談出来ぬでは無いか』



 彼はそう言い放ちつつ、グラスに残ったワインを一気に口の中へと流し込む。



『はて、オデッセアス……とは一体?』



 何の事やら意味が分からない。


 アエティオスは、素直にその真意を問いただしてみる事に。



『うむ、実はな。敵方への攻勢は、後詰ごづめとなるお前達の到着を待ってから、との取り決めであったが、配下の中に、どうしても先走る者達が居ってだな。誠に遺憾ではあるが、敵方へ会戦の申し入れを行ってしまった



 少し申し訳無さそうな表情のオデッセアス。



『なんと! それは、けでは御座いませんか?』



『うぅぅむ、そう言われてしまうと……そう言う事に……なって……しまうなぁ……』



 と、非常に歯切れが悪い。


 いつの世でも『抜け駆け』は、軍隊において忌むべき行動の一つに数えられる。


 特に、組織的な肉弾戦が戦術の基礎となるこの世界において、軍の調和を乱す『抜け駆け』は、絶対に許されざる行為であった。


 たった一人の命令違反が、軍全体を窮地きゅうちおとしいれる可能性すらあるのだ。



『……』



 あまりの事に、腕を組んだまま、黙り込んでしまうアエティオス。



『ここは、旧友のよしみだと思って、この話……飲んでくれるな?』



 これは『相談』でも『お願い』でも、はたまた『依頼』ですら無い。


 ましてや、アエティオスに対して、許しを乞うているなど、あろうはずも無い。


 そう、これは体の良い『』なのである。


 アエティオス自身、下級とは言え、貴族の出身であった。


 しかし、余りにも出自身分に違いがあり過ぎる。


 オデッセアス自身も帝国子爵の位を持ち、父親は広大なメリシア領を有する伯爵家。


 しかも、彼の父は先代のエレトリア侯爵とは兄弟であり、現エレトリア侯爵とも“従弟いとこ”の間柄にある。


 帝国内でも指折りの良家を継ぐ令息なのだ。


 そんな彼が、いかに旧友とは言え、頭を下げる事など出来ようはずも無い。


 この様な、非常に回りくどい言い方をする事、その事だけでも、彼にとっては最大の譲歩なのである。



『オデッセアス様、その会戦の日時は?』



 ようやく絞り出したその質問。



『うむ。明日の正午。場所は、リヴィディア城南東に広がる丘陵と決まった』



 この世界。


 遭遇戦等による戦闘もあるにはあるが、両軍雌雄を決する決戦と言えば、日時、場所を指定して執り行う会戦が主流であった。


 ある程度の規模を持つ軍が相対した場合、双方使者を立て、会戦の子細について取り決めを行うのだ。


 未だ、政治の最終決着を戦争に委ねる野蛮な世界ではあるのだが、そこには一定の厳密なルールが存在するのである。


 ただ、そのルール自体も時代の流れにより変化して行く事になるのだが、それはまた別の話。



『それでは……間に合わぬ……』



 人知れず、そうつぶやくアエティオス。


 しかし、既に敵方と会戦の日時を取り決めてしまったのでは、それを今更反故ほごになど出来ようはずも無い。


 仮にその時刻までに現地に現れなければ、相互に取り交わした証文をたてに、会戦を逃れた男として、一生消せない汚名を背負う事になるのだ。


 もちろん、その前に、軍人としてのプライドがを許さないだろう。



『心配するな、アエティオス。元々お前の軍は想定しておらん。それゆえ、お前の軍には迷惑は掛からぬはずだ。まぁ、戦勝の手柄を渡す事は出来ぬがな』



 そこまで言った所で、急にテーブルを立つオデッセアス。



『今日は久しぶりにお前にも会えたし、美味い夜食ウェスベルナを堪能する事も出来た。そうだ、この料理を作った奴隷ものに褒美を取らそう』



 彼は自身の腰に差していた短刀を抜き取ると、アエティオスへ渡そうとする。



『いやなに、私もオデッセアス様にお会いする事が出来、光栄で御座いました。また、料理を作らせました奴隷で御座いますが、ほらそこに……おい、ミサ、こっちへ来い。オデッセアス様がお前に褒美を取らすと申しておられる』



