第246話 黒い瞳を持つ女

「お前、歳はいくつだ」



「はい、十六でございます」



 その見掛けとは裏腹に、ハキハキと受け答えをするブルーノ。



「そうか。姉は戦える様だが、お前は何ができる?」



「はい。読み書きができます。後は算術も少し」



 受け答えを見る限り、利発そうではある。


 弟個人で見れば、売れ残りそうには思えないのだが。


 まぁ、姉の様な『武』を求める客が、姉と一緒に少年を購入するか? と言うと、確かに疑問だし、逆に商家の様な客が、奉公人として少年を抱えようにも、姉の様な『武』は不要だ。


 その結果、意外と二人とも売れ残ってしまったのかもしれない。



「ほほぉ、そうか。それは珍しい。どうだ、これが読めるか?」



 アエティオスは手元にあった羊皮紙を少年へと手渡した。



「はい。……親愛なるマロネイア伯爵へ……先ごろご指示頂きました件について、ようやく成就じょうじゅの見込みが立ちました。早速、我がベルガモンからは……」



「もう良いっ」



 まだ読んでいる途中にも関わらず、奪う様に羊皮紙を取り上げてしまう。



「本当に読める様だな。使えそうではある。それではコイツも貰おうか」



「はっ、ありがたき幸せ。閣下、ついでと言う訳では御座いませんが、ロリ奴隷のご所望は……?」



 更に奴隷を売付けようとする男。


 商魂逞しょうこんたくましいとはこの事である。


 しかし、そんな奴隷商をさげすむ様な目で見つめながら、彼は大きなため息を一つ。



「はぁぁ……。だから何度も申しておろう。私の好みは『ちっぱい』娘ではあるが、ロリでは無い。そこの所を間違えてもらっては困る」



 真面目な顔で諭す様に話してはいるが、言っている内容は大した事では無い。



「ははっ、大変申し訳ございません。いやなに、昨日も申し上げました通り、とある大口様向けのロリ奴隷に大量のキャンセルが出まして、在庫一掃処分セール中にございますので……」



「それはお前の都合であろう。さっさと金の算段をせよ」



「はっ、畏まりましてございます。おいっ、お前、その鞄をこれへ持て」



 流石にこれ以上の売り込みは難しいと判断した男は、近くに控えていた女奴隷へと声を掛けた。



「はい……」



 見た事も無い衣装を纏う髪の長い。彼女の両手は牛皮のベルトで拘束されたままである。


 そんな彼女は奴隷商の後ろに置かれた鞄を持ち上げると、よろよろとした足取りで彼の足元まで運んできた。



「あぁ、お前。鞄はそこでは無く、アエティオス様の前のテーブルに置け」



 彼女は再びふらつく足取りで、アエティオスの前へと進み出て行く。



「ん? この娘、見た事の無いだが、どこの生まれだ?」



「はっ、本日より仕入れたばかりの娘で御座いまして、実は素性も良く分かっておりません。これから守衛所の方への申告を行いました後、引き取り手が無い様であれば、売り出そうかと考えている次第でして」



 奴隷商が奴隷を仕入れる方法はいくつかある。


 一番の大口は、戦時による捕虜だ。


 少人数であれば良いのだが、一度に大量の捕虜を獲得した場合、一気に奴隷市場へと流される事がある。


 すると、市場では奴隷の値段が一気に下がるなど、薄利多売を強いられる事が度々たびたび起こるのだ。


 それ故、奴隷商達は、戦争の行方を常に気にしており、早くから戦況等についても情報を共有している場合が多い。


 次に本人や他人、特に両親等が子供を奴隷商へと持ち込む場合である。


 それは、借金の形であったり、口減らしであったり、理由は様々。


 一度に大きな金を手に出来る事から、自分自身を奴隷として売ってしまう人も少なくは無い。


 一風変わった所では、音楽家や画家、場合によっては弁護士や医者など、特殊な技能を持つ人々であっても、特定のパトロンによる庇護ひごを求める場合は、奴隷として自分自身を売り込む事もあるのだ。


 後は特殊な事例として、人さらいによる誘拐ゆうかいである。


 特殊な事例と書きはしたが、実の所、本人の売り込みよりは、よほど多い。


 市中には多くの人攫いグループが存在し、宿無しの子供たちをさらって来ては、奴隷商に売りつけるのだ。


 当然、奴隷商の方も違法である事は承知の上。


 あくまでも善意の第三者として奴隷を買い取るのである。……もちろん二束三文にそくさんもんの値段で。


 その後、奴隷商は獲得した奴隷を守衛所の方へとして届け出るのである。


 届け出後、一週間の間に誰からも捜索願そうさくねがい等の訴えが無ければ、晴れてその奴隷は、合法的に奴隷商のとなるのだ。


 まぁ、よほど身体的な特徴でも無ければ、さらわれた人が見つかる事はない。


 しかし、奴隷は貴重な資産であり、労働力なのである。


 この様に合法化する事で、もし見つかった場合、元の持ち主の権利を守ると同時に、奴隷自体の流動性を高める事は、奴隷市場を安定させる為に、必要不可欠な事と言えるのかもしれない。



「うぅぅむ。お前、名は何と申す」



 思わず彼女の尻にさわろうとするアエティオス。



 ――ビシッ!



「さわるなっ!」



 目ざとくその手を見つけた彼女。


 両手を拘束されているにも関わらず、スナップの利いた手先で彼の手をはたいてしまったのである。



「あっ! 閣下に手を出すとはどういう了見だっ! こいっ折檻せっかんしてくれるっ!」



「キャッ!」



 奴隷商の男は顔面蒼白になりながらも、彼女の髪の毛を掴んでその場へと引きずり倒してしまう。


 それもそのはず、これだけ位の高い人物に手を上げたのである。


 奴隷の死罪はもちろんの事。場合によっては奴隷商本人も重罪は免れまい。


 とにかくアエティオスの目の前で彼女を折檻せっかんし、彼の怒りを少しでもなだめなければ、自分の身が危ういのだ。



「あぁ、待てまて。そう怒ってやるな。私がいきなり手を出したのが悪いのだ。犬猫でも急に手を出されれば、思わず噛みつこうと言うものよ」



 叩かれた右手を軽くさすりながら、再びソファーへと深く腰掛けるアエティオス。



「ははっ、寛大なご配慮、痛み入ります」



 奴隷商の方は平身低頭へいしんていとうの様子である。



「で、名前は何と申す? 歳は? 生まれは?」



 そんな奴隷商の事はお構いなし。


 矢継ぎ早に質問を投げかける彼であったが……。



「……」



 そんなアエティオスをおびえた表情で見つめたまま、一言も喋らない彼女。



「大変申し訳ございません、閣下。実はその娘、言葉が上手く通じない様で御座いまして、恐らくラタニアよりも更に東の部族では無いかと思われます」



「ほほぉ。そうか、そうであったか。う~ん。この様な黒い瞳の娘は珍しい。見つめていると、まるで吸い込まれる様だ」



「ははっ、ありがとうございます。お気に召して頂けましたでしょうか?」



「うむ。気に入った。どうだ、この娘も加えよ。三人まとめて引き取ろう」



 よほど彼女の事を気に入ったのか、アエティオスは未だに少女の目を見つめたままだ。



「まっ、誠にございますか。ありがとうございます。ただ、まだ届け出前の娘故むすめゆえ、正式な持ち主が現れるやもしれませぬ。その場合は示談の費用が多少……」



「分かっておる。金は工面しよう。それに、お前もは知らなかった事にすれば良い」



「ははっ、畏まりましてございます。それでは早速お引渡しの手続きを」



 急ぎ鞄の中から、何やら羊皮紙に掛かれた書類を取り出す奴隷商の男。


 確かに彼女がアエティオスの手を叩いた時は、かなりきもを冷やした彼である。


 しかし、おおよそは、彼の想定通りとなったのだ。


 最後にわざわざ彼女に声を掛け、鞄を持って来させたのも、更にはアエティオスが手を出しやすい様に、彼女の尻を彼の方へと向けさせたのも、全てはこの男の思惑通り。



「……ついでにあと二人ぐらいは買ってもらえるな……」



 アエティオスが少女に見とれているそのかげで、男はしっかりと赤い舌を出していたのであった。

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