 壁際に並ぶ奴隷達の一番端。


 ひと際変わった服装の女性が一人。


 少年とも思われる顔立ちの兵士を一人を引き連れ、アエティオスの前へと進み出て来た。



「あんたねぇ、横で話を聞いてたけど、酷いじゃない。アエティオスだって、頑張ってここまで来たって言うのに、手柄を独り占めしようだなんて、あなた、本当にサイッテーな人よねっ!」



 その女性は両手を腰に当て、平たい胸を反らすかの様にたち尽くしている。



『おい、ルーカス。彼女は何と言っている?』



 いつも通りの高飛車たかびしゃな雰囲気に、多少閉口しつつも、彼女の言葉を翻訳する様に指示を出すアエティオス。


 すると、少年が満面の愛想笑いを振りまきながら話し始めた。



『はい、彼女は、私の様な者の料理をお褒めいただき、恐悦至極でございます……と。また、褒美を下賜頂ける事、天にも昇る様な嬉しさに、身も心も打ち震えております……と申しております……といいなぁ……』



 だんだん言葉尻が小さくなるルーカス少年。



『おぉ、そうか。それは上々。にしては、何となく傲慢ごうまんな感じを受けないでも無いが……』



 そう告げるオデッセアス。


 そんな彼の言葉を遮る様に、ルーカスは言い訳を開始。



『あぁ、彼女は遥か遠国の生まれでして、彼女の国の風習で、これが彼女の国の最大の敬意を表しているのでございます! 本当でございます。えぇ、本当でございますとも。えへへへ』



 長く不自然な言い訳……。


 それは、相手に対し余計な疑念をいだかせるものである。しかし、幸いな事に、相手が世間知らずの『お坊ちゃん』の場合は、そうでも無いらしい。



『そうか、そう言うものなのか。うむ。世の中は広いな。それではこの短刀を取らせよう。これは、神の刀匠と呼ばれた、トゥリンドベリの短刀だ。お前がいったい、いくらで買われたかは知らぬが、解放されたくば、この短刀を売ると良い。お前を十人ぐらい買っても、釣りが来るはずだ』



 彼女の態度については、詮索せず、笑顔で短刀を彼女へと手渡してくれたのである。



「なによ、こんなもの貰っても、ちっとも嬉しくなんて……」



 そう言うなり、短刀を放り投げようとする彼女。



『はうっ!』



 流石にそれは……。横合いからルーカスが彼女の腕を掴み、何とか押しとどめる事に成功。



『ふぅぅ……あっ、ありがたき幸せっ!』



 ルーカスはそう言うと、彼女の頭を押さえつける様にして、一緒にお辞儀をさせてしまった。



『ははっ、面白い娘ではある。さて、長居した様だな。俺は先に戦場へと向かう。歩兵のお前達は、後からゆっくり来てくれ。既に会戦は終わっているとは思うが、戦場の後片付けにも人手は必要だからな。ハハハハハッ。では、明日戦場で会おう』



 彼はそれだけを言い残すと、配下の兵士を引き連れ、風の様に立ち去ってしまった。


 残されたは、アエティオスを含む士官一同。



『閣下、如何致しましょう』



 眉間に皺を寄せたクロノスが、全員の意見を代表するかの様に問いかける。



『愚問だ! 即刻出撃する。何としても間に合わせるのだっ!』



『『『『はっ!』』』』



 アエティオスからの命令一下、士官たちはそれぞれ自身の部隊へと駆け出して行った。



「うんもぉ、本当に、嫌な感じのヤツだったわぁ……ん?」



 そう言いながら、貰った短刀の先を摘まんで、もてあそぶ彼女。


 そんな彼女がふと顔を上げると、そこには独り部屋に残されたアエティオスの横顔が。


 彼の浮かべるその表情は、彼女にとって、とても予想し得ないものであった。

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